刊歌集  平成13年(9月)~20年【作品】 【歌集一覧】 平成21~現在【作品】 【歌集一覧】

―掲載項目―    

◇著者名 

◇発行年

◇発行所

◇定価

◇内容


 代表作品



歌集『新世紀』
◇波克彦
◇二〇二四(令和六)年
◇角川書店
◇二千六百円
◇神奈川県在住の著者の、平成十三年から二十五年までの六三四首を収める。


アフガンの街には春の遠からん爆撃に崩れ地震(なゐ)に崩れて
やうやくに暮れし夜空に月あればマツターホルンが黒く聳ゆる
十八のわが上京を若き母永久の別れと詠ひ残せり
熱き熱き御骨を拾ふわが孫の小さき眼にも悲しみの見ゆ
金環蝕の極まりしとき夕暮れのごとく鴉が森に飛び行く


歌集『栴檀』
◇青木義脩
◇二〇二三(令和五)年
◇いりの舎
◇二千三百円
◇埼玉県在住の著者の、平成十一年から令和元年までの五九九首を収める。


朝の道に樒の花を見しところ夕べ戻れば匂の著し
夜のうちに台風過ぎさり西遠く青紫の富士の山見ゆ
見おろせば荷をひく自転車通り行く敦煌の朝は未だ明けきらず
赤松の朝の赤こそ貴けれシベリアの林道落葉松の中
蒲団叩く音おほどかに響き来て秋の終りの午後の日傾く


歌集『コロナマスク』
◇巽谷一夫
◇二〇二三(令和五)年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇東京都在住の著者の、令和元年から四年までの四二七首を収める。


きはまりて澄みとほりたる寒空に椿の花の重く揺れをり
パツヘルベルのカノンの調べに一日の疲れ解きつつ眠りにつきぬ
青々と無窮の天空晴れわたりわが身にしむる朝のひととき
ひとり坐し何するとなくタブレツトの明るき画面眺めてゐたり


歌集『柘榴』
◇大友圓吉
◇二〇二三(令和五)年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇宮城県在住の著者の、平成二十四年から令和三年までの作品を収める。


頭領の気を吐く声に荒れ神輿二百二段を一気に下る
潔く柘榴の花の咲く()(がひ)積乱雲は高く伸び立つ
弟は一人孤独に過ごすらん死を待つのみのホスピスの夜
五年経て津波の塩害収まるか荒れしわが田に白鳥もどる
平らけき母の一世と思ひしにノートの歌は苦渋に充つる


歌集『前途』
◇藤島鉄俊
◇二〇二三(令和五)年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇千葉県在住の著者の、平成二十年から令和二年までの作品を収める。


潮干狩りに興じし千葉の海思ふ埋立てられて遥かとぞなる
放射能検査済との書状添へ鮮度よき桃いわきより着く
夢見つつ縁者と友と尽くるまで話をしたるか母つひに逝く
期せずして短歌に拠りて十八年生くる前途の力とならん
「白き鯉」の歌碑たつ蔵王の観音堂茂吉偲べば心しづまる


歌集『白山連峰』
◇永原竹子・朗子
◇二〇二三(令和五)年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇石川県在住の二人の著者の合同歌集〔①平成二十六年から令和三年までの作品三五一首(永原竹子歌集「晩秋の庭」)、②昭和五十八・五十九年及び平成二十七年から令和三年までの二七〇首(永原朗子歌集「春の香」)〕

 永原竹子
思ほえず宵空に丸き月の見えしばし佇む晩秋の庭
風寒き冬の見張田遠々に白山連峰のふかき鎮まり
 永原朗子
久々に青空となる大寒のともしき光に春の香のあり
芝桜咲く丘陵地に立ちて見る白山連峰雪のかがやき


歌集『柚の実』
◇石原豊子
◇二〇二三(令和五)年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇広島県在住の著者の、平成二十三年から令和四年六月までの作品を収める。


暁の高空わたる冬の月冴え冴えとして鉄塔照らす
大寒のひかりさす庭黄の色に春のけはひの菜の花が咲く
わが縫ひし甚平まとふ幼子の父母に抱かれてゆく夏まつり
深まりし秋の日ざしに柚の実の輝き見ゆるわが庭の上
世のすがたたちまち変はりゆけるさまオンラインにて人らの集ふ


歌集『春蟬鳴けり』
◇神田あき子
◇二〇二三(令和五)年
◇砂子屋書房
◇三千円
◇愛知県在住の著者の、平成二十一年から令和元年月までの作品を収める。


歩み来る白き犬わが旧知にて脚よはき老をけふも伴ふ
やうやくに蜜柑の収穫終はらんと告ぐべき母はうつつに在らず
飯をへて炬燵にねむりゐる夫農に疲れし顔若からず
恙なく一年老いて峡畑に蜜柑摘みをり夫とわれと
かにかくに働く者の自負のありけふの疲れに足りて眠らん


歌集『冬立つ頃』
◇香川哲三
◇二〇二二(令和四)年
◇アマゾン(電子書籍)
◇三百五十円
◇広島県在住の著者の、平成二十八年から令和三年までの作品五八〇首を収める。


久々の雨に憩へば逝く秋の畑に蜜柑の黄はものがなし
騒立てる風に匂ひて潮のぼる灯火寂しき京橋あたり
豪雨被災の日を顧みて降り立てる安浦駅前午の静けさ
かつてわが想ひみざりし現実としてパンデミツクの惨目の当たり
ふはふはとしゐる体を横たふる夏至の日ながき夕映の部屋


歌集『家 跡』
◇大貫孝子
◇二〇二二(令和四)年
◇角川書店
◇二千六百円
◇東京都在住の著者の、昭和五十五年から平成三十一年までの作品を収める。


母逝きて十四年すぐる故里の山に()(たり)()ともなひのぼる
遠き世にわがあるごとし夜の闇に神楽の舞と薪の炎は
津波にて消えし集落見渡せば傾りに墓石夏の日反す
三年前流れ着きたる流木は浜に晒され白く細りし
日盛りに夏草にほふ家跡に境も見えずひとり佇む


歌集『連 鎖』
◇香川哲三
◇二〇二一(令和三)年
◇アマゾン(電子書籍)
◇五百円
◇広島県在住の著者の、平成二十二年から二十七年までの作品六一二首を収める。


職務より解かれし日々をひた歩む朝焼の坂夕映の町
ひとつ丘おほへる木々の梢より積む雪かすかに月光に散る
この国の未来の姿憂ふるに今日は朔旦冬至とぞ言ふ
おほどかに穂麦なびける畑遠くけぶりて驟雨の移りゆくらし
戦の絶えざるままに時移り今プレデター・リーパー無人機が飛ぶ


