〔歩道賞 一覧(S36〜H14) 一覧(H15以降) 作品 S36〜49 S50〜59 S60〜63 H元〜14年 〕

 平成二十八年度 歩道賞受賞作    


   日 々        長田邦雄

商ひに日々わが通る安行(あんぎよう)の蜜蔵院は桜あふるる
春彼岸すぎればいづこも花あふれ凡々として桜たのしむ
いただきし莢碗豆は春のかをり二回に食ひて今日を送りつ
桜散りいとまなくつつじ咲きたりと思ふ一日春を惜しまん
脈絡のなき夢いくつわが覚めてただよふ心いかに納めん
生垣の山茶花をしのぐ笹竹は立夏涼風にその葉輝く
是よりは草加宿とふ(しるし)あり風にながれて桐の花散る
去年まで稲植ゑし田を埋めたてて住宅十五戸の建築すすむ
三十年取引ありし会社ゆゑテレビコマーシヤルをなつかしく見る
四歳の幼といへど多忙にて帰れば三日すでに恋しき
歳月を深く内包せし公孫樹五日春光の影ひきて立つ
妻と来て薄木菟(すすきみみづく)といふ玩具ひとつ求めて帰路となりたり
逝きし子を孫に重ねてゐるべしと妻いへば然り妻さへ然り
その母に似てきて背中丸くなりし妻を伴ひ施餓鬼会に来つ
二十名の僧の読経に浸りつつ亡き子の思ひ妻と分かちつ
施餓鬼会の済みし堂より葉の茂る公孫樹の奥に子の墓がみゆ
一年に一度亡き子を弔ひて散華いただく安寧のため
施餓鬼会に亡き子の卒塔婆わが立てて久しくなれば妻も老いたり
店を休み老いの一日(いちにち)遊ばんか露店に妻は耳掻き作る
廃業の特別販売してをれば近未来図のわが店ならんか
日常の茶飯の内に認めたる老いの姿ぞものにむせるは
進行性病ひにつひに面変り言葉なくなりし君を見舞ひつ
病状は深刻にして車椅子にもたるる君の明日いかならん
生垣の山茶花を刈らず日々すぎて今日の多忙を言ひ訳けにしつ
飛行船はゆるやかに旋回したるのち頭上まで来て上昇したり
自らの神を盾にし矛として戦ふ民族に未来なからん
生垣を剪定せんとわが決めて近づく雨季に心いそがし
子雀は巣立ちたるらし騒がしき昨日静かなる今日の軒かげ
妻の作るアクリルの束子わが店のサービスとして長くなりたり
商ひの範躊せまくなりわれの残余かすかなる店を維持せん




 歩道賞候補作(十首抄) ※作者五十音順


   鴨山行        上野千里

縄文の森しのばせて限りなし三瓶小豆原埋没林は
四千年埋もれ生きたる杉にほひ太古の風の吹きくるごとし
降る雨に庭の古木の苔ひかり本陣屋敷しづまりてをり
牛馬にて銀を運びてゐたる道なごりとどむる小原のまちは
ゆく春の雨にしけぶる津の目山こころに迫り茂吉しのばす
寺庭にわれの悲しみうながして雨の音聞く風の音きく
川音のきこゆる宿に眠るときふるさとに病む母思ひいづ
いづこにも光しみ入る美郷町きのふの雨に若葉かがやく
藤の咲く女良谷川に沿ひ行けばわれさへこころ引きしまり来つ
通信の少なき世にて入麿の妻恋ふる歌しのばれやまず


   木造の音       樫井礼子

山葵田に人出で砂利を消毒すバーナーの音底ごもりつつ
雪除けのシート外され干されゐる幼き山葵の苗育つうへ
かすかにも風の立つらし山葵田に濃淡ありて梅の香とどく
安曇野の古代の民を治めたる魏石鬼(ぎしき)八面大王(はちめんだいわう)在りき
常念岳見ゆると母に示しつつ人けなき昼温泉に入る
雪見んとして窓の辺に寄る母がやすやす転ぶ足のもつれて
里近き山にいちめん雪積めど早々消えん春雪なれば
雪形のすでにあらはれ三月の常念の嶺うす日にけぶる
わが母のふるさとの村いたるところ御柱祭(おんばしらさい)祝ふ旗立つ
山村のくらき森にて男らが木造(きづくり)と言ふ神事をぞ為す


