平成十七年歩道賞                  


  ワルシヤワにて             鈴木 真澄


行く手にも石畳にも戦蹟の碑のあり風花飛ぶワルシヤワは
おしなべて家の灯暗き窓にさす人影したし雪の降る村
列強の支配しばしば受けし国戦ひ死せる人おびただし
霧みちて午後はや暗き旧広場クリスマス市に灯りつらなる
そのきほひ哀しみ誘ふマズルカを人等夕ベの広場に踊る
多き死者悼みて人等クリスマスにいち人余る食器置くとぞ
マロニエの冬木々の枝無尽にて夜半の月照る目覚めし窓は
流るるとなく見え広きヴイスワ河冬野に黒きうねりの続く
雲切れてとどく光は収容所跡の原野にさながらに沁む
とらはれし婦人の胸に黄に光るダヴイデの星のしるしかなしき
わが前に音なくひしめく犠牲者の残して古りし靴の山見れば
六十年 へだつトランク記す名の人等うつつに顕ちくる如し
「働けば自由になれる」収容されし人等くぐりし門上にあり
この門のうちに命を断たれたる子供等の声聞こゆるごとし
遺品よりあげし眼に見えゾワ河のとほくかげろふ光はかなし
丈高く咲きたる野薔薇バラツクの間に末枯れたつ棘鋭いばら 
たつ霧の中の幻とほき世の列車軋みて入り来る音す
引込線の降車場跡草に吹くさへぎりのなき風音ながし
冬枯れて軌条あらはれゐる原野あとよりあとより雪降り注ぐ
野の花もいまは見るなき荒原に霧吹き移る群棟おぼろ
草の上の霜とくるなく夕暮れしアウシユビツツの空に鐘鳴る
収容棟しのぐポプラの冬木立空揺らぐまで梢の騒ぐ
日の弱くなりてにはかに暗くなる沼をかかふる冬の林は
収容所はたての森に日の落ちて燃ゆるばかりの茜の暗し
ことごとく人ほろぼされ東欧ユダヤ千年の文化消滅せしとぞ
ミユ―ジアムに祖国の惨禍を学ぶ子等一途にて声低くめぐれる
まのあたり薔薇の低木々凍てつきて憩ふ人なしあしたの苑は
地下深き店のしづけさ温かき赤かぶス―プの酸を佗しむ
原に立つ冬木いづれも宿木の芽吹きはつかのみどりかがよふ
冬木々の枝こまやかにさしかはすシヨパンのやかた朝の小道は









歩道賞候補作品(氏名五十音順)



  野 焼               荒木 精子


麻酔にて眠れる夫の病窓に祭の囃子とほく聞こゆる
窓に見ゆる阿蘇の煙に病む夫の命のゆらぎ見るごとく居る
夫看取るいとま出で来し水の辺に咲く溝蕎麦の香のなかに居つ
夕丘を避けて入り来し水楢の林震ひて雷迫る
冬の田に火山の灰の白々と降りつつ阿蘇の谷くれてゆく
病あつき夫に影のごと添ひしこの一年も終らんとする
病む夫が花を待ちかねし臘梅の苞を鵯の喰ひつくしたり
予後いまだ危ふく高き熱いでし夫と一日茫々とゐつ
寒の太陽黄金にひかる朝空を渦なし移る阿蘇のけむりは
燃えさかる野焼のさなか外輪の山頂揺らぎ地震過ぎたり





 十 年                石井 清恵


夫逝き子の継ぎし寺全焼と怒濤の如くすぎし十年
焼けし寺の再建負ふといふ意識常に持ちつつわれは過ぎ来つ
火事のあと電化せし寺の祭壇にゆらぐともなき灯明わびし
防風林絶えず吹きくる西風は余韻なきまで音のするどし
冬の夜に荒れゐる遠き海鳴が庭吹く風にまじりて聞こゆ
たえまなき西疾風は海よりも浜の草原きびしく渡る
花の香のいつしか失せし峡の道枇杷の青実の日々太りゆく
かすかなる光あつめて墓の間に咲くかたばみの黄の色はよし
八十歳われに残れる体力を常測りつつ仕事をこなす
平砂浦の渚に寄る波かへる波ただひたすらに音を伴ふ





