〔歩道賞 一覧(S36〜H14) 一覧(H15以降) 作品 S36〜49 S50〜59 S60〜63 H元〜14年 〕



昭和六十三年歩道賞         


  父逝く          森田良子


点滴に命保てる父の足なづれば骨に触れゐるごとし
いくばくの安らぎありと思はねど足を撫づれば眠りゆく父
やうやくに眠れる父の口腔のさながら見えて乾けるかなし
老いし膚洗ひざらしの布のごと点滴の針動けば割くる
うかららの見守る父の眼つむり生死境なきかすかなる息
死に近き命守れば冷えながら冴ゆる月光窓にさしくる
命終の父の脈とりゐたる母その手つつみて涙を落す
出づる声いまは聞くなき半開の口を閉ざせば残るぬくもり
ただ一度わが叩かれし御手なるか形さびしく胸にくみやる
昨日までぬくもり伝ひきし足に足袋はかせつつ涙あふるる
今にかも眼開かんかと思ひつつ撫づれば人にあらぬ冷たさ
燭の火に淡く影曳きをりをりに母は立ちつつ香の火を継ぐ
亡骸のかたへにをれば夜の明のおぼろに青し障子を透きて
なきがらを花に埋めて嘆けども死はかくやすくその顔やさし
門の梅吹くとしも無き風に散り今し柩は出でゆかんとす
ふたたびは渡ることなき遊歩橋父の柩の今わたりゆく
春待ちし父にしあれば今一度柩の窓を開けて日を見す
閉ざされし窯の前にて亡骸の浄らとならん火の音を聞く
父を焼く煙のなびく海の果赤くゆらぎて日は落ちゆきぬ
火葬場を出でて来れる海の辺は波も巌も朱にかがやく
拾ひつつ現の姿顕ちてくる父の御骨のぬくもり悲し
九十年その身支へてきし骨の触るれば脆く崩るるかなし
灰かきて熾る炭火に寄りてゐし父のさびしさ沁みるかなしさ
集めたる骨満たしめて抱く壼炭のふれあふごとき音たつ
日の入りて茜に松の染まる道ぬくき御骨を抱きて帰る
石蕗の花ほほけし絮はふかれゐてゆるき歩みの葬路暮るる
時満ちて落つる実のごと九十の父の亡骸土に納まる
詰問には逃避の個所を開けおけと常父云ひき死に逃げ場なし
弔を終へし帰路暗き沖光つらねて漁火燃ゆる
眼つむり花の香りをかなしみし父を偲ばん悔もすぎゆく


◇選考委員(佐藤志満・由谷一郎・榛原駿吉・香川美人・秋葉四郎)







昭和六十二年歩道賞


  海 霧          藤原敬二


春の夜の満月出でてやうやくに海の眩しきわが家の庭
しばらくはこの身漂ふ如くにて朝の庭温き海霧こもる
月出でてゐるらしき空明るきに雨降りをりて郭公の鳴く
窓下に満ちくる潮の反照がゆれたつ部屋にわれのまどろむ
午後となる島山晴れてどの家の庭も蕨の萌ゆるこの村
二十戸の人ら培ふ花畑黄に鮮けし島を包みて
人の無き島のわづかの砂浜に散れる桜の見えて海ゆく
雨後の靄さかんに空に上りゐるわが村雉の声けたたまし
城の跡とどめぬ島に咲く桜見に来つ海の橋を渡りて
馬島はうねりの上にすれすれに低く見えつつ鯉幟立つ
人住まぬ島にかかりし簡素なる椎の木の橋椎茸芽吹く
島間の湧きたつ霧にゆきかねし船の汽笛に潮騒がし
わが部屋の壁に映りてゆく船の灯の明るきは霧晴るるらし
海橋となる鉄骨の両端が繋がらんとす仰ぎて立てば
梅雨のあめ降りつぐ日々に色づきて自生の枇杷の被ふ島山
建物の間に遠く海港の一部が見えて船のかぎろふ
ものを煮る思ひがけなきにほひして村丘のわが畑夕づく
節水を呼びかくるまで盆の日の帰省者多しわが島の村
入つ日のかがやき赤き砂浜に鴉ら騒ぐ海をへだてて
香煙のあがる鵜島の岸の墓地見えつつ盆の日の海をゆく
夜祭の果てんとしつつ明方に市たつ森の境内さびし
昼更けて柩の出づる谷の田に舞ひたつ蒲の穂絮かがやく
日の入りてゆく山の火事猛りつつ焔の影の動くわが村
山火事にほてれる夜の島の道わが知る家を訪ふと歩める
水汲みしバケツを庭に並べつつ降りくる山の火の粉に備ふ
山火事の焔の反照雪雲にありその下をゆく船にあり
山火事の火の先駆が夜の村になだるる如く迫りつつゐる
歳晩の朝の霧湧く島の村どの家にても餅撒く音す
対岸のほむらの如き街の灯を映して冬の引潮走る
曇より落つる光に前島の積雪まぶし夕餉をしつつ


◇選考委員(佐藤志満・由谷一郎・榛原駿吉・香川美人・秋葉四郎)


◇予選会で最終的に残った二編「峡畑」(神田あき子)と「海霧」について何度も読み返し最終決定に当つた。生前の佐藤が一週間位、毎日のやうに読み返して考へてゐたことが今更ながらしのばれた。今回の二編はいづれも「歩道」で修錬を積んだ人らしく真摯・堅実で力量が伯仲してをり、生活に密着した見方・表現でいい作品である。
 しかし、いよいよとなると藤原敬二氏に一日の長を認め歩道賞作品第一位に決めた。捉へてゐるものにこもつてゐる作者の年輪、一首一首の力強い調子など「歩道」の今年度の収穫として誇り得る(佐藤志満)。







