〔歩道賞 一覧(S36~H14) 一覧(H15以降) 作品 S36~49 S50~59 S60~63 H元~14年  

 2019(令和元)年度 歩道賞受賞作    


   四季をりをり     小田 裕侯

藤の花咲く年年にたづさへて来し鴨山も遠くなりたり
昼くらき銀山の径行きゆくに風にまぎれて鶯の鳴く
銀山を守らんとして城山に果てにし尼子のもののふあはれ
春疾風吹きしづまりて暮るるころ杉の梢に日が当たりゐる
早春の音と思ひき楢山に落葉踏みつつ山どりあゆむ
一人にても孤独にあらず小鳥なく峡に山葵の春苗植うる
この峡の山ぼふし花の終りゐて梅雨の兆しの雨降りそそぐ
難聴の妻との齟齬も楽しけれ門田に補植の手を休めつつ
田疲れの体をしばし癒さんか柿の若葉のそよぐ木下に
わが庭の八重の櫻は時ながく咲きて五月の晩霜にあふ
今しがた苗箱洗ひゐし妻が顔ととのへて買物に出づ
居る筈の夕ぐれ妻の見当らず長男がしばしば厨をのぞく
見るとなく聞くとなくゐる夜のテレビ切れば傍への妻が目をあく
山ひとつ越ゆれば即ち匹見峡今年も逢はん歌の友どち
先生の歌碑建つ匹見いつにても赤谷川に鴛鴦あそぶ
奥匹見にいしぶみ竣りて四十年集ひて草引く友も老いたり
先生も浅井喜多治もすでに亡し赤谷川の瀬音聞くのみ
碑の前にふたたび逢はんと別れしに近藤清子思へば泣かゆ
山々をめぐりて働きし兄とわれ街の医院にしばしば出会ふ
朝早く来て診療を待ちゐたりかかる消費も晩年のうち
見納めかとも思ひつつ難病の手術に向かふ義妹を励ます
ところどころ沢蟹出でて鋏かかぐ雨の林道歩むもたのし
山茶花の白きはまりて咲く庭に今日生日の亡き人しのぶ
林道に落葉吹かるる頃となり風に従ふものをさびしむ
着脹れて山の居小屋に焚ける火の炎暖かく冬は来向かふ
山畑に培ふわさび歳晩の雪に濡れつつ新芽の勢ふ
逝く年の津和野の町のしづけさや沈む如くに雪の降り積む
いつ来てもベツドに眠りゐる友よここの施設が終の栖か
老といふ寂しさ知らず逝きし父切実にして思ふことあり
「日暮れて道遠し」とは吾のこと怠惰に過ぎて余生いくばく



歩道賞候補作  ※作者五十音順


   看取り        青木 伊都子

婚家にて病む老い母を看取りたし夫と義父の賛成あれば
十年の月日の経れば父母(ちちはは)の老深まりて介護度の増す
昼夜なく徘徊をする義父悲し探し廻れば涙わきいづ
歩けても認知症の義父と痴呆なく歩けぬ母の介護厳しき
父母(ちちはは)を思へば憂ひ尽きねども今宵眠らん病む我なれば
我は母の夫は義父の施設へと毎日通ふ償ふごとく
喘息の持病のあれば発作にて入退院を母くり返す
痴呆なく要介護五にて母は逝く病みて十余年九十三にて
壁紙に伝ひ歩きし亡き父母の指跡残り心切なし
亡き父母のその晩年を顧りみて安けき死などなしとぞ思ふ


   耕 土        伊藤 淑子

ひと冬の雪に圧されし積藁を匂ひさながら畑に鋤きぬ
疾風にビニールハウス揉まれゐる様ありありと見ゆる月の夜
果樹園の林檎の木伐る憩ひなき音はひねもす裏丘にあり
耕して甦りたる田のほとり匂ふともなく山桜咲く
循環器外来にきて受信待つ夫のそばにいつしか眠る
移植する苗はをさなく晩春の暑き菊畑土乾きをり
植ゑ終へし一万二千の菊苗に降る夜の雨ありがたく聞く
遠くまで水を湛へし田の面は遅く昇りし月に照りゐる
ことごとく水張田となり浮島のごときわが家に夕べ帰り来
のがれ得ず家継ぎてより四十年耕す土は老ゆることなし


