一覧(S36〜H14) 一覧(H15以降) 作品 S36〜49 S50〜59 S60〜63 H元〜14年 


平成二十一年歩道賞                 


  少年の心                坂本信子


幼子が少年となる当然の成長  かなし歩み得ざれば
十歳となりたる孫の車椅子買ひ替ふる金送らんとゆく
慈しみ来りし十年少年の祖父母われらの老まぎれなし
外あそび叶はぬ少年三日ゐてパソコン画面に遊ぶさびしさ
背丈伸び躰おもたき少年を介助するわれ腰かばひつつ
かかる間も成長はあり少年の抜けし犬歯を掌に受く
おほらかに夫の言へば歩めざる孫の未来のひらくる如し
足の不自由嘆かずなりし少年の心よ作文をラヂオにて聞く
麻痺の四肢訓練ながき少年の弾くイマジンにわが涙ぐむ
演奏を終へ来し少年水飲みて緊張ほぐるる如く息つく
裸足にて施設より母が帰り来と言ふ姉聞くわれただに切なし
ふらふらと歩める母に従きてゆく桐のむらさき暮るる頃ほひ
高千穂の山のひかりに勢へるたばこ畑見ゆ常ゆく道に
柿若葉影さす部屋に人形を抱きてけふの母おだやけし
わが母校跡なる病院に母の病む銀杏の黄葉窓に明るく
寒風に散りゆく銀杏の黄葉をわが入る回転扉が巻き込む
冬知らずといふ花寒の庭土に平びて黄の色明るくひらく
母看取る姉が隙ひまに培へる大根葱などわれに持たする
いたるところ虫取撫子咲く庭を歩むことなし母衰へて
何気なく受けし電話は子の異変伝へ来食器を洗ひゐる時
長男の緊急手術の手続を書く手の震ふ急ぎ来りて
出勤の道に倒れし子のかばん靴など重く院内をゆく
独身の三十八歳気儘なる子の飲食を戒めゐしに
子の命救ひたまひし主治医よりステント手術のいきさつを聞く
いのち得て退院せし子と夕餉する窓に茜の反映およぶ
夏草の長けし畑に抜きいでて牛蒡の花咲くけふ来てみれば
わが憂とかかはりもなく飛行船音なく過ぐる疾風止む空
立浪草白花多く咲くことし庭の変化のかすかにありて
峡こめて蜜柑の花の香ただよふと聞けば亡き友しきりに恋ほし
寛解となりし次男に待ちまちし嬰児生るるひかりの如く









歩道賞候補作(氏名五十音順)




  識別バンド               角田三苗


姉の通夜に遠く来たりて直ぐ帰る明日生検の結果聞くべく
愚直にて七十二年生き来たりいままたつたなく吾は癌病む
終末のおほよそ見えてわが癌の痛みなければ切実ならず
気分よき日は屋上に午前より沖ゆく船見て孤独まぎらす
仮退院して空調のなき家に帰りたちまち風邪を引きたり
入退院繰り返しつつ生活の落着かぬまま春過ぎてゆく
頼り来し妻の舌癌告げられて半ばをののき半ばうろたふ
互みの癌かたり来る死を語るなど妻と寂しき一夜を明かす
墓地のなき不安現実となりしいま遺言書にその始末を記す
うなされて目覚めし明け方聞こゆるは松風にしてひびきの長し





  常念岳                 樫井礼子


新居にて住み慣れがたく老母の二人に付きて今日も散歩す
病む三人と常に住まへば折々にとりとめもなく思ひ乱るる
夜明け前西空と雪の常念とおのおのしづかに光を放つ
空想を話し続けておだやかなる母と窓辺に冬木見てゐる
唐突にこみあげるものこの母をあはれむ故か自戒の故か
救助用ヘリコプタ―が今日も飛ぶわが街上の冬空晴れて
山峡の母のふるさと風に鳴る杉音たえず充ちゐるところ
いちめんの曇に透きて差す春日雪降りつつも窓の辺温し
あまたの実つけたる桜の木の下に母待ちをれば音たてて落つ
六月の落日のあと半天に常念岳の影ながく差す





