〔歩道賞 一覧(S36〜H14) 一覧(H15以降) 作品 S36〜49 S50〜59 S60〜63 H元〜14年 〕

昭和五十九年歩道賞        


  花 芽          近藤千恵


彼芝の囲む噴水ひとときの吹雪ののちの水初々し
強風にもまるる杉の傍らに光にごりて月のぼりゐつ
草原の寒き曇にひびきつつ鳴く雉の声不安を誘ふ
栽培のうど立ち枯るるひとところ山のたをりに寒き香のみつ
ひとたびは霜にうたれし葡萄園の昼くらがりに蟋蟀が鳴く
夜間金庫より金引きいだして学生の長男がわれを食事に誘ふ
硬貨入れてまはる洗濯機の重き音時を失ふごとく聞きゐつ
大寒の朝の部屋に生き残る蟋蟀をわが掃除機が吸ふ
電気毛布の熱に汗ばむと思ふ夜空にひびきて雪のとぶ音
頬に触るる髪うとましくこのゆふべ凍りし葱を厨に洗ふ 
やや遠き体育館の屋根に積む雪に明るむ夜半のわが窓
日のあたる山みえながら疾風の轟く彼方雪吹きあがる
雪田より走る地吹雪日のあたる舗装道路の面を濡らす
わが顔に吹きあつる雪杉森をいでて体の浮くごとくゆく
杉森をいでて拓けし田の畦に辛夷の花芽風にかがやく
戦ひのさなかにおろそかにせし英語四十年経て朝々まなぶ
地に落ちし鳥の巣のごとみづからを思ひて朝の床に覚めをり
ためらはず定年のこといひいづるわが夫酒の力を借りて
職を退く夫と帰らなわが兄が小さき医院まもれる街に
故郷に移さん庭のえびねなど思ひて風吹く夜半眠り得ず
強風の畑より帰り感情の淡くなりたる身をよこたふる
空ひろき雨雲の下耕して萌ゆるものなき畑土光る
海猫は羽重からん朝よりみぞれ降りつぐ入海くらし
海猫のきしみ鳴く声聞こえくる入江をこめて春の雪降る
春浅き岬の村は道の辺に萌えたる蕗の薹の明るさ
幹ふとく傾き立てる赤松の林の前に圧迫おぼゆ
昼すぎて荒るる吹雪は寺山の春篁に音を集むる
梨の芽のふくらむ庭に雪厚く積みてゆふべの窓暮れがたし
春寒き空に投網を打ちしごと欅ひと木の枝あきらけし
捻挫せる足をりをりに痛みつつ雪消えがたき春を逝かしむ


◇予選委員(佐藤志満・由谷一郎・榛原駿吉・香川美人・秋葉四郎)


◇候補作十篇を甲乙なく見て、さて受賞作を近藤千恵「花芽」に決定した。近藤さんの経歴なども知らないまま、ただ作品だけを見て、決定した。「枯芝の囲む噴水ひとときの吹雪ののちの水初々し」「強風にもまるる杉の傍らに光にごりて月のぼりゐる」など冒頭から反応が新鮮で、勤めを持つ夫と家庭を守つてゐる日常の歌で、特に変つたところは無いが、感覚に新鮮さがある。私を信じて、努力して来たといふ感じがする(佐藤佐太郎)。