   街の森        上野 千里

たしかなる違和感ありしわが腹部手術の診断うけて帰り来
体力を付けんと暑き森歩む桜の病葉音なく踏みて
雨の午後手術のための同意書に署名しをれば悲しみのわく
石蕗のいまだ咲きつぐわが庭の落葉掃きをり入院の朝
病棟のながき廊下に音の絶え午後の窓そと昼日あまねし
息子らのたわいなき話聞き居れば手術の時間迫り来るなり
麻酔よりかすかに醒むるわがほとり嫁の声する夫の声する
おどおどと躰ささへて昼日さす廊下をあゆむ手術二日目
病室に食事するさま亡き母に似たるわれかとひそかに思ふ
昨日より今日の歩みは力あり廊下の往反仕事となして


   慰 霊        大貫 孝子

土砂運ぶトラツクの影消えゆきて町の復興後半となる
すでに町の所有となりし山峡の家跡生ふる雑草を踏む
夕光のなか雪被く松島を見つつ大伯母の葬儀にゆけり
慰霊の日の父母の墓に仰ぎみる山の冬木々ことしも変らず
三月十一日寺の供養のつつがなく御詠歌の中焼香したり
語部となりてわがをぢ訛りつつ大津波逃れし経験語る
仮設出でて高台に住む叔母訪へばオール電化の家に一人住む
いにしへの歴史をしのぶ月浦の南蛮井戸を夏草おほふ
味噌汁にうく山東菜のうすあをき葉のかなしかり父母を偲ばす
家跡の近き川岸ただひと木残る桜に若葉萌えそむ


   穂の影        樫井 礼子

老母の一日六度の服薬がわれのひと日を刻みて久し
衰への増しくる母と訪ひぬ黄葉明るき母のふるさと
とほき日に遊びたるらん畑の前杖にてたたずむ母の小さし
十年ぶりの夫の発作に救急車呼ぶ電話機に指震へつつ
救急車の中にて顔をゆがめゐる夫の冷たき手をただ摩る
早朝の家に戻れば一人にて残されし母取り乱しゐる
常念の南斜面に夕つ日の差し雪けむりさかんに上がる
田を巡る用水路の水かろやかにゆく音聞こえ三月に入る
青空にするどく飛行機雲のたち短く消ゆる雪山のうへ
この家を去らねばならぬ老母の嘆きは吾への恨みとぞなる


   冬の花        佐々木 比佐子

電話より母と妹の常ならぬ涙こらへる声が聞こゆる
クリニツク本日閉ざす弟の健康回復ひたすら祈る
医師ゆゑの覚悟をもちて弟は治療専念の生活始む
戒名をもらふと言ひし弟と菩提寺に来つ菊携へて
雪待つ()もみぢかがやく(しづく)(いし)の山の(くれなゐ)極まりゆかん
弟の手術成功のみ祈り家に籠もりて過ごすいち日
()り立てばくりこま高原駅暮れて音無く吹雪(ふぶ)く夜道を帰る
胸中に人のこころのある言葉温めながら冬の日あゆむ
電灯を()けんと入ればわが部屋の(ゆか)を照らして月あかり差す
(さかづき)にわづかいただく屠蘇の香にいにしへの華陀しのびてやまず


   のちの思ひに     佐保田 芳訓

遠目にも川底見ゆる多摩川の上流に住み三十年経つ
二度癌を病み永らへて憂ひなく妻と吾との日々の過ぎゆく
同じ病に苦しみたりし一年のまじはりありて逝く人送る
病にてわが四十年なりはひの仕事を止めて悲しともなし
骨髄の移植を終へて一年余ふたたび桜咲く(とき)に逢ふ
創立者高木兼寛の思ひにて病院食の麦飯を食ふ
小学校の通り道にて日々見たる杉田玄白の墓ぞ懐し
生涯に母にしかられし記憶なく父も同じと懐しみをり
妻に添ひ十年通ふ病院に今年も泰山木の花咲く
体内にいまだ癌細胞残れりと手術終へたる妻に医師いふ


   アンデスの旅     細貝 恵子

雨季明けの近きクスコの町の空雲うごき出でて雷鳴ひびく
スペインの建物の下に精緻なるインカの石組うつくしく見ゆ
奏でゐるフオルクローレの哀調が胸に沁みゆく民族こえて
緑なす聖なる谷の高き山氷河が夕日のひかりをかへす
チチモヤやコカの木のこる庭の跡あざやかに紅き蘭の花さく
延々とつづくアンデス山脈のふもとにアルパカ群れて草喰ふ
離れたる山より引かれし水汲み場今なほ水のたまりつつをり
ウロス島の葦の家のまへ馬鈴薯のうす紫の花さき育つ
アンデスの山に夕日の近づきて雨はれし雲に虹のかがやく
紀元前後描かれしといふ地上絵が砂漠の大地にくきやかに見ゆ