  ロ―マの虹               鹿島典子


朝の日に潮引きし痕のモザイクが濡れてをりサン・マルコ寺院は
高潮に備ふる台もサン・マルコ広場の内にて人らにぎはふ
収穫を終へしベロ―ナのぶだう畑ひろびろ染めて夕日きはまる
要塞を兼ねたる城の煉瓦の塔あふぎて立てばゆく雲はやし
ジプシ―の露店取り締まる警官の多く広場はものものしけれ
二万余の人等にさかえしこの台地立てばおのづから古代思はす
丘の上の神殿跡に秋日照りそびらにしづまるヴエスヴイオス山は
火山噴火犠牲者末期の石膏像いたましきものまのあたり見つ
夜来の雨やみてさやけき朝の日がサン・ピエトロの広場にとどく
空港に向かふ路にて驟雨止み大き虹立つ口―マの空に





  古里                  草葉玲子


山川の清き流に追憶をのせて浮かべる笹舟ひとつ
トマト摘むハウスの中のそこかしこ熟れ落つる実の音の愉しさ
雨止みて山かげ寒き昼の田に指冷えながら芹を摘みをり
球根を植ゑて日々待つ楽しさを忘れし頃にすずらん芽吹く
ふかぶかと朝霧とざす立春のまちを車灯の緩慢に行く
いつしかに雨よりかはる雪の音聞きつつ静かに母の忌おくる
プリムラに積む朝の雪はらひつつ花殼とれば庭の華やぐ
平安に一日は暮れん見下せるまち観覧車の夕光はこぶ
ゆふぐれの日にかがやきて浴むごとく春落葉ふる隧道の外
梅雨晴のひかり乱して公園に砂浴む雀らこゑ愛しけやし





  銀山古道                西見恒生


足に固き靴にてひとり銀山の古道の木々の影を踏みゆく
銀運ぶ馬が交替せしといふ河原の名残石礫を踏む
遡りきたる女良谷ひとつらの棚田柵にて猪防ぐ
明日越えん峠思ひつつ夜の湯にふくらはぎなどひたすらに探む
湯抱の宿に来りて佐太郎の書ある部屋に一夜寝ねたり
廃れたる小暗き道に茎伸べて浦島草咲くむらさきの濃く
水滲む古道のほとり春の日に照りて自生の山葵茂れり
山峡の棚田のなだりに歩み止めをさなく太き虎杖を食ふ
江戸の代の町跡ならん低丘にたひらつづきて牧草茂る
運上銀の道を棚田とせしところつづく水張田風にさわだつ





  信天翁                 畑岡ミネヨ
戦場に赴く兵らを送りしとふ追憶の橋身に沁みわたる
雪山のサザンアルプスのひとところ茜さすみゆ空に接して
教会の椅子に黙してゐるいとま心に兆す悲しみのあり
子の逝きて四年経しかど愚かにも旅する異国の御堂に嘆く
冬空にマウントクツク抜き出でて日に透きとほる氷壁きびし
南海の雲の茜はオワマルの街にみなぎり朝明けんとす
交々に海よりペンギン帰り来て巣のかたはらに寝ねがたく鳴く
岬山におぼつかなくも信天翁の親待つ雛に海光およぶ
草の上に親を待ちゐる信天翁一日長からんみな海を向く
不意にしてオ―クランドにわれは知る郷土の大き地震のさまを





  愁 ひ                 福谷美那子


バ―キンソンの初期を疑ふと書かれたる薄きカルテもわが手に重し
家計簿の帳尻合せに苦悶する指の動きの鈍きこの頃
全身の力が徐々に抜けてゆくこの脱落感何に例へん
小きざみにペン持つ指の震へたり気を強くして大き文字書く
病もつ我かとふいに哀しみの兆すひととき庭に下り立つ
軽々と足をあげたし疲るれば鉛の如き足を引きずる
お年寄りと言はれてゐるは我なりと気づきて係の指示に従ふ
わが知らぬ悲しみならん老いし友亡き子の肖像いく度も描く
病むわれと健やけきわれ交々の夢より覚めてこころ儚し
昨夜降りし雨に湿れる朝の街老いたる夫婦いくたりもゆく





  感 恩                 船河正則


蕗の薹摘まんと妻の着ぶくれて向うの畦みち腰かがめゆく
木洩日のとどきて明るき椎茸の榾場に寒茸かんこの萌えつつ匂ふ
たらちねのたまひし生に長らへてわが感恩の老の日々ゆく
ひとり居となりし娘のこぼす愚痴黙しききをりわが罪のごと
山菜を摘む春やまに山鳥の母衣うつ音のしきりきこゆる
春光のあまねき土手の芝ざくら明きひかりを天にひろぐる
林道のへりに自生せし赤松の新梢伸びゆくいきほひは見ゆ
葉のむらに覗くごとくに梅の実の太りて長き梅雨に入りゆく
休日の公園広し夏たけてさくらのわくら葉おとのなく散る
森のうへ点滅し離る飛行機は東京ゆきの終便ならん