歌集『あやとり』
◇長谷川翠淵(淳子)・長谷川篠葉(真由子)
◇二〇二一(令和三)年
◇二千円
◇京都在住の著者の、翠淵:平成二十四年から令和三年、篠葉:平成十七年から令和三年の作品と、翠淵の書、翠淵・篠葉合作の書画、篠葉の書画を収める。

 翠淵
見目形おぼろに苔のおほひたる千体地蔵につもる歳月
この上に筆にて書けば映ゆるかと桜の落葉思はず拾ふ
野々宮にいたる小道の竹ばやしライトアツプに光る蜘蛛の巣
くきやかに雲の影置く比叡の山師走のひと日晴れて暮れゆく
龍安寺の池の面うづめ咲く蓮を見つむる入らの長き沈黙

 篠葉
亀描きてはじめてつよき歩み知る踏ん張る前足けり出す後足
夕立のやむを待たずに一人二人橋の下よりぬれて駆けゆく
流木を寄せて成りたるヴアイオリンの冴ゆる音色は永遠のかたりべ
                (TUNAMI VIOLIN)
寝ころびて壁に足あげ空を見てチンパンジーはしばし動かず
老母は書きあぐねつつ幾度も生の証のごとく筆執る


第二歌集『門燈』
◇大方澄子
◇二〇二一(令和三)年
◇角川書店
◇二千六百円
◇福島県在住の著者の平成二十年から令和元年以降の作品を収める。


線量計身につけて寝る罪のなき子らの将来恙なくあれ
津波にて逝きたる子らに掲げたる鯉幟七百海空に泳ぐ
医師の子に過信ありしかインフルエンザ肺炎にて逝く悔い限りなし
折に来てゐたる亡き子を待つごとく暗む五時には門燈つける
親として子として四十六間生き来しはかりそめのことにしあらず


第一歌集『朝の道』
◇巽谷一夫
◇二〇二一(令和三)年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇東京都在住の著者の平成十六年から平成三十一年までの作品四七五首を収める。


音絶えし昼の厨にただよへる香りは青き梅の実にあり
モダンジヤズわが魂にとよもせり人にこびざるこの楽式は
ふるさとの蟹をさかなに飲む酒はバブルのなごりボージヨレヌーボ
耳飾りきらめかせつつネパールの少女は見入る五十音図に
見晴らせば空の果てまで起伏して青くかすめるユーカリの森


第二歌集『追憶』
◇浦靖子
◇二〇二〇(令和二)年
◇角川書店
◇二千六百円
◇埼玉県在住の著者の平成十五年から令和元年までの作品を収める。


夢の中にはらから若く居りたるに目覚めしうつつ皆今は亡し
今あらば如何に老年過ごしゐん壮年にて逝きし夫偲ばる
意識なき子がひたすらのわが声を分りたるごと淚流しつ
淡くなりし夫の面影新たなる息子の面影追ひて日々ゆく
ある時は自らの生嘆かへど今安らけき残生にあり


第四歌集『残冬アイスランド』
◇香川哲三
◇二〇二〇(令和二)年
◇アマゾンKDP(電子書籍)
◇五百円
◇広島県在住の著者の昭和五十九年が二〇一三年三月にアイスランドを訪ねた際の作品二〇五首を収める。旅の記録と写真集を付す。


ギャウの谷あゆみ来れば轟ける風に剥がれて飛ぶ氷片は
氷河融水ここに一気に沈みゆくグトルフォス一つ滝の轟き
渦をなし巻きゆくオーロラ白光の極まりゆきて顕つ青のあり
雪あかり受けて飛びゆく鷲一羽エルドボルガルフロインのうへ
ひとつ山ひとつ氷河をなす傾りヘトルナル村静まりゐたり


第一歌集『分去れ』
◇横光邦光
◇二〇二〇(令和二)年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇千葉県在住の著者の昭和五十九~六十二年・平成二十~三十年の作品を収める。


常になく早く帰りて我が家の扉を引けば溢るる菊の香
帰省する(いとま)なしとふ子の部屋のガラス戸磨く歳晩の午後
隣り家のピアノ弾く子の顔知らず巧みとなりてこの頃楽し
(わか)()れを幾つ越え来て今あるとみづから思ふ七十二となる
わが街になじまぬ景色と思ひしがハロウインパレード賑はひてをり


第三歌集『プリムラの花』
◇渡辺譲
◇二〇二〇(令和二)年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇神奈川県在住の著者の平成十三年から三十年までの作品を収める。


春あさき雑木林に霧たちて飛び交ふ山雀人を恐れず
幾度の難逃れけん美しき観音立像けふも来て見つ
人々は廃墟の上に悲しめど日に映えて飛ぶ白きかもめら
病む妻の痩せ行く様を見る度にわが身削らるる思ひするなり
亡き母の生れは肥前伊万里にて遺品の古磁器いろ衰へず


第五歌集『鎮魂抄』
◇猿田彦太郎
◇二〇一九(令和元)年
◇角川書店
◇三千円
◇茨城県在住の著者の平成十五年から二十七年までの作品を収める。


義兄弟差別なく育てくれし母その死の顔の穏やかなりき
生き居れば二十八歳になりたるか息子のなぐさめにケーキを作る
四歳のわれを残して身罷りし母より受けし命を想ふ
父の逝きはや五十年悔いをつみわれ生涯の大方の過ぐ
釈迦仏の教へをふかく身に受けて帰り間のなく妻は逝きたり


第一歌集『冬天』
◇大友圓吉
◇二〇一九(令和元)年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇宮城県在住の著者の昭和、平成の作品を収める。


舗装路の窪みに溜る雪解の水氷りゐて月に輝ふ
残りゐし石榴もいつか落ち尽しわが行く丘は冬天ひかる
癌告知受けたる妻は一呼吸おきて小さく余命はと聞く
彷徨ひし荒野に天眼見し思ひ抗癌剤の効くとし聞けば
山の湯に妻の快気を祝ひ来て二合の酒にいたく酔ひたり


第一歌集『学問の香』
◇土肥義治
◇平成三十一年
◇角川書店
◇二千六百円
◇神奈川県在住の著者の平成二十二年から三十年までの作品五四八首を収める。


木陰濃きわが研究所なか庭に学問の香のただよひ満つる
庭に咲く檸檬の花の強き香が居間にし届く雨上がる午後
新年に職場のビルに虹の顕ちダイヤモンドダストしばし煌く
夕つ日に珊瑚の海が朱く照り沖に直ぐなる白波の顕つ
わがバイオプラスチツクを海洋の芥減らしに用ゐんといふ


第一歌集『花菖蒲と宮森』
◇桑島久子
◇平成三十一年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇福島県在住の著者の平成二年から二十七年までの作品を収める。