昭和六十一年歩道賞


  移居後          山本昭子


移り来し家に朝々畑の菜のひらぶきびしき霜を見下ろす
騒音を逃れ来て得し寂しさか枯草むらの乾く窓外
空気冴ゆる夕べと思ひ洗ひたるもの畳みをり掌かたく
老づきて移りし家に十年をいふ夫とわれその後は知らず
冬空の茜広きに連山の沈むこの土地わが住み得るや
建ちならぶ新しき家植うる木のみな細くして落葉を踏まず
移りきてひと月の庭球根を埋むればここもたのしからんか
新しき家並の屋根雪つめば模型のごとく窓の灯寂し
朝床に昨日ききしゆゑ覚めて待つ朗かに鳴く小綬鶏のこゑ
団地行のバスに吸はるるごとく乗り夕ぐれ私語のなき人の群
冷ゆる夜の道帰りつつ悲しめば野の空俄に近し星座は
眠るべく人ら帰るか遠き野のはてにて暗く群るる住宅
いねがたきまま夜の灯に見るわが手罪の如くに爪のかがやく
鉢に植ゑて佐賀より移しし山椿葉の霜やけて旱のつづく
冬の夕日あかがねのごと照り反す窓見え遠き悔よみがへる
日あしのびし夕べ明るく遠雲に白く照りゆく一団の鳥
新しく成れる街ゆゑ屋根覆ふ大木などなき夕映さびし
歩み来し河原に見れば均一に家群るる団地のなかのわが家
麦の畝日ましに色の濃き春日まざまざと一年のすぎゆき悲し
移り住むあけくれ寂し褐色に樫ぬめぬめと新芽かかぐる
寂しさの中に定まりゆく日々か歩む団地の舗装路白し
春植ゑし庭の樫の木強くなる日ざしに新葉みづみづと立つ
梅雨近きくもりより日のさす夕べ遠く白き橋冴々と見ゆ
梅雨に似る雨一日降る窓の外篠みどり濃くなりてしづもる
栗の花咲くらしき森窓遠く夏日に白く照れるたのしさ
倒木の乱れゐて雪害の残る山さはあぢさゐの白々と咲く
沢沿ひに倒木多き杉林来れば夏日に香のひややけし
沢の音ききつつ登る山中にわづかの家が段なして寄る
垂るる葉の光うひうひしきみどり雪害越えて杉は育たん
道に遭ふ知人の老をおもふとき相対にして人も見るべし


◇選考委員(佐藤志満・由谷一郎・榛原駿吉・香川美人・秋葉四郎)







昭和六十年歩道賞


  白 夜          浅井富栄


椴松の秀群明るくたつ森のうちに満ちつつ夕靄うごく
             (椴松は原作では旧字体)
父母の写真を大切にして掲げをりスエ―デンに住み老いし弟
弟の家をめぐれる椴松の林にこもり遠雷ひびく
日昏れなき北欧の空しろじろと夜半の月みゆ目覚めし窓に
ありのまま林の中に据る岩白夜の雨に鈍くひかれる
広き野を移る雨みえてひとところ日のさす畑は甜菜の青
白樺に滴ひかりて夏至の日の明るき雨のひもすがら降る
風さむき公園に集ふ村人ら夏至の祭のダンスを踊る
何処にも白きジャスミンの花咲きて吹く風清しリモカの町は
いちめんの菜種畑は日の強き夏至の日黄花さえざえと咲く
道の辺に茂るあかざを懐しむ北欧の古き城のほとりに
午後九時を過ぎて日照雨の移りゆく菜種畑に大き虹たつ
さはやかに晴れし広場に影落し衛兵交替の一隊よぎる
雪溶けの水あふれつつ岩山の襞々に細き滝ひかりみゆ
白雲の輝きながら遠ざかるキルナの駅にながく停車す
峡湾の向うにみゆる岩山の平に水のひかる沼あり
白樺の樹林にながき影ひきて北極圏をゆく汽車にをり
坂道にライラツクの花咲き匂ふ家居しづけしナルビクの町
真夜中の太陽に照り積む雪の輝くヨ―トンヘイムの山は
ナルビクの町の坂道を夫とゆく沈むことなき日を仰ぎつつ
雲海の上ゆく小さき飛行機の床に北極の日が淡くさす
オスロ―の宮殿の広き庭先に楓の羽実ひかりつつ散る
様々に人間の裸像たち並ぶフログネル公園バラのくれなゐ
旅に来てかかる侘しさ晴れとほるオスロ―の街に救急車ゆく
フイヨ―ルドの島に移りて夏の日を過ごす人らは国旗を掲ぐ
巡りゆく教会の地下すり減りし床に墓ありてさむき石の香
千年の歴史をもてる教会の積む石の間に羊歯青く萌ゆ
昼暗きドム聖堂の部屋に置く古りし木椅子にしばらく憩ふ
夏の夜の白く明るき北欧の旅を寝ね難くゆくは儚し
昏れなずむ空ほの白き真夜中のチボリの森に花火のあがる


◇選考委員(佐藤志満・由谷一郎・榛原駿吉・香川美人・秋葉四郎)


受賞作、「白夜」は、旅行詠だが、「弟の家」をたづねるといふ特殊性があつて、普通の旅行詠とは違ふ。必然があつて、歌が生きてゐる。たとへば「ありのまま林の中に据る岩白夜の雨に鈍くひかれる」などでも、普通の作とは違ふ。「オスロ―の街に救急車ゆく」など一例だが、よく細心に、注意して見たといふ歌が多い。わざとらしいところが少く、のびのび行つてゐるのがよい(佐藤佐太郎)。

〔 年度賞 〕 (S36〜57)