〔歩道賞 一覧(S36~H14) 一覧(H15以降) 作品 S36~49 S50~59 S60~63 H元~14年 

昭和四十九年・・・三十周年記念歩道大賞(一)  


  閑 日          河原冬蔵


仲見世に妻と来りてたまたまに仔猫のための鈴ひとつ買ふ
恋人を伴ひて来し子を見れぼわが若き日のころよりのどか
月々に遅るる家賃に菓子折を添へて持ちくる老いたる寡婦は
昼餉にて妻に怒ればよどみたる心生き生きとなりつつ籠る
別れたる妻の感化を受けし子と話しつつゐてしきりに寂し
地下駅がデパ―トとなるひとところ風涼しくて人ら群れたつ
愚かなるをとめと安けく住みしとふ老いしハイネを思ふ折々
道のべにすだれの垂れし窓ありて人に見らるる如く過ぎゆく
若き女のこゑにてわれに電話あり気まづく妻と夕餉を終る
放埒の果に世を捨てし物語暑き夕ぐれ身に沁みて読む
             (埒は原作では異体字)
返り討にあひし兄弟の墓ありて封建の世のあはれをとどむ
柿の実を落とさんと庭に降りたてば妻も仔猫もわれに従ふ
江戸の代に鉄砲うちしところとぞわが家に近き鉄砲坂は
健康のための歩の道すがら幾度か見つ荷風の墓また鏡花の墓
わが誕生日なりしが妻に云ひ出すことなく寒き一日過ぎゆく
心改まるといふこともなく起きいでて元日の朝妻と雑煮食ふ
丘の墓地に丸橋忠弥の墓ありて入日が街をへだてつつ差す
寒き朝起きいでし妻が鼻すする恰かも悲みに耐ふるさまにて
幾度も階下に降りてけふの午後テレビのマラソソ中継を見る
妻の作る故郷函館のにしん漬いつしか馴れて朝夕に食ふ
開店を待ちて入り来しデパ―トに暖房のためかげらふ動く
旅より帰りし妻の話をこのタベ聞きつつをればはや煩はし
母の年忌にわが家に集ひし姉二人ともども顔を見て涙ぐむ
われよりも十六歳若き妻にして老の憂ひのなきは救ひぞ
思きり罵るべきかはた黙すべきか春日差す庭にたちつつ思ふ
つゆの雨日ごと降りつつ飼猫の蚤を執拗にとりてゐる妻
かへりみて思へばおほよそ僥倖を願ふことにて金を失ふ
もの思ひて眠れぬといふこともなし老いてはなべてどうでもよきか
                   (下句志満夫人に倣ふ)
オ―トバイにはねられし猫塀を越えて見えずなりしが後如何ならん







昭和四十九年 三十周年記念歩道大賞(二)


  要 約          秋葉四郎 


わが心まれに競へど要約のうちにて草のごとく生きをり
玄関にわが頽廃の匂あり妻より早く帰り来しかば
いにしへのロゴスのごとき心理的充足ゆゑに人に知らえず
国道に近き職場にもやもやとせる一団の音を日々負ふ
シヨウペンハウエルの如くに辛き存在か腕に時計の重き夕暮
身辺のみにくきものも生活の流の中に過去となりゆく
老いて病む媼をめぐる人々の時計に対ふごとく死を待つ
おのおのに勤めて永くなりしかば嘆くことなし妻と吾とは
屋上にガラスの染を見つつをりかすかに生きて醜き吾か
玄関の灯のもとにいでし欠伸罪ふかきことのごとくに思ふ
宵空に明るきゴルフ練習場青々として風にふくるる
木材を積むトラツクの曳く影が夕づきてをり高架路のうへ
エスカレ―タ―に人運ぼれて群ながら人の音なし建物のなか
地下街の昼さびしくて奥ふかき店のしづけさに宝石を売る
宵々の夢に出でつつ山川の奥にこもれるごときさびしさ
夕づきて疾風なぐらん遠空の雲いちはやく澄みつつぞゐる
パ―キングビルの窓なき静けさに冷えつつあらん自動車の群
窓々に灯の満つるビル暮はやき秋宵空にぬきいでて立つ
山間の坂のなかばにトラツクがその形態を誇張してゆく
青杉の雫音していつさいの神のひそめるごとき午すぎ
獣医師の手にあぎとへる犬にしても愛玩用にて命みじかし
病室の壁に消えゆく感じありて病む幼子がひとり起居する
公園に水道漏れて善のごと音してゐたり夜半に通れば
留守の間棲みゐる猫が陰湿に欠伸してをりわれの目のまへ
朝早く目覚めゐる子が少年の知恵の光によりてはにかむ
吾の会ふ度に衰へゆく父の皮膚のいろ既に土のごとしも
うつしみの悔限りなしわが爪に似る病む父の爪を切りつつ
父の代も貧しくすぎしわが家か父衰へて木々育ちをり
貧しくて清き境界と思へども父の一代はおほよそ哀れ
たちまちにわが生涯の半ばすぎ父の命をまもりつつをり


◇予選委員(佐藤志満・由谷一郎・田中子之吉・菅原峻・長沢一作)


◇歩道三十周年記念といふことで応募作も一三〇篇をこえた。私の手許に廻つた予選通過作は一八篇、それぞれ力作であり、問題をはらんだ作もある。この中から入賞二篇、準入賞(侯補}を八篇選んだ。「閑日」の河原冬蔵氏は、すでに作風の定つた作者だが、かうしてまとめて読むと相当におもしろい。老境に近い市井人の生活が淡々と表現されてゐて、荷風の「日和下駄」を思はせるやうな風趣もある。歌集「離合」の人問くさい境地を延長せしめてやうやく平淡におもむいたといふ感じだが、歌がやや割り切れすぎるのも少しは交つてゐる。更に混沌の気を帯びた歌境が開けるやうに精進してほしい。秋葉四郎君の「要約」も力作である。一首々々苦辛して作るのは君の特色だが、いままではそれがやや独断的に終つて徹底しないうらみがあつた。今回の作もその幕が全く開けたともいへないが、言葉に客観性が出て来てゐる。見て考へ、考へて見るのが私の行き方だが秋葉君は忠実にそれを実行して、自分の感情、自分の言葉を手に入れようとしてゐるところが見える。前途にはなほ深く厚い世界があることを思つて着実な努力をつづけてもらひたい(佐藤佐太郎)。







