〔歩道賞 一覧(S36~H14) 一覧(H15以降) 作品 S36~49 S50~59 S60~63 H元~14年 〕 

2020(令和2)年度 歩道賞受賞作    

   花  影        佐保田 芳訓

おのづから光り散りゆく花ありて羽村の堰に桜咲き満つ
堰落つる水のひびきのさやかなる多摩川をゆく鷺の群あり
骨髄の移植を終へて二年過ぎ咲ける桜の花を惜しまん
千本の桜花咲く多摩川のほとりを病癒えて歩める
三月のおもひがけなく降る雪に多摩川白く山々白し
抗癌剤治療の日々をかへりみて生きのびたりといふ思ひ湧く
咲きしばかりの桜並木に降る雪に白くつづける堤を歩む
二度の癌の治療に耐へてみづからは何を支へに生きて来るか
九十五になりて施設に入りし友われに会ひたしと時にいふらし
わが祖母の生れし生家の段畑葡萄の花の棚に咲きゐる
昨夜(きぞ)の雪残る多摩川の堤にて桜並木の花あざやけし
五十年以前にめぐりあひたるに妻古稀となり共に喜ぶ
夕映ゆる奥多摩の山遠く見え玉川上水の桜明るむ
骨髄の移植を共に受けし人オレゴンに住み健在なりとふ
やうやくに病の癒えてヨガ体操ふたたび始め体をほぐす
中天の月の先に照らされて桜花満ち花影のあり
ビル風に桜の花片吹き散れるひと時鋪道の行手明るむ
目覚めしは即ち生きてあることぞ入院以来の思ひ変らず
いにしへの街道かよふわが街に多摩川渡船の石段残る
驟雨止み玉川上水ゆくときにしきりに樹々より雫したたる
闘病の一年終へてこののちはみづから思ふままに生きたし
愛宕山燧道を出で降る雨に過ぎゆく桜の花の散りつぐ
鯉あまた泳ぐ上水の水澄みて八重山吹の黄の花の咲く
多摩川の左岸ゆくとき橋梁に燕育ちて群れて飛びゐる
阿伎留野(あきるの)の唐黍畑つづく果低き山の上白き富士見ゆ
高層のビル病室に日々われは東京湾より昇る日を見つ
多摩川のほとりに咲けるアカシアの群落ありて甘き香の満つ
対岸に咲けるアカシアの花見つつ朝の日を浴び堤をあゆむ
あたたかき風に吹かれてひとしきりアカシアの花川に散りゆく
多摩川の中州に群れて咲く花の白美しきアカシアの花


歩道賞準賞


   
キリマンジャロの山旅  細貝 恵子

ユーラシア大陸を越えアフリカの上空夜明けのかがやきを見つ
ひろらなる裾野に笠雲かかりゐてキリマンジヤロがうつつにそびゆ
ジヤングルの奥にすがしき音ひびきひかりて落つるひとすぢの滝
目覚めたる森の夜ふけにけものらのををしく吠ゆる声を聞きをり
茂みにてひそむ緑のカメレオンわが手のうへに色かはりくる
星空のなか天頂のさそり座が動くごと見ゆ寝しづまる夜半
荒野にて永遠の名の花が咲く風にかそけき音をたてつつ
雲さむく砂嵐が身を打つ砂漠世の果てをゆくこころ湧きくる
富士山を超えたる高度に()レポレと声をかけられ息を整ふ
              
 (※スワヒリ語 ゆっくり)
山頂の直下のゆふべ垂れこむる雲の乱れて風花のとぶ
凍てつける標高五千メートルの闇が体にのしかかりくる
闇のなか砂礫の急な勾配にあへぎてをれば月出でてをり
三日月のかがやく暗き雲海のはてあかあかと長き夜が明く
火口縁につひに至りてわが体モルゲンロートに染まりかがやく
ふりさくる朝の空にうす雪のキリマンジヤロが安らけく見ゆ


歩道賞候補作  ※作者五十音順

   筆 談         安部 洋子

突然の病気発症告げられて病床の夫思ふせつなく
難病と告げられてより宮崎と東京行き来の治療はじまる
この薬のめば幾許この体保ちゆかんか疑はず飲む
高齢者その病より肺炎を恐るるべしと今日医師の言ふ
発症の後に覚えしスマートフオンわが身離さず傍らに置く
夫との話したきこと日々あれば伝ふるすべは筆談となる
話したき事のすべてを筆談に頼れば心身共に疲るる
わが思ひ伝はらぬ故の苛立ちに涙こぼるる昨日も今日も
帰り来て夫に向かひ発病の苦しみ言はず今日を振るまふ
握手して昨日上京せしわれに夫逝きたる訃報の届く