昭和五十八年歩道賞


  冬疾風          佐々木勉


岩礁の潮のしぶきをまとひつつ疾風は海のうへを吹き来る
象潟浜の疾風にたちし砂煙冬波せめぐ渚を走る
浜畑の葱の畝間にあざやかに風紋立ちて疾風凪ぎたり
白鳥の鳴くこゑ響く峡沼のめぐりは白く並みたつ樹氷
白鳥の曳く水脈は光りつつ冬の日照れる沼面ひろがる
安らかに白鳥いこふ沼晴れて島海山に雪煙立つ
護岸工事に濁りゐし水おもむろに澄みて茜照る冬の街川
舗装路を除雪して行くブルド―ザ―ときをりチェーンに飛ぶ火花みゆ
作業場にさす月かげにプレス機の冷えゆく面しづかに光る
洗ふ衣の色泣き防ぐ氷酢酸春さむき彼岸の壜に凍れる
風凪ぎし渚に出でて女等が波に寄り来る若布を拾ふ
女等が渚に拾ふ春若布籠に溢れて潮のしたたる
ひとり来て雪しろ激つ奈曾川の響のなかに虎杖を摘む
雪折の竹を混へて奈曾川のしぶきに濡るる春の竹群
雪しろの激つ岩間に淵ありて竹落葉浮く水の静けさ
雪しろのしぶき光れる川岸に柳若葉の青映りよし
伐採の樹脂にほひゐる杉森のくらき奥処に残雪光る
その店の繁栄招くといふ朝の女の客のあれば喜ぶ
配達によぎりゆく庭日の照りて泰山木の花匂ひゐる
うつしみの憂思へば作業場にわが押すアイロン日すがら重し
逝く春の光に照らふ柿若葉風邪癒えて佇つわが眼にまぶし
逃がれ来し畑より見れば強震にわが家玩具の如く揺れをり
幾たびも襲ふ余震に庭池の濁れる水に魚らあぎとふ
ひとつらの白波顕つと思ふまに海盛り上がり津波せまり来
急速にせまる津波の水鳴りは晴れし晩春の空に響かふ
流木をさきだてて川を激ち来る津波鋭き響ともなふ
街川を退きゆく津波濁流となりて激ちぬ沖遠くまで
濁流と津波とまじはる海なかに生れし無数の渦潮吠ゆる
沖遠く出でて津波をひた避くる漁船おびただし春の日に照る
幾たびも襲ふ津波にかかはりもなくて青天に光る白雲


◇予選委員(佐藤志満・由谷一郎・榛原駿吉・香川美人)


◇いつもの例で、通過した十篇を見て、すぐ受賞作はこれ以外に無いと思つた。それは佐々木勉氏の「冬疾風」、作者が秋田の人だから日本海地震による作と思つて読んでゐると、「浜畑の葱の畝間にあざやかに風紋立ちて疾風凪ぎをり」のやうに日常の作であつた。観察丁寧で、表現も安定してゐる。この程度なら悪くないと思つて読み進むと、やはり地震の作がある。冬をすぎ、春になつて、「ひとり来て雪しろ激つ奈曾川の響のなかに虎杖を摘む」といふ歌があると思ふと、突然「逃れ来し畑より見れば強震にわが家玩具の如く揺れをり」といふ歌がある。津波の歌もある。皆実際の経験を詠んでゐる。斎藤茂吉以来の伝統で写生によつて手がたく描写してゐる。津波に逢ふのは不幸だが、一面は過ぎてしまへば再びくり返せない機会でもある。経験によつて十首近い歌を遺し得たのは写生による強みでもある(佐藤佐太郎)。







昭和五十七年歩道賞(一)


  ビルマ行          山上次郎


雪しろき国いでて入道雲のわくビルマの空に環袈裟をただす
国教の象徴として立つパゴダ野戦病院にて見しままに立つ
雨季待ちて耕す田畑起伏なくパゴダの光る森まで続く
青きもの見ぬ野をはるか土ぼこりあげつつ放牧の牛の群ゆく
黄金のパゴダに照れる暑き日はゴムの木かげの慰霊碑にさす
戦死せし夫の年いひて若妻にかへるとうすく紅さすあはれ
遺族らがそそぐ故里よりの水香にたちにつつたちまち乾く
幾千の榕樹の気根ゆるる奥金箔の塔の光もゆるる
短命の国にて長き参道に杖つくごとき老にあはざる
土ぼこりしづむるごとく跣にて托鉢の僧列なしてゆく
参道に落葉踏みつつこの国の冬の暑さに汗垂らしをり
ビルマル―トゆきつつ草さへ眠るにと眠草手に嘆きたりしか
背嚢にお守のごと万葉集入れたることを思ひ出でつも
散弾をわが受けし村いちめんの枯田の中に島のごと見ゆ
刈りあとの稲茎匂ふ野をゆきてわが傷つきしあとにたたずむ
弾丸受け身を寄せし椰子四十年前のままにて株ふとく立つ
銃創のわれに追及を待つといひし分隊長は二日後に死す
牛車廻して籾を落しゐる庭をおほひてパクセイの咲く
輪になりし男ら庭に積む籾を団扇にあふぎ風選をせる
寝シャカ寺の入口狭くモン族の露天はチ―クの食器など売る
入寂の姿といふに顔白き寝シャカの眼笑みてかがやく
開け放つ部屋ひろびろと横たはる仏かすめて燕飛びかふ
仏塔に彫りこまれたる戦友のみ名を読みゆく眼のいたむまで
窟院を出でしあかるさジャスミンの花の首輪を売る娘たつ
亡びたるバカン王朝の塔めぐりサボテンは棒の如く立つのみ
ビユ―族が残しし三千の廃窟がサルウイン河のはてまで続く
ウウカンカと名乗りてビルマに残りたる二本兵の老し寂しさ
郷愁のごときものかもここに来て何十年ぶりに軍歌をうたふ
贖罪の思ひに買ひし軍票を見つつ夜ふけの宿にさびしむ
遺骨さへなかりし人にわかつべく拾ひし石に地名書きこむ







