今月の歌論・随感  【最新版】 【2003(平成15)年~2024(令和6)年一覧

 

  二〇二四(令和六)年二月号    


      手本を学ぶ         大塚 秀行


 歩道短歌会の事務局を担当してより三年が過ぎた。その中で気になることがある。会員から送られてくる詠草の中に他人の歌だとはっきり分かる歌が交っていることがあるのだ。偶然に他人の歌と似た歌ができる場合があってこれは止むを得ないが、他人の歌をそのまま自分の歌として出すのはよくないのである。
 一方、私たち歩道会員は、斎藤茂吉や佐藤佐太郎の歌の優れた表現を自らの歌に生かしたいという願望を持っているのも事実であり、作歌をする上で大切な態度だと思っている。そこで、他人の歌をどのように自分の歌に生かしていけばよいのかを考えてみたい。
 佐太郎の『短歌作者への助言』の「手本を学ぶ」に次のように述べられている。
 歌を作るには「手本によって練習する」必要があるというのは、習字のようにあるいは臨画のように手本をそのまま真似て習うということではない。良い歌はどのように現実を現したかということを学び、短歌の調子・声調を学ぶのである。
 この佐太郎の指摘の中に、良い歌を作るための重要な示唆がある。具体的な例を挙げてみる。
 〇現身は現身ゆゑにこころの痛からむ朝けより
  降れるこの春雨や  斎藤茂吉『あらたま』
 〇うつしみは現身ゆゑにこころ憂ふ笹の若葉に
  雨そそぐとき    佐藤佐太郎 『帰潮』
 佐太郎の歌は、茂吉がどのように現実を現したかということを学んで作られた歌の好例である。
 次に、秋葉四郎が佐太郎の歌から学び作歌した例を挙げてみる。
 〇花にある水のあかるさ水にある花の明るさと
  もにゆらぎて    佐藤佐太郎 『開冬』
 〇花にある花のかがやき人にある人のかがやき
  桜咲く道      秋葉四郎 『来往』
 秋葉の歌は、佐太郎の歌の調子・声調を学んで作られた歌の好例である。
 佐太郎は『短歌作者への助言』の「模倣」に次のようにも述べている。
 斎藤先生は「悟入に手間取り」「模倣に手間取り」して成長したのであった。会員の諸氏もまた「悟入に手間取り」「模倣に手間取り」して徐徐に成長して行っていいのである。




  二〇二四(令和六)年一月号    


     境涯の出た歌         波 克彦


 佐藤佐太郎先生の第十二歌集『星宿』後記には、「私はこのごろ、歌に作者の影がさしてゐなければならぬやうに考へる。歌は境涯の反映だといふ考へと結局は同じだが、あまり窮屈ではなく、何を詠んでも、作者の影が差してゐればいいと考へるやうになつた。老境になつて、ほとんど歌論をしなくなつたから、最後の言葉として伝へる。」と記されている。
 佐太郎先生は『短歌作者への助言』の「詠嘆」の項に、「どこまでも自身に直接なものでなければならないというのが、斎藤先生の意見であり、私の信念でもある。」と述べておられる。
 短詩系文学の一つである俳句は、字数も五七五と少ない分、短歌より軽い気持で作りやすいからか、俳句に親しむ人の数は短歌より格段に多い。その原因は、短歌は五七五七七と字数が俳句より十字多いから作りにくいように思われてしまっているからであろう。俳句については素人だが、俳句は文学的嗜好から好まれているかもしれないが、俳句では短歌ほど深い境涯が出たものは作れないように思う。
 短歌作品には作者の境涯が出ており、専門歌人でなくても多くの短歌作者の生活の一部となっていて、高齢になつても短歌作歌を続けられる所以であり、それぞれの作品に境涯が出ているからこそ、他者に深い共感をもたらすのである。「歩道」という短歌結社に所属して短歌作品の創作に切磋琢磨しているわれわれも、実際に会ったりしていなくても、毎月の歩道誌の作品を通じて、歌友を身近に感じ合っているのである。このような仲間同士の繫がりをもたらす効果は、作品に作者の生活に根差した境涯が出ているからこそ得られるものであり、短歌が、短歌作品を通じて知己となり、お互いの生活を支え合う文学であることを改めて認識している。そういう意味でもわれわれの歩道短歌会を誇りに思い、毎月の歩道誌の発行に引き続き力を注いで行きたい。
 茂吉や佐太郎のような偉大な歌人の優れた作品を鑑賞し理解して短歌に親しむとともに、それぞれが自分の経験・体験した事象を一首に表し、その作品を何年か経った後に読み返しても当時の感動が新たに甦る作品であれば境涯が出ていることになり、その作品が読者にも深い共感を与えるものとなる。