平成十九年歩道賞            



   ☆ わが夏の旅      渡辺 謙





   ☆ 折   紙      清宮紀子







  わが夏の旅               渡辺 謙


眼下の青き谷丘のぼり来る牛ら見えをり霧の晴れ間に
谷間を埋めて流動ただならぬ雲の彼方に雪山いくつ
動くとも見えぬ氷河が空高き雪の原よりかたむきてくる
眼下の氷河の合流するところ氷塊ひしめき撲ちあふごとし
七百年氷河に埋もれゐしといふ松の太幹みづみづしけれ
アイガ―にいまだ夕日の差しをれど下谷昏れて家々ともる
氷河期に成りたる深き谷間より仰ぎみる朝の空のすがしさ
踏む雪の下に空洞あるらしく融雪の流れこだましてをり
夏空のすがしき藍と思ふまに時雨ふりくる峠路にして
カ―テンをもるる夜更けの月光に曝されゐたり旅人のわれ
月の夜のあかるき空に聳え立つマツタ―ホルンの鋭きかたち
五十頭の山羊鈴ならし下り来れば人も車も道あけて待つ
風雪のきびしき冬に耐へんとぞ屋根に石葺く集落のあり
回廊をめぐらす中庭簡素にてただ一本のあぢさゐが咲く
外界との縁は小さき窓ひとつ修道僧の個室ならべり
松の木をゆさぶるごとく鳴く蝉も異国に聞けば爽かにして
人はみな斯く重き荷を負ふならんイエスの像を見つつ思へる
黄に熟れて起伏なせる麦畑は空より明るき余光をたもつ
登りきて砦に立てば銃眼の彼方に平和なる麦畑が見ゆ
ネツカ―河昏れゆくときに水門に落ちゐる水の白さ目にたつ
をりをりに処移りて鴎らは青き草生にむらがり憩ふ
ゴツホ描く農夫をみればおしなべて苦しく腰をかがめ麦刈る
牧場のいたるところに撒水機ありてかがやく水飛ばしをり
一時間して帰りしに公園のベンチに同じ人寄り添へる
わが心昂り乍ら手に触れきミケランジエロのジユリアスの像
星宿の光に濡るる思ひにてステンドグラスを仰ぎてゐたり
戦の傷跡いまも痛ましくケルン大聖堂空にそばだつ
野兎は驚きやすくちりぢりに逃げゆくときに白き尾のみゆ
いづこともなく飛び来る四十雀たは易く人の手の平に乗る
わが家に籠るかすかなる匂さへ忘れて長き旅をつづけし





  折 紙                 清宮紀子


母の亡き嫁とおもひて訪ひくれば細々こまごまと言ふ出産のこと
ひたすらに待ちたる嫁の出産の叶はざること息子より聞く
かつてわが入院したる病院に嫁が早産の手術をうける
人工の流産ゆゑの激痛に耐へゐる嫁をただに見守る
母子手帳を見つつ平静を保つ嫁かたはらにわが息子声なし
女の子の名前をつけて待ちしとふ子を失ひし息子夫婦は
三十分ほどにて出でてこし骨は楊枝のごとく目の前にあり
戸籍なき命なれども斎場に焼かれし骨をおのおの拾ふ
手のひらに載りて小さき壷の内底にかたまり白き骨見ゆ
いつまでも小さき骨壷抱きゐる嫁あはれめば灯の淡く差す
斎場に近き畑中ほほけたる茅花一斉つばな    に風にかたむく
苦難こえふたたび懐妊したる嫁ともなひ共に参詣をする
林檎煮る昼の厨辺わが悔いの思ひ出でゐてなみだあふるる
包装紙に定規をあてて折紙を作る母の背いたく平たし
人間と同じ咳するわが猫にわたくしの薬夕ベ与ふる
風邪により四五日声の出でざれば猫も声無くわれに付き来る
見上ぐれば眩暈するごとき高層のビルのあひだの青き昼空
職退きて日々おろそかに過ごしをり梅雨の晴間の紫陽花の青
駅前の広場に歌ふ青年を囲む人群れ騒がしからず
風邪癒えし猫が夫に従ひて階段降り来足音強く
幼子を諭すごと猫にものを言ふ夫このごろいたく老いたり
五年経てふたたび来る匹見峡川沿ひに河原人参の咲く
梅雨近き匹見の峡に遠く鳴く三光鳥の声なつかしむ
両岸の岩に響きて激つ川めぐりの森の緑かがやく
侵蝕の跡なまなましき岩肌に激ち流れて水ひびきあふ
匹見川渓谷ぞひの低山に木天蓼いづこもしろじろ揺るる
蛇行して流るるマナガ瀬渓谷に緑のかたき朴の木多し
茎あかき浜防風の群るる浜こころ孤独にひとしきり立つ
中津川河口の浜は初夏の日の砂にまぶしく待宵の咲く
海風の吹きてゐる午後河口には浜大根の爽実かがやく









