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平成十八年歩道賞                


  寒 茜               石川節子


病院をいで来て寒き道の上ひかり失ひし昼の月あり
四時問の点滴をへし牀上にかうべを垂れて夫黙せる
限られし命養ひ癌を病む医師なる夫の背中をながす
病棟の五階の側壁のぼりくる現のひびき夜半の風音
病む夫の悲喜のこころの中にゐて重陽われの生日迎ふ
長く病む夫ともなひ来し街に寡婦となりたる妹に会ふ
放射線治療を終へてたどきなく夫ひたれり冬至の柚子湯
夜ふけて昨日も今日も寝ね難し置き去る如く夫看取り来て
新年の空晴れわたり夫の病むベツドに注ぐ無量のひかり
言ひがたきひとつの憂兆しつつ雪に沈みて寒の雨ふる
みづからの病の行方知るならん医師なる夫日々に黙して
看取り終へ帰りし家にともす灯に部屋の寒気は勢ふごとし
思ほえずわが体重の減りゆくか癌病む夫を看取るこの冬
衰へて眼を閉ざす夫なれど心のまなこ開けてゐるとぞ
寒の日の夕べの茜透りくる木原に向ひ言ふべくもなく
わが憂言ふべくもなくきさらぎの夕べ厨に牡蠣を剥きをり
酸素マスクつけて永らふわが夫の伸びし顎髭朝々にそる
あめつちに音なく桜花咲きて夫の亡骸家いでてゆく
夫の再起祈りて嫁が折りくれし千羽の鶴が枢を埋む
笹群の青く起き伏す谷あひに亡き夫の名を声いでて呼ぶ
わが肩に長く止まれる蜻蛉をりかかるよすがも夫の面影
亡き夫がわれを呼ぶ声雪の夜の地震の過ぎて微睡みをれば
あらかじめ独りの暮し諾ひて国勢調査の記入終へたり
枳殼の黄の実円かに光るさへ夫を悲しむよすがならんか
寒天を渡りゆく月病室に共に仰ぎきながく思はん
限らるる命のゆらぎ記ししか医師なる夫の手帳遺りて
冬の日に葦群乾く音のして償ひがたき日のよみがへる
雪深き村の乳児の死亡率ゼロにつとめし医師の夫は
患者との仲らひ尽きず月々の夫の忌日に花束とどく
呼びかくる人なき部屋に目の覚めて新しき年の光かうむる









歩道賞候補作(氏名五十音順)




  白き山河              荒木精子


山頂は風速三十七メ―トル雪煙のなかただよひ歩む
地蔵山吹雪つのりて目交は樹氷の白き団塊つづく
顔を打つ吹雪に視界とざされて鈴の音たのみ地蔵山ゆく
樹氷原を加速つのりてゆく吹雪けものの吼ゆるごときその音
雪道にみだれてつづく足跡は狸なりとぞあはれ愛しも
雪に埋れあかりもみえぬ山麓の集落さびしただにひそけく
雪閉ざす聴禽書屋の暗き部屋に語れる東北訛の親し
あららぎの雪のしづくに濡れて立つ茂吉の墓石簡潔にして
田の原の雪に埋るる黒き石茂吉が母を葬りしところ
岩壁に垂るる氷柱の反映のなか舟にゆく峡せまりつつ





  アンコ―ル・ワツト         鹿島典子


俯瞰する夕べの樹海しづまりてはるかに寺院の一群昏し
旧蹟に向かふ林道の蝉の声二月の暑き高空に満つ
内戦の銃弾の痕まざまざとアンコ―ル・ワツトの石柱に見つ
水濁る広き湖上にみるかぎり舟寄りあひて集落をなす
わがめぐる湖上に浮かぶ舟上の家のあまねく椰子の葉に葺く
水上に浮く学校に児童らは木舟たくみに操りてゆく
遺蹟より遺蹟をめぐる道の辺に村あり砂糖椰子煮るにほひ
おぼつかなき日本語まじへ幼子の寄り来てものを売らんとぞする
暑さなほ残る日の暮れ仕事終へし人等のバイク道にあふるる
内戦の慰霊塔にて累々と積まるる頭蓋に目まひもよほす





