〔歩道賞 一覧(S36〜H14) 一覧(H15以降) 作品 S36〜49 S50〜59 S60〜63 H元〜14年 〕 

 平成二十六年度 歩道賞受賞作(二名)    


   悔限りなし       浦 靖子

緊急の検査に出づる子の車送り立つ露地ジヤスミン匂ふ
再検査待つ間の長し病院の窓外夏雲形変へゆく
呼ばれ入る診察室にただならぬ緊張あれば子と(かうべ)垂る
癌告知受けし息子と呆然と声なく歩む暗き病廊
頑健に生き来し息子の四十年思へば唯に狼狽(うろた)へゐたり
グレード2の診断なれば快癒する奇跡もあらんと己慰む
若きより事業継ぎきて任重き立場も癌にかかはりあらん
共どもの絶望感にて部屋ごもる入院の日を待つ夏の日々
同室の患者おほよそ若くして脳外科病棟に満つる静けさ
放射線に髪の毛うすき子に帽子選りつつ不意に涙流るる
長き夏やうやく終らん退院の子と歩む街木犀匂ふ
退院せし息子の部屋にともる灯のつくづくうれし楽も流れて
震災に花火も上がらず夏逝きぬ恐怖の余韻に町も沈みて
癒ゆるごと出社してゆく子の中の癌細胞よこのままにあれ
思はざる再入院の子を送る冬天白鳥の鳴き合ひて過ぐ
不安増す日々の心のやり処なし祈りひたすら捧ぐのみにて
視界なきまでに淡雪降り込みて灯おぼろに滲む街ゆく
ステロイドにいささか浮腫む子の顔の亡き夫に似る年齢(とし)近づきて
転院して服む抗癌剤副作用出でずやうやく平穏の日々
山寺に登りしと届く子のメール半ば喜び半ば憂ふる
子の病巣小さくなりしを喜びてしみじみと浴む冬の夕映
突如にて難聴となりし子と交はす筆談哀れなりゆき悲し
緩和とふ言葉の裏のかなしさよなす術のなく選びし治療
衰へてゆく子を見守るのみにして緩和医療の日々のはかなし
意識なき子がひたすらのわが声に分りたるごと涙流しつ
又来るとベツド離れし一時間悔いて止まずもー入逝きたり
とり縋る亡骸の子の未だ温し無念おもはすごとき雷鳴
苦痛なき最期と言へど余りにも命はかなし慟哭止まず
逝かしめし悔限りなし身に合はぬ任負はせしと詫びて葬る
先に眠る夫の墓に子のみ骨納めて流す涙あたらし


   家 跡         大貫 孝子

海浜に下る階段沈下して海藻の生えからす貝棲む
津波にて消えし集落見渡せば傾りに墓石夏の日反す
三年前流れ着きたる流木は浜に晒され白く細りし
寄付により廃墟の岸に高床の製氷庫建ち白くそばだつ
海原に普く夏の日輝きて半ば沈めるテトラポツド照る
点火せし線香を置き渚よりわたつみに祈る孟蘭盆の朝
大津波に疎らになりし松林歩めば悲しわが目を閉づる
廻りくる季節のあはれ家跡に去年のごとく蓬の萌ゆる
乾季ゆゑ水無き川の石乾き津波に逝きしちちはは思ふ
董摘み山行きし日のよみがへりわが生まれし所あてなく歩む
沢水の細き流れに淀む淵魚の子の群れ見ゆる静けさ
高らかに鳴く鶯の声聞きて歩むこの道やがて埋もれん
日盛りに夏草にほふ家跡に境も見えずひとり佇む
堆き土砂の上茂る雑草は暑き昼みな萎れてゐたり
故郷に再開したる鉄道に乗りて過ぎ行く駅の名かなし
幼子のまとふ明るさふるさとに行く列車にてわれはみて居り
流されし住宅跡地並び居るトレーラーハウスに一夜寝ねたり
朝の日は峡におよびておもむろにわが家跡を照らして来たり
復興の故郷寒くひたすらに土砂を動かす重機のかなし
被災地を覆ふ凍てつく闇の中沈むごとくに重機の並ぶ
三年(みとせ)経て復興建設作業員の宿舎建ちたりわが家跡に
無惨なる内部をさらす海岸に倒れ横たふビル(のこ)されて
山削り神社移してふるさとは高台移転の工事始まる
海と陸境なく吹雪く夜一人仮の道ゆく慰霊祭前夜
父母の守り来し畑の一帯は公園になるとぞわれは聞きたり
津波にて折れし桜の太き幹おもほえず若葉の萌ゆるを見たり
逝く春の長き夕暮萌え出でし若葉の香る故郷歩む
独りにて仮設に住む叔母今もなほ煮物作りてわれをもてなす
千年後の町の人へと(いしぶみ)はここより上に逃げよと刻まる
春の日の光かなしき父母の墓のべに咲く白きたんぽぽ