昭和四十八年歩道賞


  あけくれ          田村茂子


暖房のあるため生きてゐる蝿ら腎病む老にまつはりてとぶ
幼子の痙攣やうやくをさまれば緊張とけてわが喉かわく
              (「痙」は原作では異体字)
煮沸する繃帯の匂ひ二十年経ちたるいまもしたしみがたし
寒き日の続けば同じ訴へをする患者今日も夫が診てゐる
昏睡のままに患者を死なしめて夜明とおもふ月の光は
頑なに心とざして食をとらぬ患者の話いらだちてきく
長病める老のにほひのただよへる廊下に寒き入日がおよぷ
患者らの蓄尿室に冷えびえと冬の夕のにほひただよふ
注射にて保てる命絶えん刻待ちつつ歳晩の夜半におきゐる
患者食を常に意識しゐるゆゑかわが炊く飯の日々やはらかし
セロリ―の強くにほへる給食室に体ひえびえと疲れて立てり
悪性感冒流行しゐて幾日も同じ処方の薬をつくる
点滴の速度に反応する患者看をりて冬の一日ながし
病院改築のため売らん山見まはりて暖かき冬の落葉ふみゆく
摘出せる臓器のにほひ生臭く身にまとひつつ今宵ねんとす
麻酔薬にて患者の眠るおほよその時問はかりて吾らもねむる
臨終に立ち会ひし夫予期せざる急変なれば疲れて帰る
薬局室の整理なしをれば歳晩のあかるき入日しばらくたもつ
新築せる診療所にて期待とも不安ともつかず患者待ちをり
無料診療となれど来れる老人ら安らかならぬ表情をもつ
一日の診療終へて出でしごみ月白く照る庭に捨てにゆく
診療のひと日の収支書き終へて春寒き夜もの呆けゐたり
交りのうすき葬ひに来し寺に芽ぶける槻の梢かがよふ
鼻腔ゾンデはづせば即ち死顔の筋肉ゆるみ意外にやさし
新らしき薬品名を忘れつつわれにきざせる衰へあはれ
海峡に入れば速力落しつつ鉱石船が雨のなかゆく
工場地帯にわが住みをりて落ちきたる鉄粉の塵朝々に掃く
思ほえず雨の上りて明るめる部屋に胃透視のバリウム溶かす
篁に風遠ざかり風おこるそのけぢめなき音をききゐつ
黄塵のとざせる夕ベ椎の木を吹き竹群を吹く春の風


◇予選委員(佐藤志満・由谷一郎・田中子之吉・菅原峻・長沢一作)


◇選衡を通過した候補作は十三篇だが、規定通り十篇にしぼつてくれるのがよかつた。私は十三篇に眼を通して受賞作を定め、他の候補作にも順序をつけた。ほんたうははじめから私が全部を読んでもいいのだが、それは私の境遇において不可能だし、また一種のお祭の要素もあるから選衡委員の労を煩はしてゐるのである。委員は世間なみの雑誌とは違ふことを意識してもつとしつかりした態度で、そして眼を養つて、良いものを良いと、新しいものを新しいと、深いものを深いとみとめて、綜合的に考慮して正しい評価が出来るやうになつてくれるのがいい。さて十篇の中から歩道賞として推薦したのは「あけくれ」(田村茂子作)であつた(決定まで作者名を伏せてある)。医者の妻として、夫と協力して医院経営に参加してゐる日々の生活を詠んでゐる。「暖房のあるため生きてゐる蝿ら腎病む老にまつはりてとぶ」、「煮沸する繃帯の匂ひ二十年経ちたるいまもしたしみがたし」、「患者食を常に意識しゐるゆゑかわが炊く飯の日々やはらかし」、「病院改築のため売らん山見まはりて暖かき冬の落葉ふみゆく」、「麻酔薬にて患者の眠るおほよその時間はかりて吾らもねむる」など。特殊な生活からくる素材の深刻さが歌の深刻さになつてゐる。把握が確かでどの歌にも捉へたところがある(佐藤佐太郎)。







昭和四十七年歩道賞


  谷田の道     横尾忠作


韮粥のおもてしづかに乾きつつ煮ゆるかたへに坐りてゐたり
体内の胃カメラの灯の点滅が硝子に映るひとごとに似て
中腰になりて火鉢にあたりゐしこころの弱き父思ひ出づ
籾がらを燃やすと立てし筒の影わが臥す畳にけむり吐きをり
鳴りいでし柱時計がわがうへにながながと打つ音をききをり
土間の灯のともる向うに米をとぐ妻がおどろくばかりに遠し
すぐそこに居て鶏なくと思ふまで戸の口にさす寒の日きよし
子の閉めて出でゆきし戸の磨硝子に冬日さし樫森の風が聞ゆる
をりをりに机の灯より顔あげて雪ふる夜のしじまにひたる
春浅き谷田の道にわが仰ぐ山桜赤き枝のしづまり
谷の田のいぶきに晩霜もふらざればこの丘に梨の花咲き盛る
霜のなか来ておもほえず田の道の小さき薮に雀なきをり
大屋根の茅を解きゐる煤ほこり春日の庭にしろくなだるる
味噌汁に豆腐たゆたふ大き鍋下げて弔ひの昼飯はこぶ
弔ひより妻と帰りて土間の灯の光あたたかき木椅子に坐る
みなみかぜ庭に吹きゐる夜明がた歯痛をさまりしわが妻睡る
静かにて帯たれしごとき昼の坂下りくる人の茄子苗を持つ
人居りて遠きたひらに撤く肥料思はぬところに白くひろがる
冬の間に土吹き寄りし畑道のひろきに無数の土筆たちをり
この丘にはたらく人の皆親しいちめんの麦風に吹かれて
麦の穂の畑とぶ雀わがうへを赤き草の根たらしてはこぶ
暗くなりし竹群いでし寂しさや麦穂のうへの遠き入つ日
桐の花溜まりて堰きし田の溝の小さきたぎち見つつ帰り来
妻と来て埴土白き田の溝にひたして出荷の根三つ葉あらふ
かぎりなく波たつ代田近づけば田床さびしく照りて水澄む
神経痛に苦しむ妻がビ―ル箱に腰据ゑて苗代にひとり苗とる
田帰りの人あふれ乗る耕転機麦穂のうへに遠く見えをり
朝畑にビニ―ルの屑燃やしゐて炎さびしきまでに音する
花しろき栗のひと木に雨のふる下を通りぬさむき花の香
土間口に坐り豆種子撰る妻の日に光りつつ手のさきうごく