  坂 道               坂本信子


娶らざる子がまれまれに夕飯に来る中年の顔となりゐて
晴曇のさだめなき日々兆しゐる敗者のごときわれの思ひは
おもむろに悲しみ過ぎてわが下る坂の向うに新竹そよぐ
麻痺の指訓練せんと孫が弾くトロイメライはわがこころ刺す
娶らぬ子憂ひてをれどいつしかに労はられをり夫とわれと
投薬の今日より増えて帰りくる熟れたる麦の香のつよき道
音信の三月絶えゐし二男より骨髄貧血の異常伝へ来
昇進のなりしと言へど深夜まで勤めゐるとぞ二男病みつつ
子の病いかにあらんかとにかくに嫁に頼らん遠くに住めば
心身のみだれは梅雨のさむき日々帯状疱疹となりて現る





  冬の満月                清宮紀子


職を退き十年過ぎたる夫と来て水牛車に乗る石垣島に
海水と淡水混じる仲間川マングロ―ブの森影の濃し
島にある病院までの長き道夫に時折ことばをかくる
窓外に高々と立つ椰子の木が二重に見ゆると臥す夫言ふ
街路樹のとつくり椰子に台風の被害はことさらあらはに残る
夫の居る病室を出で帰る道冬の満月ビルの間に見ゆ
夕食にキヤベツの千切り刻むときゆゑなき涙あふれとまらず
祭壇に飾る写真の話などしつつ冬至の夜は更けゆく
不意に来るこの底知れぬ不安感夜半の厨にわれの立ちをり
職退けばうちの苦悩も減るべしと思ひをりしにあはれ現実





  春から夏へ               高橋緑花


峡の田を植うるをりをり吹く風に雪折れしたる松の香こもる
植ゑ終へし早苗のみどり見放くれば畦のいづこも野薊の咲く
稲妻の揺らぐひととき早苗田に激つ雷雨は水面に跳ぬる
したたかの雷雨過ぎたる早苗田は岸に片寄る浮き苗多し
空晴れて補植しをれば唐突に郭公の声水田にひびく
会議するわが真向ひの遠き田にひとり補植をする妻が見ゆ
背に痛き日差となりて田草取る泥の匂を先だてながら
青虫の這ふ冷たさに目覚むれば炎暑の汗が項したたる
畑中に脱ぎ置きし上着持ちしかば蟻の卵があまたこぼるる
五六年経なばわが田も隣田の如く草木の繁りゆくべし





  日常断想                中里英男


時計の音聞こえゐるのみ蘇る記憶のいくつ部屋さむくして
生活は片々としてすぎゆかんきれぎれゆゑのかがやきをもち
テレビつけて眠りつつゆく現実はかくもろくしてテレビにすがる
冬至すぎ浅黄の空をささやかな希望のごとく思ひあふぎし
大いなる形と言へど顫へつつまだ青きままの冬の蟷螂
急速に回復しくる記憶あり曇り晴天となる思ひにて
十一歳頃の感覚がよみがへり来るさみしさよ還暦すぎし
壮年をすぎてやうやく自らの輸郭を知る老齢あはれ
長生きを悪びれて言ふこの母の号泣を聞くこころふるへて
天頂に来てゐる火星ぬばたまの夜の深さによどみて紅し





  ドイツに憩ふ              福谷美那子


やはらかき朝の光に揺らぎゐる菩提樹のみどりわが目に沁むる
公園に一人にて憩ふ老多しハイデルベルク日暮の近く
軽やかにミサを知らする鐘の音夢とうつつの狭間にて聞く
風凪ぎしネツカ―河畔西日照り小さき虫が渦巻きてたつ
アムゼルとふ小鳥鋭き声に鳴く城壁近き森を歩めば
雨止みし湖畔冴え冴えと光満ちスイスの山渓われに迫りぬ
笑顔にて不思議に心通ひ合ふウイ―ンの休日歩行者の道
モ―ツアルト生家の前にギタ―弾きわれに物乞ふ屈託もなく
祈りつついつしか無心となりてゆく村の素朴なるマリアの像に
ボ―デン湖水に香のなし二羽の鴨をりをり波間に頭を上ぐる





