平成二十二年歩道賞                 


  驟 雨                 菅千津子


片麻痺の夫を支へ組む腕のちから儚しともに躓く
去りぎはに交す握手は麻痺のなき右の手にして明日を約す
寒さやや戻れる風に川の洲をうづめて眩しき菜の花匂ふ
あるときは苛立ちわれにもの言ふを夫の保つ気力と思ふ
まのあたり春は更けつつ街路樹に見えゐし鳥の巣若葉に隠る
夫看とる窓に今年も清純の泰山木の花の季来つ
河の洲を覆ひて青き葦の間を鳰のともなふ雛鳥の列
再発のきざしを知れど永く病む夫もわれも殊更ふれず
帰路の気だるき空気にただよへる蚊柱のなか息つめて過ぐ
雲の下ゆく雲はやき梅雨晴の湿気まとひて病室に入る
なすべきは為ししと夫緩和的治療を選ぶ暗黙のうち
カ―テンの遮るひかりに睡るなく覚むるなく夫もの思ひゐき
悲しみを抱くかへり路遠空の雲塊炎のごとし入日に
身に絡む管もろともに抱き起こし背支ふれば不意にこみあぐ
見守れる夫大きく吐きし息命終の息と知らずたまゆら
目守りゐし命過ぎたる現実を諾ひがたしいまだ温とし
今一度わが門口に停車する現身ならぬ夫に添ひて
十五時間かけて帰国し辛うじて子はその父の亡骸に会ふ
非情なるかかる務かわが手にて火葬点火のボタンを押しぬ
病みながら嘆かず諦めずゐし夫終の別を言はず逝きたり
いましがた過ぎし驟雨を拭ひつつ祖の地に夫の御骨納むる
石鎚の嶺のかがよひ映るまで「打抜」あふるる水を供ふる
止まれば襲ひ来んもの思ほえて用なき事務所の片付けをする
忘れ得ぬ年とぞなりぬ先生の逝きましし夏に夫みまかる
忘れゐし霧笛のごとき耳鳴が更けゆく独りの夜に聞こゆる
亡き夫の古里にきて涅槃会の接待に熱き甘酒受くる
昨夜の雨黄砂ともなひ降りたるか曇る車窓に石鎚おぼろ
夫逝き疎遠となりゆく仲らひを寂しみをれば静かなる雨
待つもののゐる安けさよ老犬に行先告げて夕べ出で来し
ひたすらに夫看取りし歳月はたまものなりき過ぎて思へば









歩道賞候補作(氏名五十音順)




  命あるがまま              角田三苗


何時如何に孫らにわが癌告ぐべきか言出せぬまま過ぎし一年
癌の身を医師に委ねて残されし命あるがままわが生きゆかん
われの住む釜利谷上空二万メ―トル西へ飛ぶ機の音なき光
遊歩道来れば冬木の末近く鳥の巣いくつあらはに見ゆる
街ゆきて手に触るるもの皆冷ゆる昼過ぎ俄かに雪の降り出づ
悲しみの滞るごといつまでも寒さの去らぬ街より帰る
治療歯にするどき痛み襲ふとき反射のごとくわが首を振る
土壌中和に買ひ置く灰の役立ちて昨夜積りし雪にばらまく
幼きよりバレエ始めしわが娘いつしか大人の体型となる
高齢の夫妻を見ればおほよそに妻夫よりたくましかりき





  声を失ふ                鹿島典子


緊急の入院となりやりかけの仕事の多く唯にうろたふ
わが街を見下ろす丘の病院に目覚むる酸素吸入しつつ
さしせまる用事の幾つ書きとどむ稽古の中止図書の返却
筆談のわれにつられてある時は夫が真顔にもの書き示す
鼻腔より流動食の胃に入れば味なし匂ひなし満腹感なし
流動食点滴のみに養はれ日々わが身体浄くならんか
絶食の解け久々に食ふ粥の甘みのかすか匂ひのほのか
消灯の後の夜ながしひとりゐてとめどなく顕つ遠きわが過去
しづけさはかく極まれり午前二時ねむれずをれば風の鳴る音
半月あまり経て帰り来しわが庭にクリスマスロ―ズほのぼのと咲く