◇予選委員(佐藤志満・由谷一郎・田中子之吉・長沢一作)


◇選衡委員は候補作十篇を私に廻附して、今回は例年より低調のやうだといふ。出来がよくても悪くても相対的評価にしたがつて候補をあげるわけだが、一読してみるとなるほど傑出した作はすくない。併しだいたい例年こんなものではあるまいかともおもはれる。三十首中から十首だけを選ぶとすると、まづこれなら採れるといふ歌は各人十首か十数首はあつた。予選も私の選も作者名を伏せて、作品番号によつて選衡するのだが、明かに女性の作とおもはれるのが何篇かあつて、どれも一応注目にあたひするものであつた。それで今回はさういふ女性の中から当選作をきめようかとおもつて熟読したが、結果はさうならなかつた。ある数の佳作があるが、入選作としては弱い作が十首か十数首まじつてゐる。水準をぬく作がいくつかあると同時に、全体として粒がそろつてゐなければ歩道賞として推薦するわけにはいかない。残念だが来年以降に期待することにした。推薦作「谷田の道」は、農業にたづさはる人の日常の雑歌で、健康を害してゐるらしい歌も交つてゐる。これも終りの方に数首やや弱い歌があるが、「韮粥のおもてしづかに」、「中腰になりて火鉢にあたりゐし」、「すぐそこに居て鶏なくと」など良い歌が相当にある。殊更に題材を求めたといふところのない日常性の中にある味はひはしみじみとしてゐる。意味のないやうな瑣事をとらへて感情の暗部をあざやかに照明する手際など感心していいし、心理的な遠近感の表現なども常識をこえた的確さがある。受賞作として立派なものだとおもふ(佐藤佐太郎)。







昭和四十六年歩道賞


  噴 炎     角田三苗


まのあたり爆発音轟く油槽よりただざまに赤き炎なだるる
爆発に先だちて地を走りゆく炎するどき音をともなふ
次々に引火して燃ゆる貯油タンク一つはナフサにて烈しき炎
茫然とわが立つめぐり爆発の火炎ほとばしり水ほとばしる
噴き上ぐる炎のまにまおびただしき消火泡冬日に輝きてとぶ
すさまじき噴炎のなかしたたりて燃ゆる余剰の炎もきびし
わが体しきりにほてり幾度も水をかぶりて消火に向ふ
咆哮の如きとどろきまのあたり打合ひて燃ゆる炎よりたつ
炎の向きたちまち変り孤立せし人ら蒸溜塔に声叫びゐる
渦巻きて燃ゆる火のなかしばしばも配管群崩るる重き轟き
ほしいままエタン塔燃ゆる火のめぐり渾沌として風吹き起る
火のなかに連絡断ちし人の声聞かんと無線器をわが叩きをり
先端より烈しく火を噴く配管ありわが近づけば静電気とぶ
石油樹脂の貯蔵槽そこのみ爆発の音なく燃ゆる炎するどし
急速に火勢おとろへし貯油槽の一つに寄りて放水始む
海面におほひて燃ゆる流失油炎さながら海はわきたつ
音たてて流失油燃ゆる海のうへ位置うつりつつ炎そばだつ
噴炎のおとろへしタンク執拗に小爆発のにぶき音する
海の上にひろがりゆきし爆煙の末端しづかに夕映えてゐる
いくところ黒煙そばだつ工場街の空合ひ怪しき夕暮れのとき
港外に避難せしタンカ―衝動の如くをりをり警笛鳴らす
火をのがれ来し雀らか埋立の倉庫の屋根に声かぎりなし
焼跡をおほふ暗闇にこだまして防火壁夜半に裂くる音たつ
一夜あけてあらはに曲りし配管群の上にかすかに灰積りをり
埋立地より吹かれきて飛ぶ砂の音夜勤する室に覚て聞きをり
夢を見て怯えゐし吾か硝子窓の夕焼け鋭きときに目覚むる
合成ガスの毒性試験に死にしねずみ口角に朱き色たつあはれ
アルコ―ルを含む工場の排水にきたりておぼるる蜂夥し
フラスコに螢光はなつ反応を声きくごとく吾は見守る
アルデヒドの腐敗臭にもわが慣れて一つ職場に齢すぎゆく


◇予選委員(佐藤志満・長沢一作・由谷一郎・田中子之吉)


◇候補作十一篇を通読してそれぞれ力のこもつた作品だとおもつた。その人その環境に応じて読むに堪へる歌が並んでゐる。こまかい点になると批評の余地はもちろんあるが、どの一篇にも強くとらへたといふ歌が何首かある。そのなかから「噴炎」を受賞作と決定した。これは相対的な評価でさうなつたのだが、私としてはいくぶんためらひながらきめたのである。なぜであるか。一昨年の受賞作(堀山君)は山火事の連作であり、今年の受賞作は石油化学工場の火災の歌であるといふことになれば、かういふ異常な事件を詠まなければ受賞出来ないのかといふ印象を受ける人があるかも知れない。それをおそれるのである。歌は平常の生活の中からいくらでもすぐれた作品が出来るし、さういふ身辺日常の作のいいものはまた何ともいへない味ひのあるものである。さういふ点に誤解のないやうに希望して、公平な評価にしたがふことにした。「噴炎」は異常なきびしい対象を確かに鋭くとらへてゐる。その感受と表現とは美事である。そして三十首は全体としても単調でないばかりか緊張の連続である、炎のするどい音、烈しい炎、とぶ消火泡、打合ふ炎の音、管から飛ぶ静電気、わきたつ海、爆煙の末端、火をのがれた雀ら、などよくもこれまで眼が働いたものだと感心する。そして短歌といふ詩形がかういふ鋭いものの表現にも堪へる詩形だといふこと、新しい詠歎をこめることが出来るものだといふことも思はせる。これは斎藤茂吉先生に学ぶわれ等の力強さだといへばそれまでだが、自分の力としてたくはへた精進努力のあとを私は尊重したい。特殊な事件の題材であるにもかかはらず私は受賞作と決定しないわけには行かないやうに感じたのである。







昭和四十五年歩道賞(一)