歩道賞候補作(氏名五十音順)




  熊 野                 荒木精子


朝すぎし雨にうるほふ苔さやか大門坂の古りし石階
ほむらたつ炎のごとく生動する滝みゆ那智の山揺るがして
しぶきあげ束なす水が断崖を降下する様仰ぎたぢろぐ
白砂の清き河原をゆく流れ熊野の山を映して青し
いく筋のゆたけき流はぐくまん山々蒼きまほろばここは
熊野路の王子の趾をめぐりつつ遠世の人の声のきこゆる
中辺路に集落ありて前畑に猪よけの柵をめぐらす
森なかに榾場のありて山猿の喰ひちらしたる茸の香のする
塵寰じんくわん を遠くへだてし奥熊野の神々のみ前にわれは額伏す
冷えしるき朝湧きたつ濃き靄に越え来し熊野の山々おぼろ





  黄 砂                 樫井礼子


悟りたること少しと思ひつつ二十九年の教職を辞す
暇あれば平日の昼買物す安けきごとく不安の如く
新しき通勤の道おどおどと下れば飯岡の海荒るる見ゆ
登校せぬ子と現役を退くわれと話題なきまま昼餉に対ふ
久々に子が登校をしたる日は夫もわれも心のはづむ
犬吠に激しく散る波おのおのに水煙とどまり風に吹かるる
足を病む母がやうやく長城に立てり五月の光纏ひて
遠く在る連山黄砂にかすみつつわが立つ長城かわきてまぶし
天壇のうへの中空夕かげり立つごと暗く黄砂わたれる
梅雨長けて海霧及ぶころとなり白いたいたしきわが街帰る





  墨の香                 鹿島典子


涙してわが進学を拒みたる母との明暮今に悲しき
是非もなく家を継ぎきて四十年湧きくる思ひ人には言はず
二人なる家のしづけさわが犬が逝きて物音たつるものなし
降圧剤朝あさ飲めば身辺に常ある薬のにほひわびしき
降圧剤飲むための白湯冷むるまではかなく湯呑を手に弄ぶ
飲み薬今日より増えてわびしもよ庭に出できて梅の実を?ぐ
父母が代る代るに硯もて墨すりくれし日々のまぼろし
作品の未だに成らずひもすがら反古積む部屋にこもる墨の香
制作にあぐね見上ぐる窓の外柿の若葉が夕つ日に照る
夏野菜の苗を求めて庭に植うかかるひと日の夕ぐれながし





  野焼き                 草葉玲子


春浅き平尾台地は幾万のカルスト群れて起伏日に照る
春空を悠然とゆく雲の下光るカルスト翳るカルスト
バ―ナ―を持ちてつぎつぎ点火する人の足下炎広がる
燃えさかる炎の中にカルストの見えて白々揺らぐときの間
けたたましく鳴きつつ頭上を飛ぶ雲雀森はひと時煙の満ちて
遠近の野焼きに連なる黒き原置く岩すべて円みを持てり
ひとときに炎は過ぎて夥しきカルスト現る原の何処も
森ちかく余燼くすぶる原の上ヘリコプタ―来て水落しゐる
やがて野に花ら芽吹かん遠くまでそよぐものなき高原静か
わが庭に野焼きの灰が山いくつ越えて降りをり帰り来しかば