  惜 陰                 元田裕代


異性より入浴介助受くること媼は苦情としてわれに言ふ
おほよそに時間区切りて施設内の全体会議順調に終ゆ
わがためにドアを開きて待ちくるる若き上司の後につづく
退職をおもふ四月に高額の昇給ありて途惑ふわれは
先走る人らによりて新たなる業務体制今とどこほる
すこやかに九十歳の生日を迎へし媼の足の爪切る
途切れたる言葉の行方探りゐる心いささか落着きのなし
人影のなき駐車場走り来て雨にぬれたる背中の寒し
やうやくに鼓膜に届くとおもふまで静けし晩春の雨降る音は
何事も気力と言ひて笑ひゐる電話の声の母をしおもふ





  ◇◇選考経過◇◇       秋葉四郎
 今年の歩道賞の選考は、応募期間中に主宰の突然の逝去と
いふ悲しいことがあつて、われわれ選考委員も悲嘆と大きな
緊張の中で選考を進めることになつた。応募のあつた五十一
編の、名前の伏せられた作品を選考委員の、四元仰、青田伸
夫、秋葉四郎の順で回覧し、めいめいが十編を選出した。そ
の結果は別表の通りで、選考委員二人以上が採つた作品が候
補作となるが、今年は十一作品になつた。この十一作品を、
さる八月二十七日、歩道発行所に於いて、秋葉四郎を選考委
員長として選考に当たつた。
 それぞれの委員は主宰がゐないといふ責任を十分に意識し、
時間をかけて選出してゐるから、問題となるところは少なか
つた。候補作について、丁寧に読み返し、吟味した結果、三
人が採つてゐる坂本信子さんの「少年の心」三十首が今年度
の歩道賞にふさはしい作品として決定した。
 「少年の心」は、作者を中心とした家族を添景として、後
半生となつた作者の人生、生活を生き生きと描いてゐる作品
である。殊に幼時から障害を負つて懸命に生きる孫の姿を見
守つてゐる歌は、感動を禁じ得ない。今少年期を迎へ、確か
な精神的な成長を遂げてゐる手応へを、その作文から機敏に
感ずるところなど作者が同じ表現者だから見逃さないのだら
う。痴呆の母、病む成人のわが子など作者を取り巻く現実は
決して生易しくはない。しかし、その現実をそのまま凝視し
つつ、どこかで、おほらかに、未来に光を見つけつつ生を送
つてゐる。作歌を共にして生きる人にある力強ささへ私はそ
こに感じてゐる。今まで何度も候補作になつてゐる作者だけ
に表現も確かで、三十首が一作品として迫つてくるものであ
つた。この作品なら、胸中の佐藤佐太郎先生も、亡き佐藤志
満主宰も、間違ひなく賛同してくれる筈である。
 他にも敬意を表すべき作品が少なくなかつた。





  ◇◇受賞の言葉◇◇      坂本信子
 この度は思ひがけない歩道賞入賞のおしらせをいただき、何ものにも替へ難い喜びと感謝の念でいつぱいでございます。
 「少年の心」三十首は、脳性まひの障害を持ち様々な困難に遭ひながら普通学級にて学んでゐる孫への思ひを中心に、この一年の慌ただしい日々を詠んだ作品です。この孫を見守る思ひはいつしか短歌に詠むことによつて救はれ、「歩道賞」に応募するきつかけにもなりました。今回、このやうな立派な賞をいただけますことは、まことに感慨深く、佐藤佐太郎先生一筋に学ばせて頂きましたことに心より感謝申し上げます。
 お健やかにおすごしでいらつしやるとばかり思つてをりました志満先生の突然のご逝去に悲しみは尽きませんが、長年お導きを賜りましたご恩に感謝し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 選考委員長の秋葉四郎先生はじめ、ご推薦くださいました選考委員の方々に厚くお礼申し上げます。
 歩道短歌会の益々の発展を祈念いたしまして受賞の言葉といたします。


 坂本信子略歴
昭和十五年、宮崎県生まれ
昭和五十七年五月、「歩道」入会、佐藤佐太郎に師事
住所 宮崎県延岡市



〔歩道賞