昭和五十七年歩道賞(二)


  朝 靄          小久保勝治


水道の空たちまちに暗くなり音なき春の稲妻はしる
満ちてくる潮うごきつつ朝靄の瀬先に黒き海鳥のとぶ
海よりの朝の光に芽ぶくもの胡頽や海桐花の明るさすがし
島浜につづく裏山きぶしなど茂りてダムは水を湛ふる
浜丘に漁師らよりてこの年に獲りし魚貝の供養してをり
島近く伊良湖通ひのフヱリ―船春荒れの海ゆれつつ渡る
朝曇晴れて明るき磯山に石蕗の広葉青みづみづし
日和まぜ吹く頃となり裏磯にゆく島の道とべら花咲く
夕海の潮先にのり移りゐん魚群につける海鳥のとぶ
飛びたちてゆく鵜の群と磯岩にのこる鵜の群夕映の中
連なりて帰る鵜の群夕映の北低空に遠ざかりたり
夕ぐれに海と空とのけぢめなく知多半島は雲のごと見ゆ
白石を積む古の塚の跡デキボシさまと伝ひてあがむる
少年の日に島出でて五十年老いて迎へん宮建ちをまつ
老残の愁をかこつ妻とわれ外より孫の来るをよろこぶ
神島のひとつの部落古の地震に沈み暗礁となる
ひと色に海の渚にこぞりさく浜昼顔の花の明るさ
庭ひろき国分寺の阯樟の木の若葉明るく春蝉のなく
まのあたり国崎は親し砂浜に鹿尾菜干されて黒々乾く
潮ひきし川口の洲は一面に石蓴のみどり春の日にてる
沖荒るる春の嵐に川中の洲に夥しく鴎むれゐる
川口の土路の家居に東京より帰りし人を訪ひて悲しむ
和しきものと思へり道ばたにモンキ―バナナを母娘にてうる
工房といふにはとぼし竹屋根の土間に少女ら更紗を手書く
椰子の照る樹海に黒く九層のボロブド―ルは天そそりたつ
千年の灰土の中に埋れゐし仏舎利壇の仏らすがし
石仏らいましし壇を下りきて路傍に暑く人らもの乞ふ
仏蹟の路のかたはら少年は姿まづしく仏頭をうる
なかばくえし塔を修復する人ら炎天に高く石を積みゐる
暑き昼休むいとまに農夫らはそれぞれ闘鶏持ちて寄りゐる


◇予選委員(佐藤志満・長沢一作・榛原駿吉・香川美人・五十嵐輝)


◇前にも書いたが、今年は是非入賞作があつてほしいと願つてゐた。順序なくはじめ三四氏の作を読んで(予選通過作)「歩道」の人たちはうまいと思つて感心した。たとへば加来進氏とか谷栄一氏とか。しかし、読み進むうちそれほどでもないと思はれる作もあつた。前半が良く、後半がよくない作が何篇もあつた。詳細は選出した「候補作」からおしはかつて想像してほしいが、良い作品だけをぬいたから欠点は目だたないかも知れないが、三十首全体に粒がそろつてゐるが、もりあがる山がない、全体にこまかすぎる。若干の凡作がまじつてゐる。言葉に必然性がないなどといふ不満もいろいろある。ともかく「候補作」は良い順に排列してある。そして「受賞作」を二つ取ることにした。山上氏の作も小久保氏の作も力作で、甲乙がつけにくいから、幸だつた。二氏の作とも自分の眼をもつて対象を見てをり、時に独断的と思へるものもあるが、一面からいへば、言葉に必然性があるといふことにもなる。ニ氏とも必然性のある歌を作り歌に内容がある(佐藤佐太郎)。