  熔 鉄     井上一彦


冬の日は吹雪に昏れてものの影さむき鋳物場鉄の香淡し
熔鉄の炎に触れて炉の上に吹き込む雪が音立てて消ゆ
たぎち沸く熔鉄の上ゆらめきてかがやき白き炎が移る
赤々と猛き煙を噴き上げて鉄熔けてゆくさまいたいたし
炉の中に熔けゆく鉄が鈴の音の如くやさしく鳴るときのあり
しめりたる鋳型が熔鉄はじく音鉄ひゆるまでしばらくきこゆ
照りかげり窓にはげしきひと日にて鉄磨きつつまなこ疲るる
工場の音に馴れたる雀らが雪の降る日を型場に遊ぶ
熔鉄をそそぐ鋳型がつぎつぎに鉄の香砂の香まじへて匂ふ
強靱となる工程の鋼塊がとどろき上げて灼熱を浴ぶ
熔鉄の熱にほとびし型砂が風に舞ひ立つ砂の香もなく
火の渦の熔鉄の上みだれ立つ炎がときをり打ち合ひて鳴る
工場の屋根の間に見ゆ夕映が窓に動きてしばし明るむ
銹び朽ちし野積の鉄にゐる虫を食ふ鳥が来てひととき騒ぐ
雪の日はぬくみ残れる鋳物場の梁にとまりて雀ら眠る
熱処理の青酸カリを舐めたらむ鼡死にゐて工場さむし
狂ふなき鉄作るため野に積みて銹噴くまでに鋳物さらせり
鉄の香の夢にたつ夜半目覚めゐて寂しかりけりわれの職場は
冷却の水ほとばしる中にして圧延さるる鉄躍動す
労働の汗さはやかに拭き終へて夕映わたる芝生に憩ふ
電気炉のぬくき炉壁に冬を越す蜂ゐて晴れし日は炉の辺飛ぶ
島山の空つよき風通ふらし越えゆく烏流されて飛ぶ
葦枯れて湖のむかうの水漬田の氷りし水がタ日にまぶし
明るき灯あたたかく持つ船がゆく雪凪ぎはてし夜のみづうみ
夜の部屋にふと匂ひ立つ鉄の香はわが持ち帰る職場の匂ひ
群解きて孤独に浮ぶ鴎らが昏れゆく湖の沖に鳴き交ふ
            (「鴎」は原作では正字)
崩れ落ちて波に消えゆく渚雪波に消えゆくたまゆら光る
みづうみもつづく岸田も空さむし風が水打つ水明りして
風ひびく青き冬空みづうみはかぎりなき波ひかるさびしさ
冬晴れのみづうみに立つ沖波がをりをりつよく風にかがやく







昭和四十五年歩道賞(二)


 街 上     伊藤洋子


塗料溶くるにほひ峻烈に漂ひていま目のまへに装甲車燃ゆ
装甲車の燃ゆるむかうにひしひしと群れてこゑなし警官隊は
装甲車の燃ゆる傍へにひとときの憩ひの如くパンを食ひをり
簡明に空晴れをりて装甲車の燃ゆる煙も旗もなびかふ
あからさまに陽の照る道にうつつともなく血に濡れて人跼る
拡声器に人叫びゐる痙攣の如き言葉はわが耳をうつ
角棒を打ちあふ音もおのづからいづる叫びもひとつとよめき
事終へし平安もなく昼すぎの児童公園に吾ら集へる
死者追悼といへどむなしくおのおのの疲労をもちて吾ら跼る
催涙ガスの厚く滞る街の上ゆくりなく冬の侯鳥わたる
バリケ―ドのかぎる路上に何待つとなき人の群れ人は寂しも
荒々しき楯の響をたてながらたちまち迫る警官隊は
事はてて瓦礫おびただしき街の上虚しきにわが耐へつつ歩む
催涙ガスの微かの火傷わが皮膚に留めて現なくすぎし一日か
人充つる重きどよめきをりをりに慟哭のこゑの如く昂まる
              (「昂」は原作では異体字)
壁にあたる催涙弾のにぶき音まぢかに聞きて吾はをののく
人充ちて人ゆらぐ闇つらぬきて催涙弾の閃光はしる
寒の雨に濡るる鋪道を装甲車のサ―チライトが照すつかのま
催涙ガスの雨に消えつつ街のうへ静かなる夜は来らんとする
時計塔巡るヘリコプタ―の轟音の遠く近くここに一日聞ゆ
心たぎちもすでに冷えつつ機動隊戒厳令下の街をわがゆく
放水のなかの時計塔かかはりもなき夕光にかがやきて立つ
昏れしかばかへる静かさ時計塔をひたす闇わが立つ街上の闇
かの日より十日経しかど構内の幾ところ執拗にガスの臭ひす
こぼたれし内部人無き暗黒を窓に見しめて時計塔立つ
しらじらと鉄路光りて機関区の暁さむく吾ら立ちゐつ
機関区の柵へだてつつ警官隊の影あかつきの闇にひしめく
おのづから靴音ひびく暁の街怯懦なるわがあゆみゆく
めぐり来し夏といへどもわがうちに決意も夢もかへり難きか
議事堂の重き形象も示威行進のどよもすこゑも夕映のなか


◇予選委員(佐藤志満・長沢一作・芝沼美重・田中子之吉・由谷一郎)


◇最も注目をひいた作が二篇ある。一つは井上一彦氏の「熔鉄」で、鋳物工場の強烈な状景を凝視し、新鮮に深切な作品となつてゐる。よくこれまでとらへたといふやうに感覚が働いてゐるし、表現も充実してゐて美事だ。湖の歌が終りに数首あるが、これもそれぞれ事象の真実にふれてゐる。井上氏はこれまでもしばしば候補作にあげられ、表現に一沫の甘滑さが惜しまれたのであつたが、今回はさういふ欠点も目立たない。もう一つは伊藤洋子さんの「街上」で、学生騒動の渦中にみづから身をおいた日々の作である。緊張した場面の緊張感をさながらに現はし、交錯する悲哀、虚無の感情も的確に表現してゐる。簡潔な一語々々が動かすことの出来ない場所を占めてゐる確かさなど若い人の作とも思はれない手腕である。ここには主張といふものは無い。ただ身に即した詠歎があるだけだが、それが抒情詩の領域である。受賞作として一を採つて一を捨てるにしのびない。「街上」など再びくりかへす事の出来ない青春の記念である。私は考慮の結果二篇を受賞作として推すことにした(佐藤佐太郎)。







