窓 原田美枝
懸念してゐしことながらわが臓器摘出手術の説明を受く
わが手術の予定の決まり安堵して法事を済ます暮の一日
雲厚き空より霰降りきたり入院の支度しゐる昼すぎ
骨折の癒えて退院するといふ母百四歳の気概を思ふ
手術前の説明を聞き調査など受けて数多の署名わがする
四十五年に指太くなり手術前結婚指輪を難儀しはづす
生命にかかはらざれば憂へずにをれど手術後うつし身苦し
麻酔薬の管など四本つながれて微睡みゐつつわが生はあり
照りかげりする山々が窓の外病床より見ゆ師走の紅葉
臥床して日々過ぎ食事するにさへ力要ることしみじみ思ふ
八十五にて胃癌の手術をせし母を思へばやすしわれの場合は
暮れなづむ山の背後の夕あかり臥床にてひと日終らんとする
夜半見たる人影ゆめか看護師か微睡みゐたり空調の音
不馴れなる家事にいち日費すか面会の夫の言葉さびしむ
戸外より聞こゆる児らの歓声におもひはめぐる歩み得ざれば
病室の窓まで歩み来冬晴に島かげ冴えて響灘見ゆ
四階のわが病室の窓の下保育園にてすべり台あり
夕づきて曇空より乱れ降る雪になりたりカーテンを閉づ
青き象のすべり台ある園庭に雪降り無音の中に暮れゆく
わが若きころに無きこと職員がをさな児をつれ出勤し来る
新居への子らの移転日病床のわれ東京の晴をよろこぶ
降雪の注意報気にかけゐしが冬至のひと日穏やかに過ぐ
ひと月の安静医師に命ぜられ退院したり歳末近く
仏壇を清め鏡餅など供へ墓参かなはぬわが香を焚く
例年のやうに若松生け込みてやうやく新年迎へんとする
退院後の逝く日々早し年越の蕎麦の用意す足よろけつつ
夫と子男二人にかかはりて手術後の安静埒外にあり
風向の定まらぬ午後降り出づる雪が左にまた右にとぶ
ありの儘に生きて七十二歳になる今朝常のごとわが眉をひく
歩道賞候補作(十首抄) ※作者五十音順
花と共に 大野悦子
満開の桜に降り積む雪のなか免許更新の運転をする
廃校の庭に巨木となりて咲く校長父の記念の桜
旱天にわが池の水減りゆきて睡蓮の花底ひにみつる
濡れながら咲きのぼりゆく立葵花の終はれば梅雨明けとなる
栗の花ふくらむ峡を縫ひてゆく電車の駅ごと匂ひ溢るる
骨壺を再び押して弟の骨をやうやく器に納む
十六夜の月てる森に青葉梟呼応して鳴く島の夜ふけて
暗闇に強き香放つ下がり花一夜に虫寄せ受粉につなぐ
黄金に枇杷の実は熟れ庭の上花のごと見ゆ梅雨の晴れ間に
小雨降る晩夏の夕べ寂しさをまとひ咲き継ぐ白き木槿は
林檎の家訓 大蝸E治
厳冬の雪の深さに折り合ひをつけて林檎の剪定をする
雪深く木守りに易く手の届きうらなり林檎を黙々と食ふ
丘畑の林檎のつぼみ膨らみて薬剤散布の日すがら続く
白雲と林檎の花の区別なく見上げる空に香の上りゆく
八甲田山を背にして青き実を労はりながら袋掛けゆく
赤き実も黄の実も畑に枝重くめぐみとなりて光を反す
吹き下ろす八甲田山の寒風に林檎の熟成いよいよ進む
軋みゐて枝を切り裂く暴風に声ある如く林檎飛び交ふ
只ならぬ落果の林檎を悉く悲しきまでに野晒しに積む
故郷の林檎を食ひて六十年かぎりあるべし風寒く吹く
父の徳利 折居路子
ニコライの寺の鐘鳴る聖橋わたりて父の家跡に来つ
戦火にて家を焼かれしわが父は姪に請はれて盛岡に来つ
聴診器手にあたためて児に当つる父の瘤ある指を忘れず
日常に武士の刀と言ひてゐし聴診器には父の香のあり
理不尽と言ひて薬も酒ものむ父は患者の酒を禁じず
若き日の父が通ひし店に来て江戸よりつづく泥鰌鍋食ふ