   千羽鶴        草葉玲子

二年経て一人の医師の目に留まりわが病因の明らかとなる
病名に行き着くまでの歳月をわれは虚しく思ひ出でをり
背に負ひし日も遥かなり入学式終へたる少女が雨の中来る
うかららの願ひこもれる千羽鶴をりをり仰ぐ手術の近く
効なさぬ手術のあとの抜糸にて鋏のかすかなる音を寂しむ
再びの手術とならん娘らが励ますともなく足しげく来る
難易度の高き手術と言ふ医師にこころ預けて眠らんとする
ステントの手術終はりて健やかに血流腹をめぐる安けさ
命得て帰り来にけりわが庭は白さえざえと姫沙羅の咲く
脚力の日ごと戻りて公園の歩みけふより一周伸ばす


   トルコ紀行      猿田彦太郎

エーゲ海に近き涸れ池はおのづから塩の乾びて輝る日のまぶし
田計里(たげり)とふ鳥は頭に長き羽根反らし勢ひて木の間を移る
大きなる(うろ)をもちゐる篠懸の葉蔭に憩ふ宮殿出でて
イスラムの分厚き経典陳列のパピルスに文字色さびて見ゆ
古代地の瓦礫のなかに黄に熟るる無花果あれば妻の駆け寄る
四千年まへなる土を踏みしめてエフエソス趾に今われは立つ
エフエソスの遺趾は石を()り貫きて水を送りしその溝乾く
聖母マリアの家なるところエフェソスの丘に煉瓦の屋根赤く見ゆ
億年を越えて火山の奇岩立つカツパドキアにけふの日送る
カツパドキアの洞穴の宿部屋なかに妻おろおろと坐るともなし


   朝の山々       細貝恵子

笠が岳の尾根にかかれば雷鳥の脚はや白く冬の近づく
雨脚の早くなりたる岩のうへ若き雷鳥雨をいとはず
谷の上の雲が間のなく乱れつつ山を被ひてまた雨の降る
雲海のはてより日の出でおごそかに(しゆ)に染まりゆく朝の山々
朝冷の空にひときは深々としたる朱となる北アルプスは
いただきの真下の雲よりあらはるる深きキレツトにおのづとひるむ
屏風岩黒光りして雨により生れたる滝が(ただ)下に落つ
嵐にてあまた落ちたる樅の実を横ぎる猿らひたすらに喰ふ
冬眠に備ふる熊の好むとぞぶなの実食へばよき味のする
涸沢の雪渓に出づる源流がもみぢの岩の間躍り流るる


   妻病む        星野  彰

付添ひは要らぬと少しく気を張りて診察室に入りて行きたり
表情の失せたる顔に窓外を見詰むる妻の手を取るわれは
小夜中に眠れぬ妻のわが部屋に入りきて嘆けば窓白み来つ
癒ゆるかと尋ぬる妻の薄き背をただに抱き寄すわれも涙し
半年を耐へ忍びたる妻なれば尚こらへよと吾は言ひ得ず
一錠が二錠となれる睡眠剤妻にいつ来る安らぎの日は
この夕べかすかに聞こゆる秋雨の軒打つ音に心なえゆく
わが肩に頬寄せ妻の眠りをりまた見せなんか彼の日の笑みを
歳旦の常と変らぬ時の過ぐ妻と吾との静けき日々は
妻のわが野州訛をまぬるのは癒ゆるきざしかけふ頻りなり