   入り日のなごり     樫井 礼子

家族呼べ命の危険と医師の言ふ茫茫として遠くに聞こゆ
ラインにて子らを呼ばんとわが指の震へて幾度も打ち直しゐる
治療終へ集中医療の部屋にゐる夫の顔になほ生気なし
落葉松のおほかたの葉の落ちて森幹ことごとく冬日にひかる
わが窓に降霜の原見えてゐる半影月食の光やはらかし
すでにして暮れたる安曇野常念の雪嶺あはく茜の残る
氾濫より五ケ月過ぎて千曲川のひろき河原に土砂浚ふ音
白馬(しろうま)の嶺に雪形はや出でて残雪うすし今年の春は
陰りなきスーパームーンの照るゆふべ緊急事態宣言を聞く
低気圧居すわり寒き日の続く今日わが顔に眼鏡が重し


   ドナウ川紀行      猿田 彦太郎

妻の漬けし古き梅干たづさへてドナウ川見んとわが旅に来つ
ドナウ川の船より見ればをちこちの山腹山頂に石の城立つ
山間の段々畑にぶだう棚培ふ集落船に見てゆく
ドナウ川につづく山やまの木々ふかく青葉蔭たち暗くしづまる
ドナウ川船にてゆけば王宮の照射を浴びて鷗飛び交ふ
岩塩坑の天井壁を手に取りて口にふくめば古代の味ぞ
みづうみを囲む朝の気立ちながら一山はれて一山もやる
岩塩をトロツコに載せて運びし跡洞の寂しき軌道を歩く
国立のオペラ座内の装飾の豪壮のなかおどおど歩く
ウイーンよりつづく畑に向日葵の枯れゐて花床黒々と見ゆ


   後遺症         杉本 康夫

毎年の人間ドツクに感謝して早期治療と気を持ち直す
放射線を照射するため技師二人ターゲツトマークを腹部に描く
病名は「放射線性大腸炎」便意ともなひ出血つづく
後遺症の現れ方は人により早期晩期の二通りあり
施術後の体調変化を担当の医師に問はれしこと思ひ出づ
待合の廊下にときをりあらはれて人型ロボツト注意喚起す
思ひみれば七十年か倹しくも生き来し己の運命と知る
老いふたりともに病を抱へつつ倹しき暮しつづけて行かん
宿病持つ身となり殊更恐ろしく「外出自粛」を律儀に守る
人目にはさほど深刻に映らざる病を抱へこの先生きん


   モンゴルの旅      田代 幸子

蒙古襲来より七百年余照りつけるウランバートル空港に立つ
巨大なる二重の虹がわが泊まる村のキヤンプをしばらく照らす
遊牧の生業継ぎし若者らオートバイにて羊群を追ふ
露天なるツアガンスムの温泉に入日を見つつ疲れを癒す
わが泊まるゲルに立ちたる煙突のけむりたなびく夕映のなか
ゲルの中に入り来る蛙がランタンに群がる虫を次々に喰ふ
モンゴルの夜空を人工衛星が光を曳きて銀河をよぎる
狼の気配するらし暗闇に殺気立つごと番犬が吠ゆ
狼に仔馬が引かれ行きたりとゲルの入らが朝より騒ぐ
力強く地を蹴り駆くる馬とわれ風を切りつつ加速を始む


   瀬戸内残照       早川 政子

潮退きて広々したる海中の砂洲にはつかの夕映残る
櫟の木の花穂重々と風にゆれ湧き立つごとく黄の花粉とぶ
遺言をわれに頼みし夫にてモーツアルトの曲葬にかける
厳かなるホルンに続くフルートは若きから夫奏でゐたりき
二十にて終戦迎へしこれよりは夫青春と言ひたるあはれ
遠き弟妹に夫の死去を告げし後の悲しみあらた林吹く風
免許証九十四にて返したるいくばく後に夫逝きたり
夫の癌知りしは夫の死後にして苦しみ見せず言はず逝きたり
寡婦となり郵便物の減りしなどかかる瑣事にも不意に涙す
相共に子の無きことを問はず来て六十年の日月恋しむ