  人工島               草葉 玲子


満ち潮の音にまぎれずトラツクの土砂おとす音島より聞こゆ
朝朝に仏飯供ふる暮らしにも慣れてやうやく死を諾はん
形見にと入院の前植ゑくれし金木犀咲けば母の思ほゆ
一日の工事終りて音絶えし人工島に秋の日は落つ
はや渡り来しか海の面すれすれに飛ぶ二羽の鴨いま着水す
潮みちてとほき槌音潮ひきてちかき槌音島より聞こゆ
高度下げ空港目指す飛行機がこの島の上絶え間なく飛ぶ
地震過ぎし島の埠頭はひとすぢの地割れしらじらと春の日に照る
母と住みし頃は気付かぬひとつにて庭の雑草日を置かず生ふ
血糖値の境界越せば制約のありて日々摂る飲食さびし





  草ふぐ               坂本 信子


すひかづら浜豌豆の咲く花を踏みしだきわれら浜におりゆく
対岸の若葉に入日のこりゐる入江に草ふぐの産卵を待つ
大潮の渚いくところ草ふぐの群がりきたる水暗むまで
おびただしき草ふぐ渚に身を打ちて産卵はじむしぶき上げつつ
くぐもれる声発しつつ放精をする草ふぐの体のたうつ
生きの緒の営みあはれ草ふぐの産卵の様つぶさに見つつ
石の間の白く泡だち草ふぐの放精ひたすらにしていたいたし
体打ち尾びれ震はせ草ふぐの産卵つづく水なまぐさく
繰りかへし波に乗りきて小半時産卵するふぐの命をしむ
退く波に体まかせて産卵を終へしふぐらは安けくあらん





  立 葵               清宮 紀子


繰り返す病人食を拒みつつ鰻食ひたしと病む母が言ふ
臨終のベツドにありて長男の癌の手術を気遣ふ母は
副作用おそれて痛止め飲まず百歳の母苦しみに耐ふ
細長き爪が夫と変らぬを今宵病室の灯の下に見る
衰へしまなこ大きく開くなど時折意識よみがへるらし
十七年たちても疼く手術あと梅雨の頃ほひ日々疎ましく
目の縁に涙乾ける痕ありて百歳の母命つきたり
梅雨にぬれ孔雀サボテン咲く家に亡骸となり母帰り来る
B5版の遺言ノ―トに死の後の連絡先が細々とあり
帰り来し狭庭に赤き立葵咲きつぎ梅雨の後半となる





  アラスカ氷河            富田 涼子


夜もすがら北へ向へる船に来てジユノ―の町に朝を迎ふる
わが船の前方沖にあらはれてアラスカ氷河いよいよ迫る
二百五十米前のアラスカの氷河に夫としばし真向ふ
底ごもる音唐突に鳴りわたり氷河に亀裂走りたるらし
一万五千年押され極まる氷壁がわが目のまへの海に崩るる
氷塊の海に落つれば生るる波かすかに船のめぐりに及ぶ
ゆくりなく海に沈める氷塊の音はさながら雷鳴に似る
百五十米うへより氷塊の海に沈みて音天にする
海わたり日の差しくれば厳かに氷河の絶壁青冴えわたる
あるところ黒く見ゆるは山の土氷河がともに運びたるらし
わが船に押され打ちあふ流氷の源の音さやさやとたつ





  御蔵島               西見 恒生


来り着きし断崖の島ひとつのみ集落ありてわが宿定む
朝五時に船入港の可否知らす放送ひびきひと日はじまる
産土の宮に詣でて江戸の世に助けし船の錨を見たり
御蔵島の廃仏毀釈のさま示す首なき地蔵の立つ村の道
流人墓地ある島わびし飢餓のとき食ふ野草など今に伝ふる
まなしたは里芋植うる段畑なだり急にてその下見えず
断崖のうへ伝ふ道いづこにも額紫陽花の花が咲きそむ
一尺の鳥居の祠に無事祈る野草ささげて山に入りたり
断崖に見るまなしたは真向ひの三宅島より断雲渡り来
いたるところにみづなぎどりの巣穴ある山ふかき森のなか歩みゆく





  銀 山               原田 美枝


道に沿ふいづこにも藤の花見えて石見の峡は春のゆくころ
古き代に銀掘りて栄えし町歩むゆく春の日に汗かきながら
龍源寺間歩の坑口吹き出づる冷たき風は遠代のかをり
冷々と間歩あゆみ来て浸み出づる水の寂しく流るるところ
冷やけき間歩より出でて山吹の黄は暖かくわが目に眩し
徳川の代より伝ふる銀山飴かなしきまでにその飴堅し
藤の花咲く頃来る湯抱に茂吉佐太郎の歌碑にまみゆる
先生の歩みたまひし湯抱の道にゆく春の瀬の音を聞く
女良谷の道を行きつつ目にとむる通草の蕾問なく開かん
青山旅館の傍への橋を渡り来てくれなゐ淡き石楠花にあふ