 歩道賞候補作(十首抄) ※作者五十音順

   凌霄花         安藤勝己
言ひがたき思ひのあれど型通り辞職ねがひを今日届けたり
退職の期日さだまりはや吾の居場所はここに無きかのごとし
呼びかくる声のむなしく卒然と母逝きたまふ倒れしままに
霜どけの雫つらなる葉牡丹を道の花壇にながく見てをり
みづからを侍むこころの萌しつつ渇く思ひのやうやく淡し
晩霜にえだ葉枯れたる花槇に生ひしひこばえ一冬を越す
かたときも休むことなく芍薬の花粉あつむる丸花蜂は
高き木を這ひのぼりたる凌霄花その頂は今なほ遠し
雲間から夕日洩れつつ降るみぞれ空には二重の虹わたりたり
つつしみて焦ることなく淡淡と趣くままに生きんと思ふ

   
平砂浦         石井清恵
静寂は木下にありて黄葉の一葉一葉は光りつつ落つ
わが為の時得し施設の残生を得がたき事と思ひすごせり
わが残生区切りとなしし仰臥にて生きる誠の喜びを知る
砂防林除去し広がる砂浜の悲しきまでの今日の夕焼け
西風の吹く平砂浦人音の絶えて日すがら飛砂はけぶらふ
潮煙限りなくたつ海の向う大島さながら揺らげる如し
岬山の空に響きて吹くならひ篠竹藪をたわめて暮るる
近寺にて打つ除夜の鐘聞きながら施設三度(みたび)の新年迎ふ
休暇にて帰るといふ子の便りあり旧正月のベトナムの国
卒寿なるわが一年は未知なれど一日単位の心に生きん

   
鵯のこゑ        原田美枝
この島の入江に沿ひて建つ家並秋の日ざしに映ゆるさびしさ
しめりある土の匂へる晩秋の島の畑につくね芋掘る
歳末に逝きはや五年夫の母しのぶ山畑枇杷の花咲く
雨戸鳴り風雨つのれる朝まだき冬のいかづち短くて止む
をりをりに通ふ道の辺あまたなる枸杞の赤き実冬の日にてる
午後三時の道に電柱の影長し冬の日かくも早くうつろふ
長き風邪やうやく癒えて馬鈴薯を掘りをり一月終りに近く
見えわたる連山黒くその上に大寒の茜しばらく残る
広島に被爆死したる父をもつわれをいつよりか君は目守りき
被爆手帳持ちて生くるは悲しからん君の目差をりをり遠く

   
愁 然         元田裕代
病室の窓に夫の黒き影見えて駐車場にしばし佇む
脱水の症状著明に現れて夫の妄想昼夜におよぶ
薬なく点滴もなく食も無し夫の転院われ申し出づ
酸素吸入拒みし夫の傍らに声をかけつつマスクを当つる
残る者の苦しみ幾許解くと言ふ法事の教へわれは守りつ
ひるがへる山茱萸の葉の見えながら車内に夫の遺骨を抱く
納骨を終はらんとして額づける墓地に静かに春の雨降る
骨壷を納めて帰る車内にていくばく心軽くしなりつ
ふた月もすれば夫の一周忌待つ者の無き日々に慣れゆく
培ひし夫思ひてゐたりけり無花果のあをき実を数へつつ