昭和五十六年


該当作なし







昭和五十五年歩道賞


  エジプト紀行          松生一哲


上空より見ゆる砂漠に幅もちてナイル流域緑さやけし
乾きたる川いくすぢも眼下の砂漠に白く見ゆるむなしさ
砂嵐移りつつあらん見おろせる砂漠の起伏おぼろになりつ
昏れてゆく砂漠の向う朱雲の長くとどまりて燃ゆるがごとし
急速に冷えてゆく夜の砂漠にはピラミツド一つ月にかがやく
雑踏のカイロのバザ―ル夕つ日に人の香しるき砂埃たつ
家のごとき大いなる墓つづきゐて音なきめぐり暑き日のさす
学童の率ゐる山羊の群に遇ふ河風温きナイルの岸に
古代にて紙をつくりしパピルス草風にさわだつ青いさぎよく
メンフイスの古都の名残か池の辺に石像壊えて陽炎ゆらぐ
ひろびろと咲く菜の花のうらがなし遠き世テ―ベの栄えし処
疲れつつ歩むテーベの夜の街に青果市場などの乏しき灯り
百三十四の石柱並みたつ神殿の砂ふみてゆく暑き夕べに
古き代の王を葬りし岩山はナイル河対岸に朝焼を浴ぶ
いくつもの山迂回して歩みゆく王家の谷は白砂きよし
草木なき古代の山陵群りて昼の光を音なく反す
盗掘をまぬがれしとふ洞奥に金の柩あり寒き香のして
人型の柩はかなし遠き世のツタンカ―メンの若きその顔
遠き代の王の柩に捧げたる花束のこる蝋のごとくに
          (「蝋」は原作では旧字体)
ナイル河の堰堤につづく並木道夕日をあびて合歓木の花咲く
吹く風に島よりひびくコ―ランの祈りさびしむ湖岸の道
ダムの面に半ばしづめる神殿が入日の光うけてかがやく
アスワンの街の露天に妻と来て温みある素焼の壼一つ買ふ
エジプトの古代石切場昼の日に鷲の群あそぶ羽光りつつ
岩窟の神殿ゆけば潮風の通ふをりふしに石壁にほふ
湖わたる朝の光が岩窟の壁面を照らす炎のごとく
遠々につづく砂浜夕映えてナセル湖にたつ波音さびし
日の入りて夕映ながきナセル湖の空に満月の照るを仰ぎつ
体冷えてナセルの湖の渚ゆく月にかがやく沖波遠し
ナセル湖に沿ひて砂丘をあゆみゆく月に明るき起伏を踏みて


◇予選委員(佐藤志満・長沢一作・榛原駿吉・香川美人・五十嵐輝)


◇今年の応募作は篇数が多くなかつたし、作歌歴の古い人があまり出してゐないしやや低調のやうに言はれるが、必ずしもさうでもあるまい。この程度の候補作がそろへば先ずいいといつてよいだらう。その中で松生氏の「エジプト紀行」に決定したが、作歌の対象である素材が良いし眼と言葉が確かで、一つ一つ粒がそろつてゐる。
 ○急速に冷えてゆく夜の砂漠にはピラミツド一つ月にかがやく
 ○ひろびろと咲く菜の花のうらがなし遠き世テ―ベの栄えし処
 ○百三十四の石柱並みたつ神殿の砂ふみてゆく暑き夕べに
 ○古き代の王を葬りし岩山はナイル河対岸に朝焼を浴ぶ
 ○いくつもの山迂回して歩みゆく王家の谷は白砂きよし
 他にもあるが、美しい歌が多い。単に美しいだけでなく、現実の厚みが捉へられてゐる。松生氏は努力家で、「歩道賞」には毎回のやうに候補作になつてゐたが、今回受賞作となつて、私もよろこばしい。たとへば五十三年度の「廃墟」といふトロヤ遺跡あたりの歌にくらべたら、今度の方がよほど進んでゐる(佐藤佐太郎)。