   選考経過         秋葉 四郎

 今年の歩道賞の応募は二十九編で、やや低調な応募状況であった。しかし、応募会員の志向はこのところの「歩道」の傾向を引き継ぐもので、心強いものであった。即ち、永年「歩道」で修練している人が進んで応募してくれている傾向で、すでに受賞している会員も進んで応募され、この歩道賞を盛り上げ、レベルを高いものにしてくれている。ありがたい事であり、われわれ選考委員も、例年通り、感謝して選考にあたった。
 応募作の名前を伏せた作品を選考委員の、香川哲三、波克彦、秋葉四郎の順で回覧し、めいめいが十編を選出した。その結果は別表の通りで、選考委員二人以上が採った作品を候補作とした。今年は八人が該当した。去る八月二十七日、編集作業の後に、広島の香川氏は、コロナ禍を配慮し、オンラインにて参加、秋葉四郎を選考委員長として三人が十分に協議し、選考に当たった。
 三人が採っている候補作のすべてを改めて検討し、特に各選者が一番に推す作品を十分に吟味した結果、今年は毎年「歩道賞」に応募され、しばしば候補にもなっていた、佐保田芳訓氏の「花影」三十首がテーマ・構成・境涯をさりげなく反映した一首一首の完成度、その上に長年の努力を背景にした余情のようなものまで醸し出されていて、一歩抜き出ている作品であった。選考委員三人が迷うことなく決定した。
 昨年の小田裕侯氏に続く、「歩道」のベテランの健在ぶりもうかがえて、「歩道賞」の価値も上がることであり、敬意を表し心からお祝いを申し上げるところである。
 一方で、若い応募者、初めての挑戦者も目立った。細貝恵子さんの「キリマンジヤロの山旅」は、意欲作で、全身で素材に立ち向かう若さにあふれている。作品の出来も確かで注目された。こういう努力を遺すべく、選考委員三人が相談し、「歩道賞準賞」として讃え、発行所の御理解の下会員の皆さんにも読んでいただくことにした。
 今回も力作が多く、別表に示されている通りだが、一票でも高レベルのものは少なくない。例えば大栁勇治氏の「命の波状」などいわば命を賭して出来ている作であり、貴重である。この経験を積み上げ作歌力に昇華して、本物になってゆくのであろう。新しい応募者の活躍に大いに注目し、既受賞者の力作にも年々期待している。歩道賞は、今後もレベルの高いところで競ってゆきたいと願っている。(秋葉四郎)


   選考を終えて       波 克彦

 今年の応募者の作品から言えることは、選考委員の二人以上が選んだ応募作八編及び他の若干の応募作とその他の応募作のレベルにはやや、あるいはかなりばらつきがあり、後者は三十首を群として評価したときに質的に見劣りがした。三十首がいわば連作のごとく纏まった詠嘆として提示できるよう、テーマを定め、そのテーマについて少なくとも四、五十首を作り、選歌や推敲を重ねて三十首となし、纏まりのある応募作品群として積極的に応募していただきたい。尚、応募作の中には、現代仮名遣いと歴史的仮名遣いが混在したり、誤字も見受けられたが応募にあたってはそのようなことが無いよう十分注意していただきたい。


   応募作評価の姿勢      香川 哲三

 応募作二十九篇を精読しながら感じたことは、何れの作者も、事実に立脚し、声調を大切にして作歌しているということであった。写生論、純枠短歌論を拠り所とする歩道賞応募作だから、これら二つのことは必要条件と言っていい。加えて、一首一首の中身・重み、詩情性、三十首を成した必然性などが応募作に求められると思うが、選考に当たっては、これらの要素が渾然一体となった、三十首総体としての充実度に注目することになる。選考委員三名は、こうした評価の物差を共有しており、最終的に絞られた三篇の候補作、それらに対する意見も、一致したのであった。今年は、新型コロナウイルスのため、私は広島の自宅から、しっかりしたセキュリティー対策のもとにオンラインで参加させていただいたのだが、歩道賞に対する選考委員会の確たる姿勢を、改めて強く感じたのであった。


   受賞のことば       佐保田 芳訓

 この度は歩道賞を頂くことになり望外のよろこびです。秋葉四郎先生始め、選者の先生に感謝申し上げます。昭和四十六年歩道入会以来、作歌を続けて来ましたが、多くの先輩よりかけて頂いた言葉の数々が、今日の自身の支えになっております。さらに飛躍するよう、歌にも文章にも努力したいと思います。ありがとうございました。

   略 歴

昭和四十六年六月 歩道短歌会入会
昭和五十二年   歩道編集委員
歌 集 『青天』『火星蝕』『春螢』
評論集 『佐藤佐太郎私見』、『佐藤佐太郎の作歌手帳』