  幻 影                 畑岡ミネヨ


風出でてすすき穂さやぐ大石田幾たび茂吉嘆きたりしか
硬貨ほどの道祖神彫の石悲し信濃の旅の亡き子の土産
秋づきし光ほしいまま蓄へて稲は稔りのしづけさに入る
まのあたり胸迫りつつ碑の茂吉の歌をわれ口ずさむ
横ざまに霧すさぶ蔵王の頂にまみえし歌碑を後も思はん
舞台にも似て椅子机ならびをり分教場跡蝉のこゑする
墓のべにひろがる稲田しばしばも雀威の空砲ひびく
雨あとの激つ流れに委ねつつ最上川けふ船にてくだる
午すぎの晩夏の日差照りかげるめざす蔵王の円けく見えて
蝉のこゑひびく学舎に黒板も古りて茂吉をよみがへらしむ





  雉 子                 原田美枝


馬鈴薯に土を寄せつつうらがなし春のひでりに乾ける土は
この山のあるじのごとく大きなる雉子が畑草の中歩みゆく
思はざる病にて辞職せし夫心おきなく手術に向ふ
対岸に起重機いくつ雨の中動物の群のごとくしづまる
海よりの風背にうけて島畑に玉葱植うる夕暮るるまで
里芋を掘りし畑土黒々と遮るものなき月光に照る
二日まへ玉葱五百本植ゑたるに関はるらしき肩の疼ける
吹く風に林さざめき椎の実のあまた散る音佇みて聞く
山畑の枇杷の花かをりゐるところ心しづかになりて歩みつ
健やかになりし夫が島山に竹を伐る音空にひびける
枇杷の実の黄の色深し手術にていのち得し夫一年を経つ





  平 安                 船河正則


くすりとふ寒のよもぎを摘み来たり草餅つくる妻の老いたり
寒の月彼方の杉の秀にありて夜明の坂道わがあゆみゆく
切通し出づれば吹雪まともにて老弱われは易くよろめく
枝うつるむささびならん薄明のゆくての森に音のなき影
鍼うちしわれこころよき疲労感おぼえて帰る春の夕ぐれ
春の日にわが手の触れし庭松の花粉のここだ散りて流るる
嫁ぎゆく日の近づきてわが孫の日々平静にゐるさまあはれ
庭先に湯がきし筍干しありてさつきの花の音のなく散る
午睡する残暑のひかりに黒き影おとして揚羽のしばしば過る
おのづから声あらげゐて耳うとき妻とおろかに諍ふあはれ





  死すとも忘れじ             安川浄生


予感ありて実母を訪へば臨終の寸前なりき宿命にして
離婚せし母と叱らぬ後の母甘えも愛も知らずわれ老ゆ
軍人といへど空襲も戦災も知らぬ京城のわれの青春
兵の日の零下二十度     擲弾筒てきだんとうみがきゐたりきソウルの夜更け
二百年放置され来し海女の墓心つつましく観音経誦す
わが寺に位牌つくりて供養せり海女も流人も仏にあれば
風葬の跡なる竹林歩みをり彼の世の音か笹音さびし
法名も名もなく並ぶ八千基嵯峨野に冷たき冬の雨降る
握り飯呉れねばしらみつけるぞと上野駅にたむろしゐき戦後の孤児ら
良寛の心尊び日に百羽の雀に餌やる心放ちて





  ◇◇選考経過◇◇


 今年度の応募作品は四十三篇で例年よりやや少ない。これらについて、作者名を伏せたものを選考委員の、松生富喜子氏、四元仰氏及び秋葉四郎が回覧し、各選者それぞれ十篇づつを選出し、それを持ち寄り去る八月二十七日発行所において、選考会議を開いた。各選者の投票結果は別表の通りで、二人以上が推薦した作品(表中★印)十篇を候補作として主宰に提出した。主宰の最終選考にも立合つてその都度意見も添へつつ、最終選考となつたのである。主宰が今年も極めて的確に選考に当つていただけたことは無上の喜びであつた。(秋葉四郎記)