昭和五十四年歩道賞


  ラダツク紀行          中谷史子


高地馴化の為過しゐるカシミ―ル夜のダル湖に雨降りしきる
稲妻の走れば近づく如く見ゆ湖の岸のポプラ並木は
睡蓮の咲く湖に遊びつつわが身高地に馴れゆくを待つ
シカラといふ小船漕ぎくる少年は我に此地の貧しさを云ふ
国境を争へる荒野に音とよむインダスとなる黄なる流れは
高山の蝶まなかひをよぎりつつラダツクの荒き原は広がる
果しなき砂礫のうへに飛び交へる幻の如き高山の蝶
亡き人の顕つ悲しみよこの国の野にベニヒカゲ飛ぶを見し時
ただ広き砂漠に積める経石に彫りしこの国の絵の如き文字
ここに住む人らの積み置く経石のうへ群青の空の広がり
かげもなき広き地表をおほふ空わづかに白く雲動きゐる
柔らかき砂丘の如く風化せる山肌に濃く雲の影落つ
褶曲のさまあらはなる山々の向うにカラコルムの白き峰見ゆ
チベットへ続く唯一の広き道空に消え遠き地の果に消ゆ
命迫る夫が恋ひゐし幻のひとつ鳥葬の国を今行く
岩山の峡夏なればひとところ緑輝き生ふる小麦は
わづかなる田のあり夏季に岩山の雪解けの水流れ来るとぞ
見放け立つ断崖の下少年が山羊追ひてゆく川に沿ひつつ
蝋燭の匂の中に響きゐる僧の吹く喇叭と振る鈴の音と
           (「蝋」は原作では旧字体)
供へんと花持ちてたつ少年の僧に逝きたる夫思ひゐつ
異臭持つ燭灯されしラマ寺に干支の絵のあり寄りて親しむ
山頂へ連なる寺院方形の窓は小さくなりつつ続く
日に曝れし祈祷旗見んと登り来し寺院の屋根に立葵咲く
           (「祷」は原作では旧字体)
たはやすく砂塵立つまで乾きゐるレ―の寺院の庭を歩めり
ラマ寺を下り来てしばし野菜売る村の女らの中に佇む
チャンといふ地酒売る店角々にありてことごとく人の屯す
過酷なる自然にてかくなりしものこの地の白き卵黄を食む
この土地のさまも移らん日に一度軍のトラツクが轟きて過ぐ
祈祷旗のはためく祠ある峠小雨伴ふ霧のまき来る
           (「祷」は原作では旧字体)
幻影を追ふ如き旅の終にて朝のコ―ランの声に覚めをり


◇予選委員(佐藤志満・長沢一作・榛原駿吉・香川美人・五十嵐輝)


◇受賞作「ラダツク紀行」はインド北部のカシミ―ル地方からカラコルム近い高原の歌で、単に観光といふのでも無く、複雑な人生の味ひが歌にある。歌は、蘇東坡のいふ「美あって箴無し」の「箴」にあたる内容が無ければもの足りない。海外に旅行したりした歌の多くはただ見ただけといふ歌が多い。この「ラダツク紀行」は少し趣がちがふ。はじめの「高地馴化のため過しゐるカシミ―ル夜のダル湖に雨降りしきる」「稲妻の走れば近づく如く見ゆ湖の岸のポプラ並木は」などは一連の序の部分だが、言葉に眼と意とがある。そして「高山の蝶まなかひをよぎりつつラダツクの荒き原は広がる」といふ美がある。単に美しいといふよりも「異臭持つ燭灯されしラマ寺に干支の絵のあり寄りて親しむ」の「異臭」のやうなものをのがさず、単調でもない。「見放け立つ断崖の下少年が山羊追ひてゆく川に沿ひつつ」「褶曲のさまあらはなる山々のむかうにカラコルムの白き峰見ゆ」「たはやすく砂塵立つまで乾きゐるレ―の寺院の庭を歩めり」など、確かで意味に満ちた歌も何首かある。歩道賞として恥かしくないだけでなく、立派である。歌を成すに欠けてはならぬ必然性がある事も思はせる。それは何であるか、「感傷」が根本になければいい歌は出来ない(佐藤佐太郎)。







