今月の歌論・随感  【最新版】 【2003(平成15)年~2024(令和6)年一覧

 

二〇二四(令和六)年五月号    


      「歩道」と花        星野 彰


 昨年の『歩道』十二月号の作品欄の作者は二百七十六名、掲載歌数は約千四百首でありその内の約三百首に花の名、樹木の名が詠み込まれている。(以下、花に統一する)二割強の歌に花が詠み込まれている。『歩道』の歌には何故このように花を詠み込んだ歌が多いのだろうか。詠み方には色々ある。花そのものを詠んだもの、生活の添景として登場するもの、覇旅の矚目として歌われたもの等である。いずれの詠まれ方にしても、花を詠み込んだ歌が多い理由は、写生短歌を旨とする歩道短歌会の行き方と大いに関係があるものと思う。写生とは観ることに始まる。観ることとは目に見えるものだけを見るということではない。視覚を含む五感で感じること、更には、心に生起する感清を感じることである。そして視覚こそが最も普遍的な外界認識の手段であろう。その視覚により身辺を見回して心を動かされるものの一つが花である。心が動けばそれを表現しようと努力する。心が動くとは、美しい、麗しいといった気持ちだけでなく、その花にまつわる思い出、花から連想される物語性が喚起され、それは作歌の大きな動機となる。それは受動的な受け留め方であるが、写生短歌を旨とする我々は能動的な姿勢をもって、つまり作歌への意欲をもって花に向うのである。生活の添景としての花も常に写生の目を持てばこそ目にする花の具体的な名が脳裏に刻まれ歌の中に現れるのである。やはり、ものを見るという写生の基本姿勢を大事にする故に花の歌が多いのである。先師佐藤佐太郎にも花の歌は多い。佐藤佐太郎全歌集(現代短歌社文庫)に収められている約六千五百首の内、約二千首に花が詠われ、花の種類は約三百七十種に上る。佐太郎は『短歌指導』のなかで「もともと感動というものは、見たり聞いたりする、その事が感動だといってよいので…表現の方法としては、とにかく実際に即してありのままを直接にあらわす」と言っている。われわれは花を詠むにもこの教えに則ろうとするのである。花においてもわれわれは佐藤佐太郎を継承しているのである。花の歌がいかに多くともそれぞれの歌には作者の個性、感動が満ちて画一的ではないのである。それが「歩道」の花の歌である。




二〇二四(令和六)年四月号    


      茂吉の言葉         戸田 佳子


 私の手元にある歩道誌で最も古いものは昭和二十八年一月号で、その五月号が「斎藤茂吉追悼号」である。斎藤茂吉は昭和二十八年二月二十五日に逝去。佐藤佐太郎は「歩道」五月号で茂吉を追悼した。令和五年は茂吉没後七十年に当たったので改めてこの追悼号を読み直した。二十七名が執筆している。執筆者と題名は「歩道」令和三年十二月号の香川哲三編「佐藤佐太郎詳細年譜( 27)」に詳しい。
 本稿では五月号の追悼号から佐藤佐太郎の「『歩道』をめぐる思出」を取り上げる。「『歩道』といっても、私の処女歌集ではなく、雑誌の方だが」と断って茂吉との思い出を語っており、その思い出の場面、場面で茂吉の言葉が記されている。「即座の談話であっても先生の言葉には作歌四十年の実歴が圧縮されてゐた。」と佐太郎は述べている。その茂吉の言葉を紹介する。(一)は歩道の歌会が終ったあとの座談である。「東京に帰ってから毎日孫を対手に遊んでゐるが、孫といふのは文句なしにかわいい、これは理屈ぢやなくかわいいもんです。皆さんは私から見れば孫のやうなものだ」「とに角歌は実相に観入するしかない。へその下に実相観入といふ信念を持ってゐればいい。骨髄に徹してるものをひとつ持ってゐれば、師匠は無限にある。今頃なにも南無阿弥陀仏ぢやあるまい、写生ぢやあるまいといふが題目をとなへる如く写生々々ととなへてればいい。腹の据ゑどころさへきちんとしてれば、あとは自由自在にゆく」。(二)また茂吉が作歌に入った機縁の幸運を回顧し、このつづきに「しかし人間は、ある程度までは、これはかなはないといふ気持を持つてゐなくてはいけない。レオナルド・ダ・ビンチのやうな大家が、バチカンでミケランジエロの壁画を見てしほしほとなるところがある。あれがいい。ああいふ偉い大家でも自分の芸術に対して悲観してゐるところがある」(三)山形から東京の歌会に出席した青年には「はるばる山形から出て来たんだから、何か学んで帰らなければならないよ。」「歌は将棋のやうに勝負が分かるもんだ。自分はとてもかなわないと思つた時は背筋に冷汗を流すやうな熱意がなくちやならないもんだ」云々。茂吉の熱い言葉に身の引き締まる思いである。