  ◇◇佐藤志満◇◇


 候補作として推薦のあつた十篇について、その都度選考委員の意見を聞きつつ丁寧に再検討した。その結果、選考委員三人が推してゐる、渡辺謙さんの「わが夏の旅」、清宮紀子さんの「折紙」が今年は傑出してゐた。渡辺さんの作品は旅の歌ながら境涯の声がこもつてゐて、胸に強く響いてくるものがある。清宮さんの作は日常身辺の哀歓を素材として訴へるものがあり、共感を禁じ得ない。どちらにすべきか、何度も読み、検討したが、結局甲乙つけがたかつた。佐藤の没後二十年祭の年でもあるから、思ひ切つて二人に「歩道賞」を贈ることにした。二人ともこの五年くらゐ毎年歩道賞に応募し、候補作となる努力を重ねてゐる。さうした二人に「歩道賞」が贈れるのは私としてもうれしいことである。





  ◇◇受賞の言葉◇◇   渡辺謙


 お知らせを承つてびつくりしました。佐太郎先生のお教へを頂きはじめてから今年で六十年、夢のやうな幸運に何か不思議な運命を感じ、感激してをります。
 家内が発病してから五年目、この頃は漸く元気になり、家事の一部を積極的に分担してくれるやうになつたので、長年放り離しになつてゐた歌屑の整理をはじめました。過去を振り返つて何になるといふ気持ちもありましたが、先生が中尊寺金堂の作品を纏められるのに、二年の歳月を持たれたといふ話もあり、茂吉の『遠遊』『遍歴』の発刊は帰朝後二十二、三年を経てからである事などを思つて、自らを励まし、思ひ出を再構築して原稿を纏めました。
 今読み返してみると、先生の後塵を拝するのみで、何一つ新しいものを付け加へてゐないことに恥かしい思ひばかりが致します。にも拘らずこの光栄に浴しましたことはただ偏へに志満主宰はじめ選考委員の方々のご高配によるものと感謝申し上げます。この上は益々老骨に鞭打つて先生のご恩に報ゆるやう作品の深化に努めたいと思ひます。


  渡辺謙小歴
大正九年生(秋田県)
昭和二十三年初めて先生のご指導を受く
昭和二十八年一月「歩道」人会
昭和五十九年第一歌集『洋光』刊行
平成三年歌書『作歌の指針』刊行







  ◇◇受賞の言葉◇◇   清宮紀子


 この度は、名誉ある「歩道賞」を受賞できましたこと大変有り難く思つてをります。
 九十歳になる母と夫と三匹の猫を中心に、息子夫婦が味つた出産に関する悲しい出来ごとを中心に、日常の思ひを三十首にまとめてみました。日常生活を見つめ、言葉を選び推敲をしたつもりでしたが、非力な自分の姿に戸惑ふばかりでした。佐藤先生の推敲に対する真摯な態度こそしつかり見習ふべきであると、佐藤佐太郎研究資料室の作品を拝見して知ることができました。「歩道賞」の名に恥ぢないやうに、純粋短歌をめざして努力を惜しまない覚悟でをります。なほ、歩道賞受賞の九月十日の夜に、息子夫婦に長男が誕生しましたことも大きな喜びでございます。生涯忘れることはありません。本当にありがたうございました。
 佐藤志満先生をはじめご推薦くださいました選考委員の皆様方に厚くお礼を申しあげます。


  清宮紀子略歴
昭和十七年生(千葉県)
昭和四十九年九月「歩道」入会、佐藤佐太郎先生に師事。
昭和六十年第一歌集『遠雷』刊行。
平成十四年第二歌集『城跡』刊行。







〔歩道賞  〕一覧(S36〜H14) 一覧(H15以降) 作品 S36〜49 S50〜59 S60〜63 H元〜14年