昭和四十四年歩道賞


  山の火     堀山庄次


かの嶺の南水域におこりたる火事の音ここの杉生にひびく
わが対ふひろきなだりを火は進む白き猛煙をさきだてながら
ひと谷を燃やしひろがりゆく火の輪脈々として火の輪鋭し
若萌のただよひやまぬ雑木々に移りゆく火の光かがやく
いましばし松密林に移りたる火焔ほしいまま音ほしいまま
山の火のさかのぼりゆくその中に灼然として白き岩群
山の火の進む台地のあるところ松の一木が火に揉まれゐる
移る火の火先をはばむものなくて茅のなだりはたちまち炎
火事の火の木群に乱れ入りしかばどよめく如し火の中の木々
松林もゆる焔の中にして烈しき焔榁炎ゆるとき
枯草の燃ゆるなだりは巻きあがる焔ゆらゆらとためらふ焔
ひろがりて火事極まればひと谷の煙は高く空に傾く
疾風に長き焔の這ひのぼる斜面の若木靡きて燃ゆる
近づけばわがまのあたり生木より噴く火もろとも火事の轟き
焼跡のいくところにも木の株の燻る煙みな地を這ふ
尾根こえて火力のゆるむこのあたり楢の落葉の一葉が燃ゆる
高々と立ち残りたる枯木より火事の名残の火の噴くあはれ
山火事の余熱に暑き傾斜地に黒く焦げたる石標ひとつ
ここに見る一山黒き灰の山おもむろに日の光が過ぎて
ひびきなく山の焼跡に来しものか蝶は紙片のごとくただよふ
焼山にとどく夕日にあらはれて消火を終へし人ら降りゆく
焼えつきし山のしづかさ頂に灰をひたすら均す夕風
ひろびろと起伏す山の焼跡の一色の黒射す夕茜
逃げのびる手段もなくて山火事の真直中に蛇は死にたる
闇のなか風にきらめく地中火のひとつをめざす水を背負ひて
ひとたびは消えし山の火夜に入りてひそかに風に光る地中火
桧の森の株の火消えてゐるところ暗闇にわが水を捨てゆく
火の騒ぎ静まりし山きびしきに圧すごとき夜の空のくぐもり
火の消えし山の境を踏みをればはや歓楽の街の灯あらし
焼けはてて続く夜の山鳥獣の声なき山の冷えつつぞゆく


◇予選委員(佐藤志満・長沢一作・横尾登米雄・井野場靖・由谷一郎)


◇候補作から一篇を推すとすれば「山の火」が最も有力である。決定後作者がわかつたが、堀山君は営林署に勤務してゐるから、かういふ経験は珍らしいことではないかも知れない。それにしても作者の側に受け入れる態度と力量とがなければこれだけの作は得られないだらう。山火事は単なる風景ではない。しかも動きと変化がある。強烈でしかもいたいたしいところには、人生の一つの反影としての感動があるやうに思ふ。堀山君のこのごろの家庭生活は一面平和であるが、一面悲哀がある。その影がここにもさしてゐるのではあるまいか(佐藤佐太郎)。







昭和四十三年歩道賞


  熔 解     青田伸夫


とろとろに熔けし硝子が炉口より赤く輝きながらしたたる
この熱き炉壁とほしてさかんなる熱放散のかげろふが立つ
機械力のもたらすものによりて生くる日々騒音は免れがたく
地ひびきて震動音のつたひくる米国製機械に歩みちかづく
炉のなかに炎をあげて熔けてゆくものあり錬金術など思ふ
徐冷炉の闇をくぐりてあらはれし硝子の器ひかりみづみづし
自らの歪みのために音たてて硝子の器の割れるときあり
火のたぎち気泡となりていちめんに残る硝子の器がならぷ
埃づく硝子の器ひしめきて雨の日倉庫の空気つめたし
海遠く渡りてきたるカムランの珪砂白々と堆積をなす
熔解炉しばし離れて午休をすごす人らは日蔭に憩ふ
勤終ヘビルヂングより出づる時吾を照らして沈む陽に遇ふ
あはあはと暮れしゆふぐれ掌に触るるがほどに頬の髭伸ぶ
見るかぎり並木さわだち殊更にあかるき坂のうへの夕空
労働のリズム見えつつ壁の画の女ら土に落穂を拾ふ
かすかなる鈴の音してくらき夜の土に下りたる猫あるらしき
街屋根のむらがる涯に雨もよふ曇りに触れてくろき木が立つ
五葉松のこまかき松葉砂の上に散りたまりたるところを歩む
踊り子のギリシヤ少女ら光線のなかにをりをり顔のするどし
古のコロスの如くまのあたりギリシヤ少女の輪唱をきく
遠き代の人のせし如いたいたしき悲劇を見つつこころ鎮むる
そばだちて空につらなる丘街の坂をかすかに人登りゐる
游泳の魚見てあれば向き変ふるとき一様に黒き眼うごく
からだより青き光を放ちつつ盲ひし魚のせはしく泳ぐ
橋いまだ竣らざるゆゑの寂しさか支柱のうへに鴉下りたつ
おのおのの岸より互みに竣りてゆく橋あり鉄の形態きびし
搬土にていたく汚れしトラツクがひとかたに向き列びて静か
川霧のあかるむなかに音もなくクレ―ン動きて鋼材を吊る
汐干にて光る泥より灰白の橋の支柱が幅ひろく立つ
この川に橋を架けゆくあけくれの長き経過は祷りのごとし
(「祷」の「しめすへん」は原作では「りつしんべん」)


◇予選委員(佐藤志満・由谷一郎・菅原峻・芝沼美重・長沢一作)


◇候補となつた十篇を読んで、全体として新鮮さが強く感じられなかつた。対象となつた素材、表現の手法に独自のものがもつと欲しいといふ気持がする。これは「歩道賞」といふあらたまつた見方を私がするためもいくらかあるかも知れないが、やはりそれだけではない。井上君の「湖浜」にしても、いつもほどの鋭さがないし、金岡君谷君の製鉄所も私の「地表」の歌からぬき出たところがあまりない。塙君横尾君等の作もやや平板である。香川君、吉田さん、東さん、谷陽美さんの作が比較的注意をひいたが、三十首全体としてはもう一息の充実が欲しい感じがする。青田君の受賞作は相対的な評価である。これもやや密度に不満がないでもないが、前半に幾首か佳作がある(佐藤佐太郎)。