父の手のあらはに厚き
長命の証といひて伸びし眉切ることもなく父は逝きたり
石鹸をシャボンと言ひて憚らぬ父をしおもふ柚子の湯浴みて
独り居となりて七年拘束のなき日に慣れしわれを寂しむ
雪の日 小林まさい
わが未来なきごと後悔のみが湧く家の内外くらき雪の日
準備してある品々を何回もわれはたしかむ入院前夜
執刀医のたんたんとする説明を夫聞きゐる表情かたく
体験は無駄にならぬと自らに言ひて心の乱れしづめん
離れ住む息子が電話掛けて来ぬ手術前日消灯の後も
いくたびも氏名と患部問はれたり麻酔施術のベッドの上に
ベッドより降りんとすればわが足は床に向かはず宙にてもがく
貧血の治療に増血剤飲めば手術後数日食欲の無し
をちこちに出づる痛みはリハビリにて筋力付きゆく過程なるとぞ
所在なく見をれば雲が膨らみて高層ビルをほどなく覆ふ
闘病日乗 小堀高秀
入院の長き暮しに悉く世にかかはりのなく日々の過ぐ
健やかなる身となり妻と春野ゆく明け方の夢さめて虚しき
万能のiPSの細胞にのぞみ託さん吾の余命も
新築の家に妻子と住む夢も叶はぬままに終る一生か
妻もわれも老いて安けき日の来るを侍みていそしみ来りしものを
アラスカとアイスランドの吟行を思ひなどして激痛こらふ
病室を出づることさへ許されず窓より見ゆる世界に遊ぶ
十種類十八錠の薬飲みわが残生の一日すぎゆく
感染を恐れ終日マスクして寝たきりのまま排泄をなす
採血と検査を朝夕くりかへし投薬量とくすりが替はる
エジプト紀行 猿田彦太郎
リビア砂漠広大にしてわがゆく手蜃気楼立ち海のごと見ゆ
岩山のおびただしきに王家の谷ツターカーメンの墓洞深し
王家の井戸深くて暗き底ひにて三千年経つ水をわが見つ
ナイル川のアスワンダムの発電所巨大設備に音ひとつなし
紀元前の石切り場なる一山に登りて香のなき岩の間歩く
切りかけの石切場とぞオベリスク千二百トンの石
コム・オンボ神殿大きく立つ丘に見放くるナイルの川清く澄む
死者生者の境を越えてピラミツドの中の暗きにわが入りゆく
ひろびろとしたるナセル湖の夕空を雁のつらなり乱れなく飛ぶ
六十代後半 杉本康夫
春の日を身にかうむりて惑ひなし団塊世代の自負心持てば
油断せず生きねばならぬわが病経過観察四十年越ゆ
体調の回復しつつあることをただ単純にわれはよろこぶ
六十代後半となり気づかふは健康のことこれからのこと
年越えて冬きはまればわが歎き妻のなげきは寒にかかはる
考への違ひ微妙にあることを認めたがひの孤独に触れず
詰まるところ独りになると諭しつつ妻の不安を打ち消さんとす
ひさびさに田舎に帰り気づきしは代替りたる家々多し
母七十六父八十九にて身罷りぬ己の定命思ふこと有り
九十二歳天寿まつたうしたるかと母の生きざま妻われに問ふ
ゲストハウス 本吉得子
定収の無きを危ぶみ憂ふれば起業の思ひ語りき婿は
東京にてゲストハウスをなすと言ふ娘夫婦を思ひ眠れず
子の願ひ十分援助なし得ぬをわが寂しめど他に術のなし
容易く成し得ざること四十二の娘に諭すわれは母ゆゑ
灯の点る部屋の出来れば子の友の独逸の青年ひとり住みつく
疲れ易き齢となりて東京とこの山里を行き来すわれは
荷を解きて二階の部屋に聞くラジオ被災地すでに雪積むと言ふ
十日余りの徹夜仕事に疲れしか娘の身体に高き熱出づ
試行錯誤の末に娘が貼り終へし厨のタイル懇ろに拭く
電飾のスカイツリーが近く見ゆ子らの営むゲストハウスは
選考経過 秋葉 四郎