汗あえて植ゑ替へをする菖蒲田の上に鴨の群ひくく飛びゆく
三十年かかはりて来し菖蒲園おもひのあれど閉園となる
唐突に主語なく夫もの言へどこころの通ふともに老いつつ
震度六の地震に庭の灯寵の倒れ地割れの走るわが前
セシウムに関りあるか宮森の雑木々しげり花おほく咲く


第三歌集『大震災・前後』
◇中村とき
◇平成三十一年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇岩手県在住の著者の東日本大震災前後の作品とエッセイを収める。


逃げよ逃げよただ只管に登りたり津波来しとふ声に押されて
わが思考持たざるままに導かれヘリに乗らんと運ばれてゆく
窓破れ屋上に物の上りたるわが家の無惨こゑあげて泣く
再びはここに住むことなからんと流れし家の跡にわが立つ
夫逝き三十七年津波後の仮の住まひに仏具を磨く


第一歌集『奥明日香』
◇村松とし子
◇平成三十一年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇三重県在住の著者の平成十三年から二十九年までの作品を収める。


奉曳車(ほうえいしや)勢ひ斎庭に着きたれば初穂のかをり豊かに充つる
谷渡る男綱女綱にいにしへの慣ひいきづく奥明日香村
手ふるれば崩れさうなる岩の壁この道なりて千余年過ぐ
家の間を激しき音に流れゆく奥飛鳥川甌穴ふかし
歩くこと切に願ひし姑ゆゑひつぎに入るる桐の駒下駄


第一歌集『似顔絵』
◇古川祺(祺の辺は正しくはネ))
◇平成三十一年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇福島県在住の著者の昭和六十一年から平成二十八年までの作品九〇四首を収める。


無農薬野菜作りにこだはれば虫との戦ひ終ることなし
明治より生き来し母はつつがなく今日百歳の賀寿を受けたり
阿武隈川の夕日のあたるひとところ真鴨の群れのわづかに動く
原発より四十五キロのわが家に気持安らぐことなく過す
心まで汚染されんかと思ふ日々福島に住みて逃るすべなし


第三歌集『凍道』
◇鎌田和子
◇平成三十年
◇角川書店
◇二千六百円
◇北海道在住の著者の平成十九年から二十九年までの作品六〇九首を収める。


山ふかく入りきていよいよ霧の濃し行き着くところ無きが如くに
雪の後の動物園のしづけさを圧して響く狼のこゑ
ひびき来る吹雪の音は人の世の濁りを持たずひたすらにして
今日ひと日降りたる雪をねぎらふごと月の光が明るく差せり
バス降りし入らつぎつぎ傘ひらき小暗き空間埋められてゆく


歌集『入院歌』
◇是永豊
◇平成三十年
◇大分県在住の著者の平成二十九年から三十年一月までの入院中の作品を収める。


看護師のやさしき声に目覚めたり十月二十八日曇りゐる朝
大空の光を受けて木草らの深き緑の色の静けさ
ゆく秋の午後の病院音もなく窓辺の欅をりをりさやぐ
わが眠り深からずして目覚めたる夜半の十一時歌ひとつ書く
淡き灯の明かり頼りて手探りに歌を書きたしティッシュの箱に


第二歌集『山桜』
◇多田隅松枝
◇平成三十年
◇現代短歌社
◇二千五百円

◇埼玉県在住の著者の平成二十一年から二十九年までの作品四四五首を収める。


寺庭の静まる廊に回忌終へ夫の知らざる生を歩みつ
船底に波のうねりを感じつつ仏ケ浦の奇岩を仰ぐ
原発の不安かかへてゆく畑にクリスマスローズ花あまた咲く
輸血して重くなりし身さまよへる夢にアイリス咲く畑を見き
夕冷えにうすくれなゐの山桜見る人もなく山かげに咲く


第三歌集『あえの風』
◇松生富喜子
◇平成二十九年
◇角川書店
◇二千六百円
◇東京都在住の著者の平成二十一年から二十八年までの作品を収める。



百万本のすかし百合咲く高原はかすけき風に匂ふ時あり
白山の水庭に引き流れゐるすがしき音に今宵眠らん
声にせし言葉の一つこだはりて老の愚鈍を自らなげく
相寄りてかたみに熱く佐太郎を語るよろこび長く思はん
耳許にやさしき夫の声を聞く夢かうつつか寒夜に覚めて


第ニ歌集『花原』
◇本間百々代
◇平成二十九年
◇角川書店
◇二千六百円
◇千葉県在住の著者の平成十七年から二十八年までの作品を収める。


かみのやまの狭き街なか坂のうへ坂の下にも彼岸花さく
千葉港に沈む夕つ日まのあたりビル側壁にあかあかと照る
回游するせいうちの鰭手足にてそれぞれ小さき爪の光れる
吾木香(われもかう)りんだうの花瓶に挿ししばし蔵王の花原しのぶ
抱卵の交代をする一瞬にこふのとりの雛鳥の見ゆ



第一歌集『霧氷』
◇野澤洋子
◇平成二十九年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇東京都在住の著者の平成十七年から二十八年の作品を収める。


内気とぞ思ひし孫がソロに踊るまばゆきばかり堂々として
無造作に積まれし石のすき間より草に花咲くわが散歩道
わが下の川沿の木々霧氷して水晶の華咲く如く見ゆ
山奥の自然のくらしみつつ過ぐ闇にかすけき灯見ながら
身の震へ精神の衰へ思ふとき気丈なる母がまなうらに顕つ




第十二歌集『樹氷まで』
◇秋葉四郎
◇平成二十九年
◇短歌研究社
◇三千円
◇千葉県在住の著者の平成二十六・二十七年及び二十八年の作品の一部を収める。


十六夜(いざよひ)の月中空(なかぞら)に光りつつ雪ふりをれば人をしのばす

敗戦国の少年としてかたくなに育ちきいまだに消ゆることなし

街の(そこ)泡だつごとく(とも)り来てつづまりに人は()()に憩ふ

上山(かみのやま)の茂吉の蛍とぶ道を恋しき光身に沁みあゆむ

佐太郎の生年(しやうねん)越えていよいよに独りとぼとぼと遠き道行く



第二歌集『はけの蛍』
◇小島玉枝
◇平成二十八年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇東京都在住の著者の平成十七年から二十七年までの作品六七〇首を収める。


はけの水沢道を越え眼下の蓮を乱せり雨降るあした
水の音単調にして篁のうちに入りゆく蛍ひとつは
睡蓮を入れて金魚の動き見る澄む水の中何事もなし
縁先より落ちたるわれの不甲斐なさ失意に変る老いといふこと
文語体片仮名まじる父の文とほき明治の詩のひびき持つ