  天 命               山上 蒼


濁水が窓外はしり屋内に音なく水の沁むる様見ゆ
担送さるる妻に続きて綱巻かれ消防署員と洪水わたる
ぬかるみと木々に阻まれ玄関に到る歩みのたはやすからず
車庫内の車が流れ水引きし庭に見えをり向き様ざまに
家々の境も畦も見えぬまで土砂の積りてさながら荒野
教職に在りしわがため部下を連れ大型機械を使ふ人あり
助かりし運喜べど束の間にして災害の処理に追はるる
家内いへうちの湿気除くと開け放つわが家に白き月照り渡る
天命と恩ひ定めて諦めんこの惨憺はわれのみならず
捨てかねし教育記録も地下深き焼却場に一気に抛る





  病む妻               渡辺 謙
倒れたる妻をし抱けばあはれにてわが失ひしものの大きさ
取返しつかぬ思ひに脳梗塞病みたる妻の手を暖めき
わが涙こらへかねつも病む妻がみづから立ちて歩みはじめき
夜ふけて雨ふりくれば入院の妻も目覚めて聞きゐるらんか
肩貸せば妻は階段行き昇るかかることにも喜びはあり
癒えし妻相撲のテレビ見つつをりかかる些事にも涙湧くわれ
平衡を失ひ転ばんとする妻を支へん吾も転ぶかなしさ
癒えそめし妻の寝息を聞くときのわが喜びを知る人なけん
避けがたき脳の萎縮と診断を受けたる妻を見れば愛しき
夢の中に笑声たてゐる妻を見れば吾さへ楽しくなりつ





  ◇◇選考経過◇◇


 今年度の応募作品五十篇について、作者名を伏せたものを選考委員の、吉田和氣子氏、菊沢研一氏及び秋葉四郎が回覧し、各選者それぞれ十篇づつを選出し、それを持ち寄り去る八月二十八日発行所において、選考会議を開いた(菊沢氏は書類参加)。各選者の投票結果は別表の通りで、今年は、佐藤志満主宰も選出してくれてあつたので、別表の通りとなつた。二人以上が推薦した作品(表中★印)が丁度十一篇になつたので、それを候補作として主宰に提出し、主宰の最終選考にも立合つてその都度意見も添へつつ、最終選考を見守つた。 (秋葉四郎記)





  ◇◇佐藤志満◇◇


 候補作として推薦のあつた十一篇について委員の推す候補作は妥当と考へられたので、この候補作十一篇についてその都度選考委員の意見を聞きつつ丁寧に再検討した。その結果渡辺謙さんの「病む妻」一連と鈴木真澄さんの「ワルシヤワにて」が抜き出でてよく、渡辺さんの表現手堅く三十首そろつてゐる出来映え、鈴木さんの意欲溢れた取材、切込みなどまさに甲乙つけがたかつた。
 そこで、この二作品のうちから今年度の「歩道賞」を贈ることとして慎重に検討した。その結果鈴木さんの「ワルシヤワにて」の特異性、切り込みの新しさをかつて、今年度の「歩道賞」を贈ることにした。
  鈴木さんは、年々この候補に上がり意欲的に挑戦して来た。また、「歩道」の中堅歌人として今後に大いに期待も出来る。



  ◇◇受賞の言葉◇◇   鈴木真澄


 この度は歩道賞入賞のお知らせをいただき、思ひがけない喜びでいつぱいでございます。ありがたく心より感謝申し上げます。
 昨年暮の旅から帰つてのち、あの地で自分が感じたものは何だつたのか、ひたすら自身の心に深く下り立つて考へ続けた日々でした。
 まだまだ思ひ深くは至らないけれども今の私の力はこれまでといふ思ひを何度も感じながらこの旅を見つめてきた半年余りだつたやうに思ひます。それは時には苦しいながらもとても充実した日々でした。
 私は二十代前半から作歌を始めましたが、その第一歩より「歩道」にて正調の短歌を学ぶことのできた幸運をしばしば思ひます。
 この受賞を励みとして、また新たな思ひで佐藤佐太郎先生の作品、お教へを更に深く学んで参りたいと気持を引締めてをります。
 歩道賞をお与へ下さいました佐藤志満先生並びにご推薦下さいました選考委員の皆様に厚く御礼申し上げます。
 志満先生のご健勝を心よりお祈りいたしますとともに、歩道短歌会の更なる発展を祈念いたしまして受賞の言葉といたします。


  鈴木真澄略歴
 昭和十九年生(千葉県)
 昭和四十四年六月「歩道」入会、佐藤佐太郎に師事。
 昭和六十年第一歌集『石蕗』刊行
 平成十二年代に歌集『通雨』刊行




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