   選考経過         秋葉 四郎

 今年の歩道賞の応募は三十五編で、会員数の割合で考えると、全盛期に勝るとも劣らない。有り難く、うれしい事であった。年々同様の力作が目立ったのは、永年「歩道」で修練している人が進んで応募してくれているからで、望ましい事であり、われわれ選考委員も、感謝して力を入れて選考にあたった。
 応募作の名前を伏せた作品を選考委員の、香川哲三、波克彦、秋葉四郎の順で回覧し、めいめいが十編を選出した。その結果は別表の通りで、選考委員二人以上が採った作品を候補作として、今年も九人が該当した。しかも三人が選んでいる作品が七編あって、作品のレベルが拮抗し慎重な審査が要求された。去る八月二十一日、発行所に三人がそろい、秋葉四郎を選考委員長として選考を進めた。
 三人が採っている候補作のすべてを改めて検討し、特に各選者が一番に推す作品を十分に吟味した結果、今年は「歩道」での歌歴の長い小田裕侯さんの「四季をりをり」三十首がもっともふさわしいと判断し、「歩道賞」を贈ることにした。
 小田裕侯さんの作品「四季をりをり」は、お読みいただくとお分かりのように、島根県の山村で農業に携わり、山葵なども作る生活をするかたわら、生涯迷うことなく、佐藤佐太郎の「純粋短歌」一筋で作歌され、この一連はその所産であることをしみじみ思わせる。この一連を読むだけでも、純粋短歌そのもので、日常の暮しをテーマにしても、山川草木に目を向けても、境涯の肉声が添い、読者は一首一首の前に佇立することになるのではあるまいか。あらゆる爽雑物がみな取り除かれ、純粋にその詩が伝わってくる。昭和三十三年に「歩道」に入会、佐藤佐太郎に師事以来、実に六十一年間の蓄積が、老境の輝きとして作品に響いているように思う。
 今回は特に受賞作に肉迫している作品も目立った。伊藤淑子さんの「耕土」も農業生活者としての感慨が一連よく徹っている。また、佐々木比佐子さんの「冬の花」も、内容が切実で、表現力にも努力して優れているところがあった。新しい応募者の活躍に大いに注目し、既受賞者の力作にも年々期待している。歩道賞は、今後もレベルの高いところで競っていただくようにしたい。


   選考を終えて       波 克彦

 今年の応募者の作品から言えることは、三人の選考委員全員が候補として選んだ七人の応募者の作品三十首に比べて他の応募者の作品は三十首の作品のレベルにやや、あるいはかなりばらつきがあり、三十首を群として評価したときに質的に見劣りがした。来年はより多くの会員が三十首を全体として纏った詠嘆として提示した作品群三十首をもって積極的に応募してほしいと思う。


  歩道賞の選考に当たって   香川 哲三

 応募作三十五編を精読しながら感じたことが幾つかあったので、その一端を記させていただきたい。一つは、主題設定についてである。端的に言えば、三十首を纏めた作者の思いが込められた作品群であって欲しいということである。応募作を構成する三十首の中身は様々であっていいのだが、佐太郎先生が嘗て述べていたように、作者が何故一連の作を成したかという、必然性が感じられるものに自ずから注目したのであった。他の一つは、どのような素材であるにしろ、歩道賞応募作品には、写生短歌の魅力を生み出す源、即ち作者の境涯の反映が欠かせないということであった。
 追って、三十五編の応募作には、何れにも心打たれる作品が見られたが、全体として水準を超える作品を揃え得た作者は限られていたように思う。月々の詠草とは別に、三十首を纏めるには相当の努力を要するが、目的を持ち、集中して作歌すれば、力量は着実に醸成されるので、来年度に向けての準備を計画的に進めていただきたいと心から願うのである。



   受賞のことば       小田 祐侯

 歩道賞の応募は四十三年振りのことでした。はからずも入賞の報に接し、喜びと同時に何かひとつ肩の荷を下ろした思いでもあります。
 昭和三十五年「歩道」に入会してすでに六十一年、入に示すほどの歌業も作品の進展もなく今日に至っており、恥ずかしい限りである。
 受賞の作品は確たるテーマもなく、四季の移ろい、自然の営み、日常身辺をあるがままに詠んだに過ぎない、ごくありふれた作品集と言えましょう。でありますが、晩年の佐藤先生の言われた「作者の影」を少しでも感じていただければ望外の喜びであります。
 推薦くださいました選考委員の方々に、心より感謝の意を表し受賞のことばといたします。

   略 歴

昭和八年一月二日生(大阪府)
昭和二十五年九月 緑野短歌会入会
昭和三十三年五月 歩道短歌会入会
昭和三十四年 角川短歌賞最終候補 筆名 山本博史
昭和四十七年 歌集『黒文字』刊行
平成八年 「緑野」編集人
・島根県在住