昭和四十二年歩道賞


  点 滴     大塚栄一


病む母も母を抱きて立つ吾も車の酔ひを耐へて運ばる
母負ひて雪ふぶく窓過ぎるときわが肩掴む母の手ふるふ
移り来し部屋のベツドに饒舌にをりたる母のはや眠りたり
光りつつ雪ふる午後を胴ギプスつけたる母は体厚く臥す
性強き母を義姉とし来し叔母が言葉少く日々みとりゐる
衰へし母が夜すがらつひやしてはづししギプス床に落ちをり
冬日さす壁に雫の映りつつ母の短き夕餉が終る
消燈ののちもしばしば声あげて疎まるる母大部屋に病む
ベツドより下ろさるるとき衰へし母が乱れし髪に手をやる
額の上に汗光りつつ胃洗浄終へ来し母は深く眠れり
衰へのしるきわが母注射せしあとにて赤き唇あはれ
絶え問なくおそふ痛みに反りかへる母を負ひつつ吾は汗ばむ
退院の用意に持ちて来し下駄をわが背にして母の言ひ出づ
木場にゆく廊下は寒し日のあたる窓あれば窓にむるる雪虫
道の面の泥流しつつ降る雨に平たく凍てし雪あらはるる
銭湯の床に冬日がさしゐたり積み重ねおく桶やはらかし
坑道に吹き入りし雪の末端が滲みいづる水に赤く汚るる
空瓶の積み出し終へし倉前の道はよどめる西日のひかり
撚糸機の音やめばつね高くなる女工らのこゑしづげき夜業
水に浮く丸太の上を鳶口に身の平衡をとりつつ歩む
雨降りて暗き二階に研磨機を廻る鋸の火花みじかし
走りつつ声をかけ合ふ一団に遅るる吾子の汗まみれなる
朝の日のたけつつ寒き庭の上は羽虫らとばぬ寂けき光
絶え間なくクレ―ンひびく日盛りに透る人ごゑ短くてやむ
たちまちに葉のおほひたる雪柳葉に押されつつ花の咲きつぐ
暑き日にコ―ルタ―ルを塗りしかば眼覚めし夜半も体ほてりゐつ
夕昏れし発電室にともりたる壁面の灯は床にとどかず
音たてて鉄管の中にゐたる人わがこゑききて顔を出したり
閉されし水門の前おびただしき浮木は乾く日に匂ひつつ
暑き日の照らす廃溝そひゆくにひきつる如く娃鳴きたつ


◇予選委員(佐藤志満・長沢一作・菅原峻・由谷一郎・芝沼美重)


◇予選を通過した十篇の候補作を読んで、「点滴」(大塚栄一)を歩道賞として推薦することにした。「点滴」は前半の病母を詠んだ作が切実で大変良い。把握が鋭く確かで、どれも状態のなかにある悲しい意味を捉へてゐる。後半がややものたりないが、相対的にやはりすぐれてゐる。他は予選委員の感想にゆづるが、旅行して見た状景、周囲の矚目など、相当に手際よくまとまつてゐてもどこかものたりない感じの作がある。それは何故であるか、といふことを私は作者および会員諸氏とともに考へてみたい。創作以前の素因において何か欠けるものがあるのではあるまいか。作者が切実に状景といふものに関係してゐるのでなければ、われわれの心にひびいて来ないのではあるまいか(佐藤佐太郎)







昭和四十一年歩道賞


  冬 森     板宮清治


新らしく雪積りたる松山に樹脂の香清き朝入り来つ
強風のなぎし冬山裸木にいこひのごとき茜さしつつ
夕ぐるるまで働きて杉森の杉重々し風なぎしかば
月出でてわが帰り来る樹木なき山のなだりは雪ひかりをり
裸木の幹きしみつつ凍らんか星空木々の間に遠し
夜おそく月のぼりつつ雪山のおぼろに遠き空の涯見ゆ
冬の雨晴れしゆふべにあらあらしき欅の梢こぞり立ちたり
疾風のなぎし朝に堅固なるもののごとくに冬の朴立つ
冬田にてひと日掘りたる泥と砂凍らんとして砂乾きゆく
新らしく畑土鋤きて今朝降りしきびしき霜もすき込みてゆく
空こめて雪降るときに篁はしづかなる幹光りつつ立つ
空低くなりし夕日に照る冬田かなしく黒き泥つづきたり
耕して富みたるものの過去例を聞きつつゐるに心むなしき
夜おそく帰りしわれにもの言ひて唐突に涙出づるわが妻
麦畑は土凍らんか晩き月出でてさながら闇しづまりぬ
晴天の日々にて牛のために置く塩乾きつつきらめくものを
冬日さす街を歩めば労働の親しさ砂利のひびき聞こゆる
人眠りゐる工事場の砂利の上昼しづかなるかげろふがたつ
朝の霜とけゆく頃は葱畑の葱の香甘しわれは過ぎゆく
雪の下よりあらはれし笹みづみづしき午後にてあまねぎ冬空の青
雪止みし空黄に澄みて夕明りながき冬田をわが帰りくる
牛市の牛黒々と雪の上につながれて今午前のひかり
牛の市終りし広場牛の香のただよふままに夕べ凍りき
霜降りて土しづまりし工事場に鉄打てば広き反響寒し
空罐に燃ゆる炎に暖をとる人等夜ゆゑみなうつむきて
       (「罐」のつくりは原作では新字体)
かぎりなく雪舞ひたたんあかつきと思ふ鋭き風わたりつつ
北空に厚き曇りの動くひと日わが打つ冬の畑土重し
今しがたわがわたり来し踏切の雪照りて夜の列車過ぎをり
照明に照らされて立つ樹木見え雪降る夜空低く見えをり
桑畑の冬枝低き畑をゆくわれも没日もあかあかとして


◇予選委員(佐藤志満・長沢一作・由谷一郎・菅原峻)


◇予選を通過した十篇の候補作を読んで、予選一位である「冬森」を歩道賞として推薦する。感覚が鋭く清いのは板宮君の特色であるが、歌集「麦の花」以後現実感の厚みが加つて来てゐるやうに思ふ。「冬森」の印象を端的にいへば凛烈である(佐藤佐太郎)。