第四歌集『還暦前後』
◇猿田彦太郎
◇平成二十八年
◇現代短歌社
◇三千円
◇千葉県在住の著者の平成五年から十九年までの作品を収める。


三百年三春の張り子を継ぐ店に面の古りたる木型の並ぶ
街中の一身田(いつしんでん)の寺の屋根見えつつ狭き参道をゆく
グツピーも人も酸素を吸ひて生く一夜病室の気泡耳にす
富士山を見るとき常に甦る講中のわれ心置きなく
あらえびす記念館より見霽かす奥羽山脈夕靄のたつ



第一歌集『水郷』
◇江畑よし子
◇平成二十八年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇千葉県在住の著者の昭和五十四年から平成二十五年までの作品を収める。


潮騒の音おのづから高まりて九十九里浜夕暮れてゆく
枯葦を分けて流るる利根川の水音したしわが古里は
夕寒き苺ハウスに灯ともればめぐりの水田共に明るむ
紫陽花の花の紫うつろひて梅雨の名残りの雨降り注ぐ
家族らは旅にしありて独り居る家に夫の遺品整理す



第六歌集『送り火以後』
◇石井伊三郎
◇平成二十八年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇埼玉県在住の著者の平成二十五年から二十八年前半までの三五〇首を収める。


産土の社に詣で生と死の境に生きし兵の日おもふ
四人の子を戦野に送り貧困に耐へつつ生きしちちはは偲ぶ
仲秋の今宵の月は友あまた果てしペリリューの浜照らしゐん
戦死せし友の遺族に意を決し今はの様をつぶさに話す
母逝きしきさらぎ八日午前四時空にきらめく星美しかりき



第一歌集『遠き山』
◇佐藤順子
◇平成二十八年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇福島県在住の著者の三十年間の作品を収める。


磐梯と飯豊をつなぐ大き虹萎えたるわれの心を照らす
眠りよりうつつにかへる哀しさや傍へに平たく夫臥しをり
坂なせる町の通りは人気なく融雪の水滝のごとしも
雪原に若きが操るスノーモービルたちまち遠き光にまぎる
学校にて軍需の仕事せしわれの卒業証書葉書大なる



第二歌集『北斗星』
◇渡邊久江
◇平成二十八年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇埼玉県在住の著者の平成十九年から二十七年までの作品を収める。


戸を開ければ押し入るごとき日の光木犀のつよき匂伴ふ
あたたかく目覚めし窓に春耕の野をうるほして朝靄うごく
庭の木の芽摘みて佃煮つくりたりそれのみにこころ足らふ一日か
雷晴れしきよき夕空つかの間の二日月あり木の間がくれに
この目にはあといくたびの桜かと見上ぐる花のその上も花



第一歌集『おもかげ』
◇安部恵美子
◇平成二十八年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇福岡県在住の著者の平成十四年から二十七年までの作品を収める。


後より夫の呼ばふ声聞こゆうつつならずと知れど振り向く
病む夫不平も言はず臥しをるを見れば愈々切なき思ひす
長く病む夫を看取るなぐさめは木の葉のうつろひ空のうつろひ
外科医にて秀でし働きなしし手ぞ夫の手を撫でかなしむわれは
介護に疲れしばし自由になりたしとつぶやきみれど言ひてみるのみ



第一歌集『追憶岬』
◇仲田紘基
◇平成二十八年
◇角川書店
◇二千六百円
◇千葉県在住の著者の昭和三十八年から平成二十六年までの作品六六三首を収める。


みづからが言ひし言葉にみづからが涙ぐみつつ子らと別るる
家うらのみちに戦車を見し記憶三歳なりき終戦の年
帰ることなからん家と思ひつつ病む母を負ひ玄関出づる
見開ける目にわが顔も映れるや待ちまちて今生まれ来し孫
はるかなる時を流れてこの湾に終る氷河の崩落の音


第二歌集『雪原』
◇鎌田和子
◇平成二十八年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇札幌在住の著者の平成九年から平成十八年までの作品五三五首を収める。


地吹雪の絶ゆるときのま凍道にさながら匂ふ夕べの茜
散りぼへる鹿の骨いくつ手にとれば木の皮を剝く下顎重し
乳足らひてふくよかなれるみどり児の甲まるき足や仏像の足
ねぐらする沼面に五万羽の真雁なべて入日の方に向きゐる
雪原に今や触れんと見てをれば日輪あつけなく沈みたり



第二歌集『屋上』
◇田丸英敏
◇平成二十七年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇東京都在住の著者の平成六年から二十六年までの作品を収める。


機械にて仕上げてゆけば当然に畳屋の手の油に汚る
冬の日の空気旱きて畳縁返せる爪のことごとく欠く
いち日の終章として屋上に出でてしばらく夜風にひたる
われの他に来る人の無き屋上に海棠の咲き海棠の散る
春を待つことわりのごと今年また豌豆の種屋上に蒔く



第一歌集『堀川』
◇石川英子
◇平成二十七年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇愛知県在住の著者の「歩道」入会以来の作品を収める。


追憶の中に生きゐる病む夫けふの心は宇登呂にあそぶ
わが生れし町に流るる堀川の石敷の橋にけふひとり来つ
のぼりくる潮のいろなす堀川に見るゆふぐれの街は鮮し
われのみに自動階段うごき出づ音地下道にひびきわたりて
病室の夫に夏を知らせんと窓あけて蟬の声をきかしむ



第一歌集『山村』
◇塩原啓介
◇平成二十七年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇長野県在住の著者の平成七年から二十六年までの作品を収める。


引き揚げて上陸せし地の記念碑を妻のなでつつ無言にて立つ
踏みしめて雪の丘辺に見上げつつ淡きオーロラ暫しにて消ゆ
すこやかに機械と共に働きし日も終らんか神酒捧げたり
庭に咲くカサブランカの一輪を静かに添へて永久に別るる
つつましく子らと過ごさん残生は己が命のすこやかにあれ



第一歌集『八丁堀』
◇比嘉清
◇平成二十七年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇千葉県在住の著者の平成五年から二十六年までの五〇二首を収める。


古希過ぎし心はげましゆく職場都市の柳の小さく芽ぶく
八丁堀の職場に近き大川のほとり歩けば潮の香のたつ
あざやけき素子発光の青き灯がゆく道照らすぬくもりのなく
追ふごとく追はるる如く勤めしがいま老いづきてゆく日々早し
帰らざる白鳥見つつ手賀沼の街に暮らして十年の経つ



第三歌集『淡き(かげ)
◇香川哲三
◇平成二十七年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇広島県在住の著者の平成十三年から二十一年までの六一二首を収める。


天の青しろく霞めるまで暑く相生橋に日は長けんとす
大刃鎌(おほはがま)振りてつる草はらひゆく蜜柑畑に夕暮るるまで
質素なる日々の暮しに細き身を支へて過ぎし母の一生(ひとよ)
背後より日のさすクツク氷壁の前面かすかに午靄(ひるもや)うごく
数々の寺めぐり来て仰ぎみる胎蔵ケ峰(たいざうがみね)は夕日をかへす