  雪の日                 門祐子


老人ホ―ムに住む母この夜も眠れぬか父に幾度も電話を掛け来
母の住む施設に今日も行きし父勤めもつ者さながらにして
実を結ぶ薔薇と花咲き残る薔薇あたたかき秋の光にひたる
たはやすく連絡のつく携帯にいつしか拘束感を覚ゆる
難聴の癒えざるままに歩む道気温零度の空にごりをり
昨日より十度下がりしこの朝ひらく新聞雪の匂す
雪止みしひとときながら大雪山青く顕つまで月照りわたる
空と地とけぢめなきまで吹雪ゐる国道をたのめなく走りゆく
この吹雪しのぎがたきか鳶いくつ道のほとりにうづくまりゐる
煩雑に過ぎにし幾日思ひをりつたなく歩むペンギン見つつ





  雪 庭                 中村とき


鏡餅大小に十組つくり終へ九十とならむ年を迎ふる
がん手術受けし命を生き継ぎて九十の春の桜をぞ見る
家族らが大根を抜く丘畑につき来て晴れし秋の日を浴む
夫逝き三十三年海見ゆる忌日の墓にわれ歩み得ず
ちちははと夫の年忌修し終へ秋日の中にひたすら眠し
相つぎて友ら逝きたるわが身辺九十の思ひ告ぐる人なし
遠く住む妹の死を大津波警報避難の中に聞きたり
避難より帰りし家に老いしわれ妹の死に声あげて泣く
ふるさとを離りて六年病みをれば帰ることなく妹の逝く
五人居て看取れる中に逝きしとふ面やすらけき妹に会ふ





  宍道湖                 比嘉清


唐突に姉が電話に告知するスキルス癌にわれはをののく
面会を拒める姉の伝言を遠く来たりてわれは聞きをり
病床の姉の手もとに携帯の電話置かるる護符のごとくに
ながらへて痴呆になるよりまだよけん今際の姉の諦念かなし
宍道湖にさすひとすぢの夕光をよぎりて遠くいさり舟ゆく
いのち絶え安らけき姉の顔に顕つ若く逝きたる母のまぼろし
十代にて母失ひし後のわれ支へくれたる姉とし思ふ
手術にて入れしか形状合金が白きみ骨のなかに混じれる
歳ちかき弟と姉相つぎて逝けばゆゑなき不安の兆す
独りにてくらせる家事を覚えよとけさ唐突に妻が言ひ出づ





  病みてなほ               福谷美那子


手も足もわが知らぬまに動きだす不可思議なるやパ―キンソンは
財布より小銭出すときのもどかしさ二本の指が交互に滑る
ひとしきり激しく雨の降りし夕点字歩道の黄の色冴ゆる
子を叱る息子を見つつ苦笑する若き日の夫にはかに顕ちて
出航の船なき波止場よどみたる空に風車のめぐるは速し
小さなる労はり身に沁むこの日ごろ老境といふはかくも寂しく
病にて微動する腿隠さんと電車待つ間もホームを歩く
いささかの抵抗もなく夫とわれ尊厳死協会へ書類を送る
弔問の済みて歩める夜の街冷ゆる空気に深く呼吸す
つづまりは互みに孤独なることを知りつつまたも未来を語る





  四辻峠                 船河正則


のぼりこし四辻峠の石地蔵の愛しき笑みにわが癒やさるる
佳き人のおはして峠の石地蔵けふは前掛の新しきを召す
母のなき嬰子のわれちちのみの父の如何にか育てたまひし
幾人の村の婦のもらひ乳にながらへしとふわが生あはれ
くぬぎ林の落葉し尽きてさやるなき冬の光の背にあたたかし
諧謔とのみ聞き流しゐし友の言葉夕べ思ひ出でてこだはる
春あらし裏の樫森に荒びゐて棲むふくろふら息ひそめゐん
春の気に迷ひいでしか背戸道に猪の仔はわれに向き佇つ
久々に出でこし街に膝病みて遅れくる妻立ちどまりては待つ
町にきてかへり見る山の村遠く新緑のなかわが家沈む





  義 妹                 元田裕代


義妹の余命一年と言ふ医師の声きく弟の傍らにゐて
癌末期をわれ知る故に義妹の六十一歳の切実おもふ
延命か否かを医師に問はれゐてさらされしもののごとき弟
ホスピスに義妹移りて限りある命を惜しむ縁あるわれら
オカリナの笛をききゐる義妹のかかるやすけさあるを喜ぶ
あるときは几帳面なる弟の食事の介助つつましく見ゆ
たつた今看取り終へしと弟の言ふ声をきく職場にわれは
否応なく不眠続きし弟のはじけんばかりの反応あはれ
通夜客の帰りし後に弟が柩に寄ればわれは従ふ
義妹の逝きて不安の消えしかど霜とけし後の地のごとしも