  
選考経過        秋葉 四郎

 昨年は応募が低調で心配されたが、多くの会員の配慮により、今年の歩道賞の応募は、四十二編となり、ありがたかった。こういう結社賞は伝統があり、安心して応募でき、最高の勉強の機会である。今後も多くの会員の奮起を期待したい。
 応募作の名前を伏せた作品を選考委員の、戸田佳子、波克彦、秋葉四郎の順で回覧し、めいめいが十編を選出した。絶対数が復活したから、当然ながら選出数を元に戻したのである。その結果は別表の通りで、選考委員二人以上が採った作品を候補作として、今年は七人が該当した。しかも三人が選んでいる作品が五点あって、作品のレベルが拮抗し慎重な審査が要求された。さる八月三十一日、歩道発行所に於いて、秋葉四郎を選考委員長として選考に当たった(戸田佳子委員は体調を崩し書類参加)。三人が採っている候補作のすべて、及び各選者が一番に推す作品を十分に吟味した結果、作歌歴五十年を越す長田邦雄さんの「日々」三十首に、選者挙って今年度の歩道賞を贈ることにした。
 長田邦雄さんの「日々」三十首は、長い作歌歴を背景にして一見平坦に感じられる一連である。しかし、豊富にして厳しい人生経験、作歌修練から来ている境涯の声がこもって、一首一首に、いわゆる「根に響く」声調がこもっている。
  脈絡のなき夢いくつわが覚めてただよふ心いかに納めん
  去年まで稲植ゑし田を埋めたてて住宅十五戸の建築すすむ
  二十名の僧の読経に浸りつつ亡き子の思ひ妻と分かちつ
  一年に一度亡き子を弔ひて散華いただく安寧のため
  廃業の特別販売してをれば近未来図のわが店ならんか
  日常の茶飯の内に認めたる老いの姿ぞものにむせるは
  自らの神を盾とし矛として戦ふ民族に未来なからん
  商ひの範躊せまくなりわれの残余かすかなる店を維持せん
 こういう作品にとにかく感動を禁じ得ないのは選考委員のみではあるまい。青年にして佐藤佐太郎に師事し、作歌の正道を生涯歩み、今、現実に老いを迎え、そのうち深くから響いてくる思いや生活感情を、作歌者長田邦雄が冷静に謳い上げている三十首である。
 他の候補作も皆よいところを持っている。草葉さんの「千羽鶴」、星野さんの「妻病む」などは切実で肩肘を張らない自然な詠嘆で好感が持てた。「木造の音」の樫井さんは一度受賞している作者だが今回も意欲的な挑戦で大いに評価できる。「朝の山々」の細貝さんも大自然を自身のものにしていて、「歩道」の目指す作品である。その他高齢で挑んでいる作者、入会間も無くて応募している作者にも注目した。なお、熊本地震をテーマにしている作品も数点あって、慎重に選考した。どこをどう切り取って連作にするか、作品の中に自身をどう出すかなど、易しいようで難しい。続けてテーマにして行ってもらいたい。今後も「歩道賞」を身近な勉強の場として、多くの人がこの機会を生かしてほしいと願っている。



受賞の言葉            長田 邦雄

 
昭和四十一年十二月、南青山の佐藤佐太郎先生のご自宅(発行所)を訪ねて「歩道」に入会いたしました。十九歳でした。
  「歩道」の一員となり、東京歌会、全国大会へ参加し、佐藤佐太郎先生の謦咳に親しく接することができました。
 しかし、今にいたるまでに私は何度となく作歌を頓挫しかけました。かろうじて現在まで作歌を続けてこられましたのは、入会直後から知己を得ました秋葉四郎氏、佐保田芳訓氏、また故人となりました室積純夫氏等のおかげです。また、毎月の「歩道」にみる諸先輩や多くの知人の作品が私を押してくれました。
 今回応募いたしました作品は、全て私の日常です。悲劇的な事件も特別な事柄もありません。小さな商いをする商人の日々です。菩提寺の施餓鬼会に参加したり、難病の友人を見舞ったり、妻と孫の話題を楽しんだりするだけなのです。平凡な日常の中にある私の内なる声は作品に表現出来ているでしょうか。
 佐藤佐太郎先生に学んで五十年。知なく、才なく、努力出来ずの私が、このような賞をいただくことになりましたことに、多少のとまどいと大いなる喜びを感じております。
本当にありがとうございます。

  略 歴
昭和二十二年十月  東京生
昭和四十一年十二月 「歩道」入会
昭和五十九年十一日 歌集「樹液」刊
平成 十 年十一月 埼玉県草加市へ転居、現在に至る。