第三歌集『奉遷』
◇松本一郎
◇平成二十七年
◇KADOKAWA
◇二千六百円
◇三重県在住の著者の平成十六年から二十六年までの五三二首を収める。


鼓の音のはるけくひびく杉木立松明の火のゆれ移り来る
秋の夜の杉の木立にしみわたる開扉の音ぞ身の引き緊る
出御(いでまし)のときのせまりて燃ゆる炎を雑仕はおほふ濡るる筵に
うつつなき鶏鳴(けいめい)三声ひびきたり呼応して勅使出御宣らすも
太占のまま禰宜ら仕へて森厳に大きみ魂のうつつに移る



第三歌集『白露』
◇小林智子
◇平成二十七年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇長野県在住の著者の平成十一年から平成二十六年までの作品を収める。


みづからの厳しき手形示されし師を偲びをり立秋ちかく
抗癌剤呑みゐて食を厭ひゐる嫁の背を撫づ老いしわが手に
新成人になりにし君を想ひをり三百頭の牛飼ふ聞けば
幾度の寒のもどりに逢ひし梅長く咲きつつ盛りなく散る
接近しさかる火星に探査車の着くとふニュース胸あつく聞く


第三歌集『測深鉛』
◇中村達
◇平成二十七年
◇砂子屋書房
◇三千円
◇愛知県在住の著者の平成十七年から二十五年までの作品を収める。


舐めるとはかくの如きか田も畑も津波は進む瓦礫とともに
神還るまへの檜の正殿は宗教以前の日本の香ぞ
貯木場を長き筏が引かれゆく引かるるものの安けさにして
透明の傘の内なる明るさや繭ごもるごときわれの悦楽
街をゆく人も車も映像をわが見るごとし定年ののち


第十一歌集『みな陸を向く』
◇秋葉四郎
◇平成二十六年
◇KADOKAWA
◇二千六百円
◇千葉県在住の著者の平成二十三~二十五年までの作品を収める。


震度五の東京の街に彷徨(さまよ)ひて九時間とにかく乗物を待つ
家跡は土台のみにて日をかへす無念なるべし悲しかるべし
鎮魂の祈りとどかん寒天にむらさき冴えて虹ながく顕つ
野生化をしたる家畜が自動車の()に現れて人を恋ふとぞ
直系の(きづな)身に沁みフルージルにかうべ垂れゐきオーロラの下



第三歌集『遠朱雲』
◇鈴木眞澄
◇平成二十六年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇千葉県在住の著者の平成十二~二六年前半までの作品五四〇首を収める。


ひと息に重きシヤツタ―上ぐるとき商ふけふの気力充ちくる
雨過ぎし未明の砂漠塵の無き空にまたたく星座の群は
草の上の霜とくるなく夕暮れしアウシユビツツの空に鐘鳴る
あるときは忘るるごとく日を経れど放射能禍の日本かなし
人はみな悲しみ負ひて生くるかと思ふ隣に諍ふ声す



第三歌集『氷花』
◇猿田彦太郎
◇平成二十六年
◇現代短歌社
◇三千円
◇茨城県在住の著者の昭和五十一年~平成四年の作品六五九首を収める。


仙ケ滝の水がゆたかに落つるとき風おのづから水よりおこる
境内は木々の茂りて日の暮のたちまちにして土より寒し
原子炉に発電されて鉄塔が広き水田にその影映す
身籠れる妻の疲れを見計らひ宵早きより店をわが閉づ
川岸を一気に氷花の動くとき軋み合ふ音のかすかにきこゆ



第一歌集『再生』
◇内藤勝恵
◇平成二十六年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇埼玉県在住の著者の平成五年から二十五年までの作品を収める。


寺庭の明るき夕べ枝垂れたる桜はいらかを越えてなびかふ
水中の影はしだいに群となり鯉は口開く飛沫あげつつ
生き形見と賜はりし着物仕立てんと秋の日明るき縁に針持つ
風薫る五月二十八日手術受くこの日をわれの再生とせん
何処にて捕へし鼠か飼猫は咥へ来りてわが前に置く



第三歌集『春蛍』
◇佐保田芳訓
◇平成二十六年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇東京都在住の著者の昭和六十二年後半~平成十五年の作品五百三十一首を収める。


眼下(まなした)に暮れはてし都市(おき)のごと駅のめぐりに灯り寄り合ふ
蟬が鳴き海猫の鳴く声きこえ神威岬の霧のなかゆく
アメリカが機軸となりし世界観当然のごと人思ふらし
ヨーガにて心静かに保たんと思ふいとまに悔しみの湧く
少年の頃より見馴れ母を継ぎカーテン縫ひて三十年過ぐ



第三歌集『雪庭』
◇近藤千恵
◇平成二十六年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇福島県在住の著者の平成十五年から二十六年までの作品四六五首を収める。


トポロジー位相空間リーマン幾何夫の研究逝きてより知る 
ありし日の母のくれたる柱時計音すこやかに四十年あり
線量計つねたづさへて学校へ行くわがをとめすこやかにあれ
私ら子を産めますかと問ひたりし少女のあはれ中学生とぞ
経塚のめぐりは芽吹く楢木立はるのをはりの光さびしく



第一歌集『潮流』
◇堀和美
◇平成二十六年
◇いりの舎
◇千円
◇香川県在住の著者の昭和四十六年~平成二十四年の作品を収める。


日柄よく出帆の(はらひ)をうくる船朝日あかるき海へだて見ゆ
詣で来し青岸渡寺の歌碑の前み命すぎし先生おもふ
心あつく独航船を見送りし日ありき夢のごとおもひ出づ
潮流は憩ひに入らん刻なるか夕づく光と影と縞なす
曇とも晴るるともなく夕づきて沖の島山かすみをまとふ



第三歌集『森の気』
◇安田恭子
◇平成二十六年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇千葉県在住の著者の平成十五~二十五年の六六五首を収める。


いくそたび命終われに問はれたる先生逝きたまふ芙蓉咲きゐて
近く住む娘無意識に待つわれか晩年の母思へば哀し
手放しし生家の跡に森の気を治療に生かす医院建ちたり
上げ潮の川波すべて影を帯びわれに押し来るゆふべ帰り路
眼差を遠くはるかに清経を舞へば波音の聞こゆるごとし



第一歌集『半月』
◇菅野幸子
◇平成二十六年
◇現代短歌社
◇非売品
◇岩手県在住の著者の十代から八十歳に至るまでの作品を収める。


夕つ日に水の輝く広き川白鳥の群れひととき声なし
終刊の会の果てたるむなしさや行くも帰るも一人の電車
                  (岩手短歌会)
をさまらぬ余震に怯ゆる明け暮れにありて草取るあしたの庭に
昏るる頃かりがねの列短きも長きも続く川に沿ふ空
米兵の顔みゆるまで降下して機銃掃射を浴びし日のあり