  港 町                 山下和子


潮の香にひたりて港の町に老ゆ八十年の過去負ひて
雨雲は沖より晴れて夕つ日の余光のおよぶ内海まぶし
海の辺に吊し干さるる烏賊あれば風のまにまに乾く匂ひす
腰痛を日々にかこちて生きをれば今年もここに辛夷花さく
春がすみか黄砂か分かず一色にけぶる港は日暮るるはやし
十三年惚けし姑看とりたる日々の葛藤昨日のごとし
過酷なる蒲鉾製造の生業の過去さへたのし老いて思へば
いつまでも寒さの去らずこの春を疎みてをれば桜も終る
夫在りて子供夫婦と暮らす日々何を嘆かん何を望まん
悦楽も苦悩もなべてうすらぎし祭の一日家ごもりゐつ





  ◇◇選考経過◇◇        秋葉四郎
 今年の歩道賞の応募は、四十二編であった。応募作の名前を伏せた作品を選考委員の、四元仰、青田伸夫、秋葉四郎の順で回覧し、めいめいが十編を選出した。その結果は別表の通りで、選考委員二人以上の採った作品が候補作で、今年はちょうど十人となった。この十作品を、さる八月二十七日、歩道発行所に於いて、秋葉四郎を選考委員長として選考に当たった。
 今年は、三人の選考結果がほぼ同じところに集まっていたから、問題となるところは少なかった。全候補作をすべて読みなおし、吟味した結果、三人が採った菅千津子さんの「驟雨」三十首が今年度の歩道賞に最もふさわしい作品として決定し、歩道賞を贈ることにした。「驟雨」は、大病の後の御主人を看取り、やがて死を迎える前後の生を見つめて、さまざまな心の起伏を詠いあげた力作である。
  なすべきは為ししと夫緩和的治療を選ぶ暗黙のうち
  カ―テンの遮るひかりに睡るなく覚むるなく夫もの思ひゐき
などの作に代表されるように、決して感傷に引きずられず、だからと言って、突き放した「写生」ではない。長く生を共にした夫婦だけに通う感情が抒情詩としての純粋短歌に凝縮されている。「暗黙」も「もの思ひ」も、話し言葉を必要としない、二人に共有されている世界なのであろう。一連三十首は恐ろしいほどの厳粛を感じさせる。御主人の死という事件的な要素を超えるものが一連にあることが特殊であると言っていいであろう。「死」に対峙する厳しい現実に在って、これだけの作品に思いを込め得たこと敬意を表する。
 他の作品も今年は伯仲していた。特に高齢の中村ときさん、山下和子さん、船河正則さんらの活躍は、まさに長寿パワ―で、「歩道」という結社にとって誇りであり、大いに心強く思う。反面、若い新参加の会員も見られる。門祐子さん、樫井礼子さんらは常連だが、辻田悦子さん、河野恭子さん、多昭彦さん等の挑戦が見られるのは嬉しいことである。





  ◇◇受賞の言葉◇◇       菅千津子
 何気なく出て応じた電話にて、思いもかけずこの度の歩道賞のお知らせを聞き、只々驚きました。「驟雨」は夫の介護も四年目となっていた昨年の春頃より後の一年間の作品です。
前半は、わが市の中心を流れる蒼社川に架かる橋を渡って自転車で二十分程の距離にある病院に毎日夫を見舞う生活から得た歌であり、後半は夫の死を境にして今までに経験したことのない多くの事に出合う日々を詠みました。
 歩道で学んだ「巧みさよりも確かさを」を念頭に、しばしば『佐藤佐太郎全歌集』、『佐藤志満全歌集』を読みました。
 こうしている今も喜びと感謝のなかで、本当に私なのだろうかと思ったりしますが一方では、ささやかながら残生は短歌に捧げ短歌に依って生きようという思いをさらに強くしております。ありがとうございました。


 菅千津子略歴

昭和九年、愛媛県生まれ
昭和五十三年十月、「歩道」入会、佐藤佐太郎に師事
平成十二年 歌集『臨港橋』刊行
住所 愛媛県今治市




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