昭和四十年歩道賞


  冬 丘     西川敏


草枯るるまで日照りたる夏の半ばすでに病みつつ母耐へゐしか
病名をあやしまぬさへ悲しきにまのあたり母は衰ふるなり
義歯とりて相好変りはてし母麻酔さめんとしつつあぎとふ
衝撃ののちの余韻のごときものわが明暮の籠る悲しみ
夜更けし部屋に甘き香ただよふは谷戸に咲きゐる葛の花の香
きりん草の高くかかげし花群に射すや寂しき晩夏のひかり
うら若き命終を母にみとられし兄を羨しくいまわがおもふ
手術して見きはめし生かすかなる母の現身を家に迎ふる
薔薇の実の紅のふかきを秋ごとに収めつつ来し母いまは病む
病む母の問ふとしもなき呟きの聞ゆるときに鋭くもあるか
街川に潮さかのぼりゐるうつつ母の細胞ほろぶ刻々
腹水は管を経て壜にしたたりぬかくしつつ母の体衰ふ
折ふしに意識明らけき母の生からうじて新しき年を迎へつ
始終なくまどろむ母にありありと顕つらし臨終の祖父の面影
あけがたにやうやく眠りたる母の眼窩に汗の塩光るあはれ
かすかなる声聞ゆると思ふときうつつなき母われを気遣ふ
みとりつつ夜明けしかばわが服に母より落ちし髪おびただし
八手咲く中庭のしめりたる土に午後ひとたびの寒き日の射す
肉落ちてあらはになりし胸廓を絞るごと入る息出づる息
おのづから水たまりゆく肺の音聴診器より聞ゆるといふ
脈絶えし母の四肢未だ冷えざるは湯婆を妻に入れしめしため
現身のつひの吐息とおもふときまのあたり母の貌しづまりぬ
むらぎもの心咽びて黙すとき浄くよみがへる母と吾の過去
しらじらと西日をかへす薄氷枢は溜池の岸を過ぎつつ
光りつつ枯草さわぐ朝の丘母焼くけむりすでにのぼらず
風ひびく低丘に骨を拾ひをり風過ぐるとき母の骨とぶ
立ちならぶ墓標光れる丘のうへ風つよけれぼ空青く見ゆ
静かなる部屋に立ちのぼる香煙を目守りつつゐていつか徴睡む
母の死とともに肉親の愛もちてわれの怒りに耐ふるもの絶ゆ
母の死と相前後して花散りし山茶花は丘に幹白く立つ


◇予選委員(佐藤志満・山本成雄・横尾登米雄・長沢一作)


◇「冬丘」は母の死が素材であつて、素材そのものに重みがある。それだけでなく、「義歯とりて」「腹水は」「あけがたに」「みとりつつ」「風ひびく」など観察が深刻である。病名をはつきり言はずにしかも重大な刻々を暗示した歌など力量を思はせる。一首々々甜滑でないのは勿論だが、いくぶん歌が固くてやや流動の気を欠くうらみがあるだらう(佐藤佐太郎)。







昭和三十九年歩道賞


  新潟地震     五十嵐輝男


見るかぎり家壊れたる街とほく光乱れて立つ土埃
陽の光くらみて空を覆ひたる猛き煙は製油所に立つ
石油タンクの燃ゆる煙は夜に入りて激つ炎の輪郭が見ゆ
泥水のとほきひろがり眩しきに死体をさがすひと群れゐたり
くろぐろと石油の浮く河の面に死にて流るる魚おびただし
鋪装路の地割れしところ波のごとき土の隆起が垂直に立つ
泥白く輝く道に現身の目まひしをりて還る悲しみ
川口の水の広がりとほくまで街を浸して海につづける
いつたいに泥の流れし陥没地バス犇きて泥に埋れつ
家のなかより運びし泥の堆積のさながら匂ふ路地を過ぎ来つ
家暗きなかを浸せる泥水のおぼろに見えて動くともなし
水漬きし家のめぐりに流木の打ち合ひながら夜の潮ながる
万代橋上流の川常のごととほく光りて船わたり来る
河岸の陥没のあと泥水の渦巻くところ地下水が湧く
泥水にからだ浸りて歩みゆく眩しきまでの夕映のなか
地割れより湧く水ありて鋪装路の広き範囲は泥濘となる
泥水の流れしあとの家のなかあらはに見えて人は働く
避難命令の解かれし家に地区ごとに家族集ひていま帰りゆく
給水車の来ればすなはち焼跡の暑き広場にひと群るる見ゆ
打寄せし魚の木箱のおびただし広き鋪道に魚の香は充つ
いつたいに水に浸れる夜半の街水明るみて風ふきとほる
年ごとに地盤の沈むこの地帯津波のあとの濁流ながる
万代橋をわたりゆくとき野菜など背負へる人の中にわがをり
街なかにものものしくて警官のぎつしりと立つトラツクが過ぐ
床下を浸せる水は泥の水起き伏すひとら疫病を怖る
まどろみの覚めてわがゐる暁に地震のなごりときおきて過ぐ
灯の下に家族集ひてゐる夜半の街に見舞の人はゆき交ふ
道のべにもの売るみれば茣蓙の上に罐詰の類うづたかく積む
街なかにテントがありて救援に疲れし人らうづくまりゐる
雑沓の道に積み置く家具のひまゆふべ家ごとに七輪を焚く


◇予選委員(佐藤志満・長沢一作・横尾登米雄・山本成雄・由谷一郎)


◇賞に入る作となるためには、なかに傑出した歌が幾つかあることが必要だが、三十首全体として粒がそろつてゐることがまた条件となる。候補作十篇を読んで、「新潟地震」(五十嵐輝男)「筑紫行」(河原冬蔵)とがその条件を充たし得るものとおもつた。そして更に熟読の結果「新潟地震」を受賞作と決定した。「新潟地震」は、地震の直後郷里である新潟に帰つたときの作で、現地にあつて体験したのとは違ふけれども、ただの旅行者とも違ふ眼で災害の実相を見てゐる。把握が確かで、三十首すべて平均した力量を示してゐる。「水漬きし」「避難命令の」「いつたいに水に浸れる」など数首は、しづかな詠みぶりのなかに深刻な重みをたたへてゐる(佐藤佐太郎)。