第一歌集『臘梅』
◇高沢紀子
◇平成二十六年
◇KADOKAWA
◇二千六百円
◇石川県在住の著者の平成六年~二十五年の作品を収める。


積む雪に黄の色にじみ臘梅の花咲き継ぎて大寒に入る
吾が海の闇に祭祀の流し灯の華やぎ壱千夏の夜ゆらぐ
この秋も郁子(むべ)のみのりの多くして母亡き庭に鳥あまた来つ
四肢のばしここちよからん嬰児の湯浴みの後の肌のくれなゐ
はなびらの一片まとひ春の夜の往診了へて夫の帰る



  第一歌集『塩田抄』
◇三浦てるよ
◇平成二十六年
◇KADOKAWA
◇二千円
◇愛知県在住の著者の昭和四十一年~平成二十四年の四八六首を収める。


雨止みて薄日射しゐるひとときを橋田の海のはやき潮流
ゆたかなる細江の水の日に揺るる堤の道を君とあゆみつ
指先の重くなるまで札かぞふ千二百人余の賃金のため
一人住む故にもの言ふ事のなしものを言はねばいたく疲るる
かたはらに影のごとくに亡き母の常居る思ひいまだ離れず


  第一歌集『虹の環』
◇細貝恵子
◇平成二十六年
◇いりの社
◇二千五百円
◇埼玉県在住の著者の昭和六十三年~平成二十五年の六八九首を収める。


霧移る雁坂峠ブロツケンの虹の()のなかわが影うごく
感情の豊かになりくる幼子にときに戸惑ふ母なるわれは
海に潜くわれにくまのみ近寄りて威嚇をすれど眼おだやか
何万キロ離れてをれど一瞬にメールの届くうつつに生きる
フルージルの街空わたりオーロラは緑の帯にて光波打つ



  第二歌集『遠街』
◇杉本康夫
◇平成二十六年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇埼玉県在住の著者の平成十六年~二十五年までの作品を収める。


疾風におほかたの葉を飛ばしたる欅の幹枝堅固に光る
満州の時代を生きてながらへし父母の姿に諍ひを見ず
忘れ雪となりたる今朝は暖かしひかりある空全天の青
雷のとどろきながくくぐもりし遠街のうへ光た走る
寒暖に敏くなりたるわが身体歳晩最首なににか恃む



  第一歌集『高津川』
◇山本貞人
◇平成二十六年
◇柏村印刷株式会社
◇非売品
◇島根県在住の著者の平成十八~二十五年の三八二首を収める。


軒先に杉玉吊す老舗あり土間の奥より新酒の香り
熊除けの鈴鳴らしつつ古里の峡深く来て山菜を摘む
高津川中洲に憩ふ二羽の鷺清き流れにひと時遊ぶ
掛軸の雛を飾りて老二人甘酒を飲み来し方語る
満月を仰ぎて偲ぶ古里の空家の庭も照らされてゐん



  第二歌集『ダイヤモンドダスト』
◇樫井礼子
◇平成二十六年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇長野県在住の著者の平成六~二十五年までの六五八首を収める。


金属のごとき光を放ちゐる鰯盛り上げトラツクが行く
登校せぬ子と現役を退くわれと話題なきまま昼餉に対ふ
ダイヤモンドダスト方向の定まらずせはしく光るわが家のめぐり
日ののぼる美ヶ原の冬峰に太陽柱といふひかり立つ
雪嶺の白馬三山かうかうと昼の日返し青天しらむ



  第二歌集『驟雨』
◇菅千津子
◇平成二十六年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇愛媛県在住の著者の平成十二~二十五年までの作品を収める。


寒さやや戻れる風に川の洲をうづめ眩しき菜の花匂ふ
久々の帰宅かなひし病む夫にさくら鯛わがさばきて造る
いつせいに飛びたつ鷗逆光のくろきうしほを滴らせ翔つ
再生するDVDに為直しの効かざるわれの過去(すぎゆき)を見る
草木のもみぢ美しき丘のはて新雪けぶるマツキンリーは



  第三歌集『道』
◇柳照雄
◇平成二十六年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇新潟県在住の著者の平成十一~二十五年までの五三五首を収める。


大寒の寒さは今し極まらん粉雪まとひつらら真白し
荒き音立てて流るる信濃川山も野もはや雪解け盛ん
堆き瓦礫のうへに春雪の清めて白く降るも悲しも
若かりし日に教へたる生徒らのその子らも縁ありて教ふる
もう直に満百歳になる母やおほよそ食の細る日のなし


  第一歌集『すぎゆき』
◇西澤悟
◇平成二十六年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇千葉県在住の著者の平成三~二十年までの七〇四首を収める。


文字持たぬ文化を伝へ機上より見る地上絵はおろそかならず
病床に朝早く覚め点滴の管ながめをり他に術のなく
永年の勤続表彰受けたるが過ぎ来し半生可も不可もなし
新しき世紀迎ふる思ひあり神楽奏する参道ゆけば
森深く厳かに立つ苔生ふる三千年の屋久杉みれば



  第四歌集『記憶』
◇加古敬子
◇平成二十五年
◇現代短歌社
◇二千五百円
◇愛知県在住の著者の平成十五~二十五年までの四三四首を収める。


傘さしてくれば降る雪かぎりなし静かにふりて視界を満たす
暮れやすき山の集落夕靄のおりて恋ほしく灯のともりそむ
病める子のこの世に残る日々を神よしづかにあらしめ給へ
さよならと言ふ自らのこゑに泣く死して静けき子のかたはらに
うすれゆく亡き子の記憶たぐり寄せたぐり寄せわが春浅き日日


  第四歌集『眼鏡と篁』
◇戸田佳子
◇平成二十五年
◇角川書店
◇二千七百円
◇千葉県在住の著者の平成二十~二十四年までの六〇三首を収める。


砂糖黍の冬花島のいづこにも高々と咲き朝日にひかる
悔あれば心さだまりがたくして幾度も眼鏡のくもりを拭ふ
めまぐるしく風やみ雨となる夕べ慚の思ひに身じろぎもせず
震災に生き残りしに死者追ひて自死する被災者ありとこそ聞く
眼前のサプライズ氷河青深くただにしづまる海になだれて



  第二歌集『夢の跡』
◇青木嘉子
◇平成二十五年
◇いりの舎
◇二千五百円
◇神奈川県在住の著者の、平成十五年から二十四年までの短歌作品を収める。


案じつつ歩道誌ひらき巻頭の師の歌を読み安堵したりき
己が身を顧みるいとまなきままに日々を送りつ日々を恐れつ
声の限り呼びしわが声届きしか意識うするるいまはの夫に
眠りゐる如き平和なるつひの顔あまりにかなし起き出でたまへ
未完成のままにて終る一生と思へど残生如何に生くべき