応募作の名前を伏せた作品を選考委員の、鎌田和子、波克彦、秋葉四郎が回覧し、めいめいが八編を選出した。その結果は別表の通りで、選考委員二人以上が採った作品を候補作として、今年は九人が該当した。この九作品を、さる八月二十七日、歩道発行所に於いて、秋葉四郎を選考委員長として選考に当たった(鎌田和子委員は書類参加)。
全候補作をすべて読みなおし、吟味した結果、三人が押す原田美枝さんの「窓」三十首が、テーマ性、構成、表現力等に於いて優れており、今年度の歩道賞を贈ることにした。
原田美枝さんの「窓」三十首は、ある日突然降りかかってきた入院摘出手術をテーマとして、その入院生活をさながら日常の延長の様にして詠っているのが特色である。ある意味では誰の上にもあり得ることがテーマだから、このアプローチは新鮮にさえ受け止められる。
わが手術の予定の決まり安堵して法事を済ます暮の一日
臥床して日々過ぎ食事するにさへ力要ることしみじみ思ふ
暮れなづむ山の背後の夕あかり臥床にてひと日終らんとする
などという作があって、きわめて自然な一連となった。「入院手術」のような体験は、多くの場合事件的なアプローチになり易い。原田さんは、日常の延長のように、この「体験」を生かし、われわれが目指す純粋短歌として三十首が詠嘆されている。そうして顧みれば、原田さんは何年か「歩道賞」の候補になり、着々と力をつけて来ていて、この体験を生かすことが出来たのだと言える。入院手術は人生の上では不幸な体験だが、作歌はそんな不幸を不幸だけにしない。ただ悲しんでいるだけではなく、こんな一連に昇華することも可能なのである。作歌者の喜びであり、原田さんの一連はそんなことも思わせてくれる。
やはり三人が押した折居路子さんの「父の徳利」も力作である。ユニークな医師の道を歩んだ、亡き父を点景に、「身近な人の存在」を生き生きと描き出している。表現力も確かで注目に値する作品である。ただ、一連の途中から、「亡き父」との関連があいまいのまま、亡き御主人が登場し、テーマがぶれ、構成も一貫性を欠く結果になってしまっている。今後の挑戦を期待する。
各候補作にもそれぞれ良いところがある。要は、ここに選出したような作を三十首揃えることであり、一連によって訴えるものがあることである。
会員として、年に一度は連作三十首をまとめる努力をするのがよいし、そういう努力をすれば必ず素材、テーマが向うから近づいてくるものである。(秋葉四郎)
受賞の言葉 原田 美枝
夕方の電話にて歩道賞受賞の知らせをいただきました。歩道賞など、私には遠い存在でしたので、信じ難いことでした。
何の覚悟もなく、なりゆきで「歩道」に入会した私。勤務に追われ、途中の十年間は殆んど詠まず、読まずの勿体ない時を過ごしました。退職後は少し真面目に、平成十五年からは三十首詠を自分に課して、毎年出詠しました。この度は、昨年末に思いがけぬ入院・手術という体験をし、その頃の思いを詠みました。
佐太郎先生の「作歌真」を常に心に置き、煩瑣な日常にあっても、小さな感動を逃さず一層の精進をせねばと改めて思っています。歩道創刊七十年という記念の年に、栄えある賞をいただき、感謝の思いでいっぱいです。
審査下さいました皆様方に、厚くお礼を申し上げます。また、温かく見守って下さる先輩方、共に学ぶ歌会の皆様に、心からお礼を申し上げます。有難うございました。
略 歴
昭和十八年二月四日生(広島県)
昭和四十九年六月 歩道入会
住所 山口県下関市長府