昭和三十八年歩道賞

  受賞作無し







昭和三十七年歩道賞


  島     杉山太郎


視界なき曇をいでて茫々と波の騒立つ海のうへを飛ぶ
           (「視」は原作では旧字体)
虹の輪をもちて空ゆく飛行機の影おぼおぼと雲の上に顯つ
それぞれに雲をいただくわたなかの島一つづつ見えて空ゆく
御藏島上空を過ぎおほよそに曇はれたる海は輝く
海上を見つつゆくとき夥しき魚波のうへを輝きてとぶ
岸の波あざやかにしておのづから島の寂しきたたずまひ見ゆ
一方に風になびきて青々と渚につづく萱の草原
熔岩帯の向うに荒るる海の上八丈小島の頂くもる
山一つ越え來て歩む荒磯の熔岩帯を吹く風暑し
外海のかぎりなき波熔岩の黒き平をへだてて見ゆる
熔岩のあかき巖の入江なす底土ケ濱は霧ふ夏日に
遠くまで潮引き居りて乾きたる熔岩流の跡しらじらし
岩群をへだてて光る引潮の遠き渚を鳶低くとぶ
瀬にたちて長き波音風のごとここに聞ゆる萱原來れば
濱原に音ひびきつつしほはゆく暑き南の風吹きわたる
一つ残る銃座の跡に濱木綿の花潮風に吹かれつつ咲く
風あらぶ濱を過ぎ來て檳榔樹の林騒立つ島の道行く
萱原のところどころに玉石を垣に組みたる墓地日に乾く
龍舌蘭の茎たかだかとゆらぎ立つ燈台の庭降る霧のなか
          (「茎・台」は原作では旧字体)
この島に一つある瀧わたつみの海の渚にあはれとどろく
石濱に湧く湯のけむり低くたつ一日あらびし風をさまりて
湯を圍ふ石の輪いくつ濱に見え末吉村の子供等あそぶ
渚近く湧く湯のたたへに人憩ふ湯になびきゐる海草見えて
校庭にひろげ干したる天草の香にたつところ蜻蛉群れとぶ
染料の木の皮匂ふ峡の家晝ひそけきに機の音する
あぢさゐの花傾けて吹く風の音のさびしき島山の峽
島山の峽夕暮れてさわだてるフエニツクスの畑に人居り
一夜降りし雨はれしかばこの島に牛角力たつ太鼓の音す
闘ひのよそほひにして紅白の網背に結ぶ牛ものものし
船のもつ灯をふりさけてタ雲の白く寂しき高天を飛ぶ


◇予選委員(佐藤志満・長沢一作・山本成雄・平井寛・由谷一郎・芝沼美重)







昭和三十六年歩道賞


 海沒地帶     薩摩慶冶


五十五萬坪に及ぶ地盤の沈下して潮滿つるときたてる白波
潮滿つる音さやかにて海沒地のところどころに動く芦群
海沒の湛ふる水に親しみて水面をたたき飛ぶ海の鳥
外島といふ町名のあるところ海沒されて今水の中
粗々しき夕映の中海沒の水に浸りてたつ墓石群
一帶に霧の流るる海沒地迷彩古りしトーチカおぼろ
褐色の水を湛ふる海沒地音さえざえと潮ながるる
癈工場のあらき鐵骨も煙突も波にうたるる朝霧の中
鐵骨の下に水漬きしいくつもの爐筒をめぐる海の鳥あり
送泥管を長く傳ひてほとばしる反響のなき送泥の音
海沒地を過ぎゆく荒き風のむた褐く濁りし水はさわだつ
區切りなき曇りのはてに見えてゐる海沒地帶の上の夕映
おびただしきテトラポツトの並びゐる干潟は遠き夕映の下
湿地帶は海近くしてまぎれ來し海猫いくつ沼をめぐれる
鐵管工事の深き地底より氣たちて泥運ばるるベルトに乗りて
干潟よりむれたつ鷗おもむろに列整へて防波堤を越ゆ
濕原の中にひそみてゐる如き水見ゆ霧の移りゆくとき
ビニールの送泥筒をねばねばと泥うねりゆく灯に照らされて
湿地帶に僅かに生ふる草の上雲雀の鳴きし間みじかし
濕原の向うの川をゆく船の上部が見ゆる堤防の上
石の鳥居草生の中に見えながらこの濕原に滿つるむなしさ
海よりの風吹き通ふ濕地帯音なき水を重く湛ふる
沈下して水ぎはの草につづく家せまき畑も濕原の内
煮つめたるものの臭ひのそこはかと漂ふ路地を吾が歩みをり
あきらかに地盤の沈下眼に見えて龜裂はげしく鋪道傾く
崩れたる垣にまつはるつるばらの土低く咲く貧しき花ら
工場群の上の曇りにきはだちて赫き煙のいきほふ夕べ
絶間なきはしけの音の轟きて黒き運河に船をみちびく
流れなき癈水臭ふ街川のその上の空つゆの午後にて
曇り日の運河に荷役する船の砂利おとす音ひとつきこゆる


◇豫選委員(佐藤志滿・長澤一作・横尾登米雄・山本成雄・菅原峻)


◇候補作五編は殆ど伯仲した出來榮といつていいだらう。私は熟讀考慮した結果「海沒地帯」を受賞作と決定したが、これは素材の重さを評價したのである。一篇三十首は、一首一首獨立したもので、聯作になつてゐてもゐなくてもいいが、全體の素材の重さといふことが一篇の價値の上に大きく働いて來ることを否定し難い。「海沒地帯」は特殊な境地で深刻でもあり新鮮でもあるが、それに立ち向ふ作者の眞劍さがありありと感じられる。一度見て通つたといふのでなく、何度も角度を變へて同一の對象に取り組むといふ熱心さもいい。三十首といふ大作をまとめるには相當の努力精進がなければ出來ない。私はその努力を尊重したい氣持があるので、選に漏れた應募作についても暇をみて眼を通し、出來れば感想を附けて返送したいと思つてゐる。この企劃に参加するといふ事の意義が入賞するといふ事以外に、自身の作歌の上に大いに意義があり、或る場合には成長の轉機となるだらと信じてゐる。第二回以後に於ても力作を多く寄せられるやうに希望したい。(佐藤佐太郎)

〔 年度賞(S36~57)