  第一歌集『那須颪』
◇佐藤充
◇平成二十五年
◇角川書店
◇二千七百円
◇栃木県在住の著者の、昭和二十七~三十四年、平成五年~二十四年までの作品七六一首を収める。


川向うの山より噴き上げらるるごと白色の雲条なして立つ
濁るなき意識のままに絶え果てしちちのみの父倖せなりしか
雷雲の雷ともなひて八溝嶺越えゆきしのちふたたび冬日
足音に杖音まじり廊下ゆく妻の歩みの速やかならず
夕づきて来れば那須颪をさまりて淡雪あそびの如く降り出づ



  第五歌集『送り火』
◇石井伊三郎
◇平成二十五年
◇角川書店
◇二千七百円
◇埼玉県在住の著者の、平成二十年から二十四年までの短歌作品四百余首と、文章四篇を収める。


師の忌日めぐり来りぬ庭に差す光は澄みてさるすべり映ゆ
生と死の境に生きし兵の日を夢のごとくに思ふをりふし
母逝きしきさらぎ八日午前四時空に落月光りゐたりき
庭先に百日紅さるすべりの花開き初め国敗れたる日の巡り来ぬ
餓ゑて死にし友葬り来しコロールの島照らしゐん今宵の月は



  第一歌集『浜昼顔』
◇安井はる子
◇平成二十五年
◇ながらみ書房
◇二千七百円
◇千葉県在住の著者の、歩道入会より平成二十四年までの四百余首を収める。


利根川のゆるき流れはむらさきの雲を沈めて夕暮れてゆく
両の手に抱くみどり児の亡骸にわがぬくもりのせめても移れ
病院にゆだねし夫思ふ時罪悪のごとき思ひ湧きくる
九十九里の潮騒の音に揺らぎつつ浜昼顔の淡き花咲く
幾百の群なす雀ら荒風にひるまず春の空移りゆく



  第二書歌集『きぬかけ』
◇長谷川翠渕(淳子)
◇平成二十四年
◇非売品
◇私家版
◇京都府在住の著者の平成十七年から二十四年までの短歌作品と書を収める。


臨書する線のうちそとに漂ひて書きたる人のぬくみつたはる
幾筋も棒線しるしたる本に読みし記憶の無きを哀しむ
渡月橋わたりをへたるところまで送りて共に又ふり返る
鉄塔は丘を跨ぎて並び立つ澄む冬空の涯の白雲
根つきて書きあらたむる意欲なく三日眺めて可も不可もなし



  第二歌集『村松』
◇猿田彦太郎
◇平成二十四年
◇角川書店
◇二千七百円
◇茨城県在住の著者の平成四年から十八年までの七百十五首を収める。


うちつづく稲田の稔りまばゆくて大田の郊外日の暮れがたし
モンゴルに降りし雨にて松花江水赤くなり激ち流るる
三十年借店ながら商ひのなかに育ちて子の嫁ぎたり
霊安室に検死を受くる子を待ちて戸外に居れば身の置きどなし
紀三井寺の楠の大樹の下に立ちわが六十年の追懐ふかし



  第一歌集『延齢草』
◇二瓶龍子
◇平成二十四年
◇発行者 二瓶龍子
◇非売品
◇福島県在住の著者の昭和六十三年から平成二十二年までの四百九十六を収める。


むら雲にいまだ夕光のこしゐるあの下あたり吾のふるさと
母の日に人影のなき林越え郭公のなく山墓に来つ
光りなき太陽霧の中に浮くけやきの樹氷散りやまぬ朝
たしかめて戸じまりせよと夫発つひぐらしの声響く夕ぐれ
沈む日にもりあがる山の輝を見つつ駒止峠越えたり



  第二歌集『樹液のかよふ少年』
◇中村達
◇平成二十四年
◇砂子屋書房
◇三千円
◇愛知県在住の著者の平成七年から十六年までの作品を収める。


夕暮にきざす寂しさみづからの声が躰の中からひびく
ふさはしき風を待ちつつ残る鶴さびしきものかこの静けさは
やうやくに地震収まり眠るころ既に五千のいのち無しとぞ
刺繍機の止まるあひだに耳もとに風吹くごとき幻の音
為すことのなき仕事場に茫茫と夕べの雨の音を聞きをり



  第一歌集『四十本の薔薇』
◇大塚秀行
◇平成二十四年
◇角川書店
◇二千七百円
◇千葉県在住の著者の平成十年から二十二年までの作品七百十六首を収める。


しんしんと雪の降り積む庭に咲く椿の花は父しのばしむ
山にある山のかがやき子らにある子らのかがやき高原の初夏
十メートル先に雷落ちまのあたり音もろともに閃光の飛ぶ
テリトリー守りたたかひし傷なるかわが猫額に爪跡ふかし
この妻の支へなくして三十年ひたすら仕事に打ち込めたりや


  第八歌集『橋』
◇黒田淑子
◇平成二十四年
◇角川書店
◇二千七百円
◇岐阜県在住の著者の平成十年から十六年までの四百五十八首を収める。


忘れたき花のあらんか受刑者は観桜会の話に触れず
川幅の広くなりつつ冬の雨はげしく降れり橋渡るとき
順序なく睡蓮の花開きゆく午前の光池におよべば
束縛を解かるるごとく花房よりあしびの花の一つづつ散る
海岸に続く植田は棚田にて直なる雨を区切る静かさ



  第二歌集『寒椿』
◇佐藤みちや
◇平成二十四年
績文堂出版
◇非売品
神奈川県在住の著者の平成三年から二十三年までの作品を収める。


花の下に伴ふ幼何時よりかあはれ少年の輝をもつ
毅然として弟とむらふ席にゐる九十歳の母いたいたし
わが内の貧しき思ひ現身に顕れて病む秋あつき日々
しづかなる午前ひとときまぼろしのごとく雪ふる一月五日
病む夫の日々も看取りのわが日々も天意と言ひて共に諾ふ



  第四歌集『石見』
◇水津正夫
◇平成二十四年
◇柏村印刷
◇二千八百円
◇島根県在住の著者の平成十二年から二十三年までの四百十五首を収める。


消えのこる雪に蕾を散らしつつ峡のなだりに三椏を刈る
蝉の声とよもすけふは迎へ盆竹の花筒墓地に打ちこむ(蝉は原作では正字体)
独り言いひつつ朝餉の用意する厨の妻もわれも老いたり
命なきもののしづかさ出でて来しここの河原の砂に日がさす
療養にこもる一日は長かれど磯ひよどりが窓かすめ飛ぶ