昭和五十三年歩道賞


  フイジ―処々          和歌森玉枝


珊瑚礁成りつつあらん単純に白き洲いくつわたなかに見ゆ
白き洲を曳く島のあり巌山の島ありラトカ港離りて見れば
降りたてるマナ島の道砂熱く黄葉明るき浜木綿つづく
岩の間に昨夜波にしづまりししろたへの珊瑚の砂の寂しさ
潜きみる海のあかるさ瑠璃色の小魚一せいにわが前游ぐ
椰子の実を割りて滴る水うまし海ひかり風のひかる浜辺に
吹く風の籠るすがしさ白砂の渚にマミヤの大樹そばだつ
渡り来しマロロ島といふ小島にて草の上に並べ貝殻を売る
耐へがたき暑さわが眼の痛きまで離島マロロの浜を歩めば
崩れゐる岬の巌いづこにも貝の化石の痕あらあらし
棚雲の夕映ながくかへりみる椰子の高き幹朱にかがやく
かわきたる砂の余熱の快し一日の暮るる浜に憩へば
わたつみに日の入りしのち草わけて帰る島道たちまち暗し
島の苑暮れて道あればところどころ椰子の根下に電灯ともる
苑灯に虫の寄りこぬ島の夜風爽かにとどまらず吹く
暁に覚めてきこゆる海風は島丘の木々超えて吹きゆく
たとふれば落葉掃く如く朝々に拾ふ椰子の実を堆く置く
稀々に芽の萌えそめし椰子の実の混る落実は日に乾きゐつ
休息のときを過ごせるマナ島にレインツリ―の朱のあかるさ
まな下の椰子の樹原に朝日さし光靡きてその音のなし
祖たちの霊の鎮まる処とぞ島のなかばは人踏み入らず
逞しき古木となりて静まれる合歓の並木の果に海見ゆ
放牧の牛あそびゐる沼原に布袋葵の鋪くごとく咲く
密林を水源とする小河にて村のをみならもの濯ぎゐる
しづかなる流のありて海近くマングロ―ブの川面に繁る
街路樹の合歓の萎えゐる昼の日にスパのマーケツトよぎりて歩む
宗教の拘束のなき民族のほがらなる声身辺にきく
この国の慣習ゆゑに身重なるをみな街なかに逢ふことのなし
常夏といへど農耕に憩あり砂糖黍そだつ畑のしづけさ
この島に流難民族の相寄れば印度の唄を青年が聴く


◇予選委員(佐藤志満・長沢一作・由谷一郎・榛原駿吉・香川美人)


◇十一月号に発表するため、伊勢神宮へ行く前日の半日をあてて選をした。由谷君が書いてゐるやうに、注目すべき秀作は無かったが「歩道」としての水準をゆく作がそろつてゐる。相対的な評価で和歌森さんの「フイジ―処々」に決定したが、表現する言葉がある程度深穏で、見た内容があり、而も煩はしい主観が挿入されてゐないのがいい。「辞達す」といふ確かさもある。しかし数首は何といふことのない歌も交じつてゐる。これは誰にでもある。これは「候補作」全体について言へることだが、一首の表現に於て巧みさよりも確かさが要求される。更に歌は、単に見たといふだけでなく、そこに見る人の眼が働いてゐなければもの足らない。「見る人の眼」といふのは「思想」と言ひ替へてもよい。さればといつて、それが煩しく関係して来るのは感心しない。あまり煩しくなく、而も必然的な作者の要求が歌に反映してゐるのがいい。(佐藤佐太郎)。