   
遭難の記億       本吉得子
年迫り子らと連れ立ちネパールに三たび旅する夫と吾は
澄む空に遠く連なる山々をぬき出で聳ゆアンナプルナは
高山に病み臥す夫とヒマラヤの大つごもりの風の音聞く
新年の光及べる峯に立ち望むヒマラヤ果てなくつづく
遭難をしたる日思ひゐるならん婿は一途にその山見つむ
ダウラギリに向ひて婿が亡き友を呼ぶ声辺りの山に木霊す
若きらが逝きたる山に吾もまた孫子と共に両手を合はす
氷壁のするどく光るその山に命かけたる若きら思ふ
残生にふたたび会へざる思ひにてダウラギリ背に巌山くだる
七十年生きし命の尊さをつくづく思ふ山にむかへば

   
閉 店        横山節子
まだわれに裡なる力湧くゆゑにみづから決めん廃業のとき
あと幾日の営業ならんと数へつつゆく常の道風光あたらし
閉店に向きて心は迷ふなくはげしき夕日のさす道帰る
夫亡き後われ一人にて調剤の仕事にひたすら励み来たりき
閉店の貼り紙しつつ三月の残照の空しばし見て立つ
閉店にて解体業者にわが店の鍵わたすとき涙こみあぐ
ことごとく店は解体撤去されあらはなるへやに呆然と佇つ
虚しさと安けさ共に胸に湧く五十年経し商ひ終へて
拘束のなき日を得たる戸惑ひかわれあるときは罪負ふごとし
移り来て夫と励み五十年経たるわが店薬局を閉づ




  
選考経過           秋葉 四郎

 今年の歩道賞の応募は、三十四編で、やや応募状況が芳しくない。その応募作品について例年の如く作者名、題名を伏せた作品を選考委員の鎌田和子、波克彦、秋葉四郎の順で回覧し、めいめいが十編を選出した。その結果は別表の通りで、選考委員二人以上が採った作品が候補作で、今年は八入、八編となった。この八作品を中心に、さる八月二十七日、歩道発行所に於いて、秋葉四郎を選考委員長として選考に当たった(鎌田委員は書類参加)。
 今年も、三人の選考結果が同じ作品に多く集まっていたから、問題となるところは少なかった。全候補作をすべて読みなおし、十分に吟味した結果、三人が採っている浦靖子さんの「悔限りなし」三十首、大貫孝子さんの「家跡」三十首の二作品に今年度の歩道賞を贈ることにした。
 この両作品は、奇しくも悲しい体験がその内容となっている。浦さんの作品は、家業の会社を経営していた御主人が思い半ばにて亡くなり、その後を継いで苦労した御子息が若くしてまた亡くなってしまうのである。その全てを見守り、詠わないではいられない思いが全編に吐露されている。そして詠うことにより、鎮魂をし、詠うことにより自身の今後の道を切り開こうとするところが見える。佐藤佐太郎の純粋短歌をながく愛し、これほどの苦難をも作歌によって強く生きようとしている姿が作品に現れ、表現も確かである。「歩道賞」にふさわしい作品である。
 大貫さんの「家跡」も同様に切実である。三年前の東日本大震災の犠牲になって両親を亡くし、生家も全て流され、家跡だけが残っているのである。それから三年の月日を積んで墓参、追悼式に帰るところが哀切であり、このシチュエーションによって、一連が特殊になり、個々の作品の響きを痛切にしている。いわば体験した者は詠い残すべき内容であり、「歩道」という抒情詩短歌の結社としての存在意義を示すものと言っていい。やはり「歩道賞」にふさわしく、甲乙を付けず両作品に「歩道賞」を贈り、会員諸氏に広く読んでもらうのがよいのである。
 今年も常連の応募者があり、新たに挑戦してきている応募者がある。どちらもありがたくうれしいことである。
 殊に、石井清恵さんの応募は感動的だ。九十歳となり、しかも多く仰臥の日々にこれだけの作品を生んでいることは他に例が少ないことであろう。「歩道」の誇るべきことであり、
この作歌魂にただ頭を垂れ、敬意を表する次第である。多くの会員を激励してくれることでもある。他の候補作もそれぞれの境涯が出ていてよい。こういう作が一つのテーマにそって三十首揃うことが期待されるのである。この作歌魂にただ頭を垂れ、敬意を表する次第である。多くの会員を激励してくれることでもある。他の候補作もそれぞれの境涯が出ていてよい。こういう作が一つのテーマにそって三十首揃うことが期待されるのである。