二〇二四(令和六)年三月号
    


      思いつくまま四       長田 邦雄


 前回、私の「歩道五句索引」について先生の言葉を記憶のみを頼りに少し書いたが、秋葉四郎氏が文字におこして「青九号」(昭和五十年六月)に載せているので、ここに抄出する。
 この記念会は他にU氏が経済学を研究するために東京を離れることになつた送別の会もかねて開いた。紙数の都合で彼への先生の言葉はやむなく省略した。「青」は秋葉四郎氏を中心に当時二十代三十代の仲間で先生を勉強した。皆先生の「弟子」であるという自負があった。その若い弟子への先生の言葉である。
       〇
〇斎藤先生はこういう地道な勉強というか仕事が好きで、僕らにもよくそういうことをやれということをいっていました。ところが実際にはなかなかそれができない。こういう地道な仕事はやさしいようで努力して継続するというのはむづかしいものです。
〇とにかく地道な努力をして仕事をするということは敬意に値する。こういうものが一つあればこれをもとにして考えたり、足場にしていろいろすることができる。たとえば「歩道」なら「歩道」みたいな言葉をどの位使っているか、随分出てくる。私は金へンの「鋪道」を歌集の名前にしようと思った。斎藤先生はすぐに歩く方の「歩道」に直してくれた。やっぱり考えることが上手です。そういう風にこの索引によっていろいろなことが考えられる。
〇君達の仕事で一つ感心だと思うことは、私のところに合本にして「アララギ」の古いところなんかずっとあるんだが、それについて貸してくれとか見せてくれとかいってきたことがない。なんでもないようだが、ある意味ではそういうのが自分で努力するということにつながることなのかも知れない。
〇たとえば「いきしか」と読むか「ゆきしか」と読むかというようなこと、こんなことは作者が生きているんだから作者に聞いたらいい。そういうところはうまく利用する方がいい。しかし考え方としては若いのに感心なところがある。自分で調べようというようなね。言葉としては「いきし」だけれども「ゆきし」と読むのがいいです。




  二〇二四(令和六)年二月号    


      手本を学ぶ         大塚 秀行


 歩道短歌会の事務局を担当してより三年が過ぎた。その中で気になることがある。会員から送られてくる詠草の中に他人の歌だとはっきり分かる歌が交っていることがあるのだ。偶然に他人の歌と似た歌ができる場合があってこれは止むを得ないが、他人の歌をそのまま自分の歌として出すのはよくないのである。
 一方、私たち歩道会員は、斎藤茂吉や佐藤佐太郎の歌の優れた表現を自らの歌に生かしたいという願望を持っているのも事実であり、作歌をする上で大切な態度だと思っている。そこで、他人の歌をどのように自分の歌に生かしていけばよいのかを考えてみたい。
 佐太郎の『短歌作者への助言』の「手本を学ぶ」に次のように述べられている。
 歌を作るには「手本によって練習する」必要があるというのは、習字のようにあるいは臨画のように手本をそのまま真似て習うということではない。良い歌はどのように現実を現したかということを学び、短歌の調子・声調を学ぶのである。
 この佐太郎の指摘の中に、良い歌を作るための重要な示唆がある。具体的な例を挙げてみる。
 〇現身は現身ゆゑにこころの痛からむ朝けより
  降れるこの春雨や  斎藤茂吉『あらたま』
 〇うつしみは現身ゆゑにこころ憂ふ笹の若葉に
  雨そそぐとき    佐藤佐太郎 『帰潮』
 佐太郎の歌は、茂吉がどのように現実を現したかということを学んで作られた歌の好例である。
 次に、秋葉四郎が佐太郎の歌から学び作歌した例を挙げてみる。
 〇花にある水のあかるさ水にある花の明るさと
  もにゆらぎて    佐藤佐太郎 『開冬』
 〇花にある花のかがやき人にある人のかがやき
  桜咲く道      秋葉四郎 『来往』
 秋葉の歌は、佐太郎の歌の調子・声調を学んで作られた歌の好例である。
 佐太郎は『短歌作者への助言』の「模倣」に次のようにも述べている。
 斎藤先生は「悟入に手間取り」「模倣に手間取り」して成長したのであった。会員の諸氏もまた「悟入に手間取り」「模倣に手間取り」して徐徐に成長して行っていいのである。




  二〇二四(令和六)年一月号    


     境涯の出た歌         波 克彦


 佐藤佐太郎先生の第十二歌集『星宿』後記には、「私はこのごろ、歌に作者の影がさしてゐなければならぬやうに考へる。歌は境涯の反映だといふ考へと結局は同じだが、あまり窮屈ではなく、何を詠んでも、作者の影が差してゐればいいと考へるやうになつた。老境になつて、ほとんど歌論をしなくなつたから、最後の言葉として伝へる。」と記されている。
 佐太郎先生は『短歌作者への助言』の「詠嘆」の項に、「どこまでも自身に直接なものでなければならないというのが、斎藤先生の意見であり、私の信念でもある。」と述べておられる。
 短詩系文学の一つである俳句は、字数も五七五と少ない分、短歌より軽い気持で作りやすいからか、俳句に親しむ人の数は短歌より格段に多い。その原因は、短歌は五七五七七と字数が俳句より十字多いから作りにくいように思われてしまっているからであろう。俳句については素人だが、俳句は文学的嗜好から好まれているかもしれないが、俳句では短歌ほど深い境涯が出たものは作れないように思う。
 短歌作品には作者の境涯が出ており、専門歌人でなくても多くの短歌作者の生活の一部となっていて、高齢になつても短歌作歌を続けられる所以であり、それぞれの作品に境涯が出ているからこそ、他者に深い共感をもたらすのである。「歩道」という短歌結社に所属して短歌作品の創作に切磋琢磨しているわれわれも、実際に会ったりしていなくても、毎月の歩道誌の作品を通じて、歌友を身近に感じ合っているのである。このような仲間同士の繫がりをもたらす効果は、作品に作者の生活に根差した境涯が出ているからこそ得られるものであり、短歌が、短歌作品を通じて知己となり、お互いの生活を支え合う文学であることを改めて認識している。そういう意味でもわれわれの歩道短歌会を誇りに思い、毎月の歩道誌の発行に引き続き力を注いで行きたい。
 茂吉や佐太郎のような偉大な歌人の優れた作品を鑑賞し理解して短歌に親しむとともに、それぞれが自分の経験・体験した事象を一首に表し、その作品を何年か経った後に読み返しても当時の感動が新たに甦る作品であれば境涯が出ていることになり、その作品が読者にも深い共感を与えるものとなる。