昭和五十二年歩道賞


  曠 日          室積純夫


梅雨ぐもり暮れゆく街のいづこにも灯ともる屋上ビアガ―デン見ゆ
ビル竣りて日の反射あたらしく差すところ心あそびて吾が歩みをり
屋蓋を境としたる所より雨しぶく夜のプラツトホ―ム見ゆ
もの忘れせるごと煙草吸はずゐて内臓かるき体をはこぶ
区画して組む石しろき造成地道にあまたの標識がたつ
鉄道の罷業の日人と自動車が尠しタ―ミナル駅に吾が来れば
果物の核の如くに現身を思想ささふると言はば安けし
隣室に目覚めし幼読書する吾がそばに来てもの食ひはじむ
壁面に朝日かがやくアパ―ト群のあひだ人なき庭芝も照る
混みあひて体感分つ寂しさか電車にて日々行けど慣れがたく
とりどりの靴直接に床に置く売場過ぎればこもる靴の香
押されつつ駅の階吾が下り来て売声おほき御徒町ゆく
耐用期限過ぎし道具を捨つるごと生活をかへき子ら育つとき
選挙にて慎みもなくさわがしき街音きこえひと日勤むる
行きずりのビルより出でて来し人の独笑に会ひて驚く
街路樹の柳の黄葉夏の日に散りひかるとき踏みて吾がゆく
浚渫船に働く人らあるときに嗽せし水街川に吐く
用もなく鋏の音たてて駅員ら改札口にゐるは煩はし
灯のつける部屋に硝子を切る作業みえてするどきその音聞こゆ
車ゆく音にまじりて高架路の下の林に鳴く蝉きこゆ
雨の日の競馬場見え屋蓋の内くらき下に人群うごく
蛇行する川の流のあるところ堰かれてなりし湖の見ゆ
びつしりと直ぐなる松の生ふる島一つの湖の中ほどに見ゆ
湿地帯ながるる川は潅木の原広きなか折々見えず
湖より湖に通ふ流あり道の如くに白くひかれる
湿地帯の一部輝きの異なりてひとつの川は泥水ながるる
いづこにも人多からず風吹けば埃たつフエアバンクス市街を歩む
午後九時の白夜に窓を閉ざしゐる暗き店にて人酒を飲む
笑ひつつ物食ふ一人店頭に屯するエスキモ―皆貧しくて
午前一時白夜の名残高空の雲にありしが曙となる


◇予選委員(佐藤志満・長沢一作・由谷一郎・榛原駿吉・香川美人)


◇予選を通過した十篇について検討したが、候補になるくらゐだから、それぞれ良いところをもつてゐる作品だった。そのなかで、室積純夫「曠日」を推すことにきめたが、まづ冒頭から「梅雨ぐもり暮れゆく街のいづこにも灯ともる屋上ビアガ―デン見ゆ」といふ歌があつて注目をひいた。街のどこにも屋上ビアガ―デンがあるといふのが大胆であざやかな把握だが、「梅雨ぐもり暮れゆく」街だから、屋上にともされた灯が目立つので、必要な条件をのがしてゐない。この一首ほどあざやかではないが、感覚の働いた、感受の独特な歌、新鮮な歌がある。全部申し分がないといふわけにもゆかないが、三十首を通じて平凡でない(佐藤佐太郎)。