  
受賞の言葉          浦  靖子

 
この度は思いもかけない歩道賞のお知らせを頂き感無量でございます。
 歩道短歌会という名誉ある結社に入れて頂き、二十三年、少しでも純粋短歌に近づきたいと思いつつも不勉強の自分を反省して居りましたのに、この栄誉に浴し心よりうれしく感謝に堪えません。
 昨年、働き盛りの長男を亡くしました。幼少より人並以上の体格で病気など無縁だった息子の人生半ばの死は肯いがたいものでした。いつまでもその喪失感から立ち直れない自分に区切りをつけたい。又、詠むことによって少しでも息子への鎮魂になればという思いから一周忌を機に発病からの日々を歌に詠みました。その中の三十首を応募させて頂いた次第です。
 歩道賞など未だ未だ縁遠いと思っておりましたのに、この栄誉に浴し、望外の喜びでございます。有難うございました。
 ご推薦下さいました選考委員の先生方に心より御礼申し上げます。これを新しいスタートとして研鑽を積み、この賞に恥じない歌を作って参りたいと存じます。



  略 歴(浦 靖子)


昭和十四年十一月一日生(宮城県)
平成三年五月 「歩道」入会
平成十五年 第一歌集『花筏』(私家版)刊行
住 所 宮城県大崎市



  受賞の言葉          大貫 孝子

 突然の歩道賞入賞のお知らせに、大変驚き、感激いたしております。
 もう三年半前になります東日本大震災、その大津波に安全と思い避難してきていた伯母とともに父母が、また家・畑が流され、壊滅の町といわれた故郷女川町、私は堆き瓦礫の前に呆然と立ち尽くすばかりでした。この未曾有の大震災を詠んだ全国の歩道会員の短歌を、秋葉先生が尽力、編集された『平成大震災』は、誠に有り難く意義深いことと、感謝いたしております。
 その後、女川町は皆様のご支援のお蔭で復興へと進んでおります。街全体が五メートルの嵩上げ、住宅の高台移転の造成が始まっております。港の上を海ねこが在りし日のように鳴きながら悠々と飛んでいます。しかし失ったものは再びかえることなく、変わり果てた故郷、私の目に見えるものはすべてが悲しく、帰省の折々の断片をまとめたのが「家跡」です。生れ育った美しい故郷、父母のなく、帰る家もなく、変貌していく故郷をこれからも歌い続けていきたいと思っております。本当にありがとうございまし
た。
 私は、夫の転勤や仕事に就くことになり、作歌とは距離をおいておりました時期もありました。今回、仕事を退職し集中して作歌の時間を持つことができました。これからも茂吉・佐太郎の歌を心の支えに、純粋短歌論を学び、自然自己一元の生を写した短歌をめざし、会員の皆様と共に励んでまいりたいと心を新たにしております。歩道会員を常に指導されておられる先輩の方々、関係者に心よりお礼を申し上げます。 私は、夫の転勤や仕事に就くことになり、作歌とは距離をおいておりました時期もありました。今回、仕事を退職し集中して作歌の時間を持つことができました。これからも茂吉・佐太郎の歌を心の支えに、純粋短歌論を学び、自然自己一元の生を写した短歌をめざし、会員の皆様と共に励んでまいりたいと心を新たにしております。歩道会員を常に指導されておられる先輩の方々、関係者に心よりお礼を申し上げます。



  略 歴大貫 孝子

昭和二十八年三月十六日生(宮城県)
昭和五十六年一月 歩道入会
昭和五十九年 第三十八回岩手県芸術祭短歌部門奨励賞
住所 東京都府中市