  ユニツトケア              元田裕代


帰らんと身仕度をせしわが部屋に入所者急変の一報入る
夕近く施設のユニツト巡るときいづこも飯を炊く匂する
夕暮れてにはかに不穏となる媼施設の廊下に言葉を掛くる
見巡りを終へて用なき宿直のわれはホ―ルにピアノ弾きをり
相次ぎて離職者いづる三月のきびしき中にわれは働く
出張といへど一人の気儘あり単線の車内に心の遊ぶ
転落の予防か身体拘束かベツド四方柵結論の出ず
われかつて務めし職場面談の終れば親しく病棟めぐる
薄暗き帰路水張田に写りゐる人家の灯鎮もりて見ゆ
ほとほとに体疲れて帰りしが門扉にあふれペチユニアの咲く





  みちのく行               森田暢子


平らなる雪野となりし上の山白きひかりは雲よりとどく
寒に焼けし杉の隙なる山寺の御堂は寂し氷柱は長し
記念館の茂吉の世界出づるとき雪の降り出づ夕暮れ早く
雲の間に太陽のあり処見えながら蔵王山頂雪降り止まず
をやみなく粉雪降りくる湯泉にひたり見る月幻の如し
新しく雪重ねつつ上の山しんしんとして音なく明くる
白樫の大樹に高鳴く鵙の声雪深ければ騒がしからず
上の山去らんと見上ぐる蔵王山朝日の中の頂は雲
寂しくも茂吉が病を養ひし聴禽書屋雪に埋るる
廃村となりたる家々岸に見え積む雪厚く見ゆる寂しさ





  ◇◇選考経過◇◇


 今年度の応募作品四十八篇について、作者名を伏せたものを選考委員の吉田和氣子氏、松生富喜子氏及び秋葉四郎が回覧し、各選者それぞれ十篇づつを選出し、それを持ち寄り去る八月三十一日発行所において、選考会議を開いた。各選者の投票結果は別表の通りで、二人以上が推薦した作品(表中★印)は十篇であつたが、それを候補作として主宰に提出した。主宰の最終選考にも立合つてその都度意見も添へつつ、最終選考となつたのである。(秋葉四郎記)





  ◇◇佐藤志満◇◇


 候補作として推薦のあつた十篇について委員の推す候補作は、予め私の選考しておいた結果とも概ね一致したので、この候補作十篇すべてを、その都度選考委員の意見を聞きつつ丁寧に再検討した。その結果、選考委員三人が押してゐる、石川節子さんの「寒茜」、荒木精子さんの「白き山河」、福谷美那子さんの「ドイツに憩ふ」が傑出してゐた。この三点に絞つて更に見直した結果、福谷さん一連は単なる旅の歌ではなく、生活がこもつてゐるところが良いが、やや甘い作品も混じつてゐた。荒木さんの三十首は、茂吉追慕を背景に、自然の厳粛に肉迫して堂々としてゐる一連で、石川さんの御主人との永訣を詠つて慟哭を抑へた響きの深い作品と、どちらにすべきか相当に悩んだ。結果的に詠ふことによつて生涯の苦難を乗り越えようとしてゐる石川さんに、『歩道賞」を贈ることにした。さうして一連を読み返すと抑制の効いた表現に徹して響きの深い作品になつてゐる。私には石川さんへの同情と激励の気持もあるが、さういふことを超えて今年度最も優れた作品である。



  ◇◇受賞の言葉◇◇   石川節子


 この度は歩道賞入賞のお知らせをいただき、驚きと喜びの気持が人り交じつて戸惑ふばかりでした。思ひがけない受賞をありがたく忠ひます。
 限られた命を養ふ夫を見守り、ゆれ動く一年五箇月の心を折々に記しとめました。心苦しい思ひが甦りながら、作品を整理してをりますうちに、穏やかな心を取り戻してゐる自分に気がつきました。長年、「歩道」で写生を学んだからだと考へます。佐藤佐太郎先生の教へに深い感謝をささげます。
 この度の受賞を機会に、さらに短歌の純粋性をめざし、非力ながら自分なりの表現と工夫を重ね、先進の作品に学んで参りたいと思ひます。
 佐藤志満先生をはじめご推薦してくださいました選考委員の方々に厚くお礼申しあげます。


 石川節子略歴
昭和九年生(岩手県)
昭和五十四年五月「歩道」入会
平成四年第一歌集『光帯』刊行




〔歩道賞