昭和五十一年歩道賞


  貝殻草          加古敬子


高層の灯火のてらす道果てて林の闇は濡れし土の香
高層の灯の光芒にすきとほり樹々の間に寒霧うごく
結球の芯まで凍る白菜を抜くわがめぐり夜の雪明り
丘畑の残雪の間にあらはれて未だ乾かぬ土やはらかし
冴えかへる冬空高く夕雲があはれ茜を曳きてすぎゆく
物音のなき夕暮とおもふとき子の白粥が噴きこぼれゐる
わがこころ張りてひすがら思ひしが実現のなき事を知りゐる
隣室の長き欠伸をききをれば少年の声いたく変りし
眠りより目覚むるときの甲ひなき子は従順に吾に答ふる
成績にこだはり黙す少年と熟きス―プを啜りてゐたり
スカ―トを押さへて坐る仕種にも優しさはあり娘を見れぱ
一週間すぎて来しかば林中に霧のごとくに若葉が匂ふ
時長く歯科医に通ひピルデイングにこもる無機質の香にも親しむ
午刻の地下街広し歓びは過ぎたるごとく思ひ来れば
雨晴れし空気のなかに花の香のありて行手に薔薇畑みゆる
雨あとの塵なき光かうむりて咲く幾万の薔薇のあかるさ
薔薇畑に花のかがやく昼つ方わが愁ひ濃くなりてあゆみつ
朝方の雨の滴をたたへたる薔薇の間をあゆめぱ暑し
薔薇畑をめぐりつつゐて雨傘を駅に忘れしことをおもひぬ
童らのこゑ湧くごとき明るさや遠ざかり来て見る薔薇畑は
雲暗く風なき午後にわが体洗ふがごとく深く眠りぬ
窓に満ちて梅雨ふり乍ら少年の飼ふ黄の鳥は皮膚を病みゐる
電灯の下に坐れる現身の取り残されしごとく梅雨熄む
夫の好む浅蜊を提げて帰る坂タベの霧がなまあたたかし
昼独り居るわが部屋に入りきたる野良猫と吾と共におどろく
草木の反すひかりに窓青しタベあかるき雨ふりながら
夜の庭に出くれば布袋草咲きゐたり水に浮きつつ茎立ちて咲く
椎の木に土用の夕日さしこみて常籠る枝無数に朱し
入日遠き丘の畑をあゆみ来て貝殻草の影とわが影
畑に咲くひとかたまりの貝殻草風吹けば花触れ合ひて鳴る


◇予選委員(長沢一作・由谷一郎・榛原駿吉・香川美人)







昭和五十年歩道賞


  海          橋本善七


彼岸すぎて沖曇りたる春の海ゆるやかに波のうねりを運ぶ
ねずみもちのしろたへの花散りしけり夕潮どきの海にそふ道
椎の木の若葉のもえは際立ちてみづみづしけれ築海島の森に
火焚場の地の鎮めとふきの葉に米盛りて女ら磯地を斎ふ
共同にて採りし鹿尾菜をにぎやかに浜の広場に干し拡げをり
うづたかく積む天草にゐる夜光虫夜風にふれて光の震ふ
海にそふ墓場の道に干してある若布の乾くにほひが暑し
竿に掛けて干しし若布の風に揺れふれ合ふ音は既にかわける
たちまちの疾風の雨の降りそそぐ海の面白くしぶきをまとふ
対岸の管島の山は照りながら夕立の雨きらめき移る
月低き海にたちまち風いでて晴れゆく霧のいきほひ速し
潮流のかげきはだちて夏の夜の迫問の海に月照りわたる
日拝に通る浜の道神島の遠く見ゆる目近く見ゆる日
いつも来る鳶が落ししものならむ宮松の下に魚がかわける
襲はるるひしこの群が水しぶきたてて跳ねゆくきらめきながら
  〔「ひしこ」は原作では、漢字の「てい」(へん・・魚、つくり・・是)
  と「魚」の熟語(「ひしこ」と読む)。別称カタクチイワシ〕
月の出のときとなりつつ釣おろす瀬戸にとろとろ潮湧き始む
乗り出でてひとり釣る夜に鳴き出でし蟋蟀は舟の板敷の下
潮通ふ生簀の底を移りつつひらめの眼するどく動く
台風のひた荒るる夜半くらやみの海青白く波明り顕つ
竜巻の末端海にふれながら沖べの空をゆれつつ渡る
漁を休む外なき人らねばねばと重油の着きし舟揚げてをり
バ―ナ―の炎を船底に噴射してゐる人砂にあふむきながら
開き蛸竿に吊り上げて干されある浜の向うの夕山は照る
このタベ時雨の雨の晴れゆきて海の空遠く黄に映えわたる
冬の海に死人ひろひて来し舟を夕翳りはやき岸べに祓ふ
月の夜の潮の退きたる磯浜に岩海苔をかきとる音のきこゆる
日の出づるまでの光に海境の雲の縁はやくかがやき始む
魚群追ふかもめら朝の明けてくる沖べの空に黒ぐろと飛ぶ
桟橋に玉筋魚を揚げてゐるあした雪降りしきる陽に華やぎて
弓祭のお的組まむと当人ら二月の寒き海にみそぎす


◇予選委員(佐藤志満・由谷一郎・田中子之吉・菅原峻・長沢一作)

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