  第四歌集『庭の黒松』
◇野口登久
◇平成二十四年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇埼玉県在住の著者の平成十七年から二十三年までの作品三百八十八首を収める。

コンバインの轍のしるく刈られゆく稲の匂ひが広き田に満つ
彼岸入りの今日真夏日と奥津城に草取りをれば眩暈もよほす
夫送り姑をおくり気まぐれの日々を過ごして傘寿となりぬ
子が鍬にて畝切りわれが種を播く蚕豆ゑんどう秋空高し
この家に嫁ぎ来て早や六十年八十二歳の生日近し



  第十歌集『自像』
◇秋葉四郎
◇平成二十三年
◇角川書店
◇二千七百円
◇千葉県在住の著者の平成二十年から二十二年までの作品七百九首を収める。


氷壁の青中天の日に透るマウントクツクに近づき立てば
個々の木に千の林檎が熟すとき千のよろこびさながら放つ
ねんごろに醸しなりたる酒ゆゑに神の心となりてわが飲む
眼の疲れ来ればパソコン拡大し励むを何のよすがとぞする
過ぎてみれば随伴たかが十七年しかすがにわがおほよその生



  第四歌集『夕あかね
◇長坂梗
◇平成二十三年
◇角川書店
◇二千八百円
◇東京都に在住してゐた著者の平成十六年から二十一年までの作品を収めた遺歌集。


ほとばしる涙のごとく花散りて今年の桜終らんとする
千年ののちの地球に人在りやあらば如何なる文化が残る
散る花の触れし如くにかすかなる思惟わが裡をよぎりゆきたり
亡き人らわれを支へて生かしむと思ふことあり何気なき時
やはらかく混りゐたりし蟷螂は落葉と共に焚きしかしれず



  第三歌集『絵手紙』
◇清宮紀子
◇平成二十三年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇千葉県在住の著者の平成十五年から二十一年までの六百三十八首を収める。


久々にハイヒ―ル履きス―ツ着るわれの姿のはやぎこちなし
再発を怖れつつわが生を積む職を退きたる日日の尊く
父逝きて十六年の新年か母の寂しさわれの寂しさ
午前四時旅のホテルに倒れたる夫のかたはら救急車待つ
母の卒寿祝ふうからら十三人集ふ昼過ぎ風強く吹く



  第三歌集『磯菊』
◇田村茂子
◇平成二十三年
◇角川書店
◇三千円
◇和歌山県在住の著者の昭和六十二年から平成二十一年までの作品を収める。


海近く残る工場地の松林吹雪に揺れて梢暮れゆく
幾年もかけて実生の山茶花の咲くは切なし身のおとろへて
逝きし夫去年は愛でにし磯菊の漸く咲けり秋深まりて
気負ひ立ち又はかなみて病む夫と共にありにし過ぎ去りし日々
細菌の免疫低下は文明の向上にありとふわれ黙すのみ



  第一歌集『阿蘇
◇荒木精子
◇平成二十三年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇熊本県在住の著者の昭和六十一年から平成二十二年までの作品を収める。


ゆく夏の天草洋の沖遠く飛魚の群ひかりつつとぶ 
先駆けの四羽の鶴が帰りゆく今日立春の天草の空
残響が広がりゐつつ秋天に一千メートルの噴煙上る
風を追ひ風を起こしてうづまける野火ひたすらに山稜走る
登りゆく阿蘇山はれてわがめぐり樹氷しづくす音限りなく



  第一歌集『雪嶺』
◇山本豊
◇平成二十三年
◇博光出版
◇非売品
◇岩手県在住の著者の平成五年から二十一年までの五百八十八首を収める。


眼閉ぢ夜の電車に揺られゐるこのひとときのわれの危ふさ
剥製の羚羊の眼に映る雪のちいくたびの冬にわが会ふ
採算の合はぬ耕地と思へども農の思想を自らに問ふ
雪残る峰を越えゆく白鳥の老いたる姿われは知り得ず
誰にても死より逃るることなけれ朝顔の花今朝は開かず



  第二歌集『わが夏の旅
◇渡辺謙
◇平成二十三年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇横浜市在住の著者の昭和五十九年から同六十四年までの作品四九一首(「回想編」十七首を含む)を収める。


一色に輝く氷河と思ひしに無数の傷跡いたいたしかり
眼下に帯のごとくに輝くは時雨のはれて川に月差す
五百年の歴史をもてる僧衣とぞ今も用ゐて絹がかがやく
貫きて妥協許さぬ先生のみ言葉いまはわが身をつつむ
大葬の礼の船笛いくへにもこだまし聞こゆわが住む町に



  第二歌集『縁その後』
◇福田智恵子
◇平成二十二年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇東京都在住の著者の昭和六十二年から平成二十二年の作品を収める。


終の会ひとなりけり先生九十五歳にこやかにして歌直されき
母逝きて解かれしごとく立つ庭に箒ぐさ赤し雨にぬれつつ
栃の葉の繁りて暗き並木路梅雨のはしりの雫をおとす
咄嵯にてわれ戸惑へり生花に哲学はあるかと外人の問ふ
ものわかり良くて寂しき老後かと本音この頃しばしば思ふ



  第十歌集『黄柑』
◇佐藤志満
◇平成二十二年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇東京都在住の著者の平成十二年から二十一年までの作品を収めた最終歌集


ながく咲くクリスマスロ―ズの花の色青くなりつつ春逝かんとす
若きとき苦しみ老いて苦しめど死は安く来よわれ九十歳
片づかぬ物押しやりしテ―ブルに一人飯食ふこの寂しさよ
朦朧と覚めゐる午前三時頃たつ幻をわれは惜しまん
季々に黄柑みのり柿みのる見るだに楽し時過ぎて行く



  第三歌集『火難』
◇石井清恵
◇平成二十二年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇千葉県在住の著者の『菩提樹』『寂静』に続く十一年間の四百九十四首を収める。


甍落ち忽ちにして燃ゆる火を空に吹きあげ寺炎上す
全焼の変りはてたるわが寺の熱き瓦礫に声のなく立つ 
寺に嫁しわが六十年苦も楽もここに始まりここに終らん
棟上げの屋根の向うに落つる日が木組を染めて朱にかがやく
見上ぐれば蝋の火ゆらめく須弥壇に聖観世音菩薩微笑み給ふ(蝋は原作では正字)



  第二歌集『遊雲』
◇船河正則
◇平成二十二年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇大分県在住の著者の平成三年から二十一年までの作品を収める。


老杉の暗き村道にひとりきてきこゆる如しちちははの声
森の上に常に見えゐる北辰の星一つ安けき眠りをたまへ
野生蜂のたくはへし蜜採りてきて生やしなはん山住みわれは
つつましきすがたと思ふ夕光に妻が峡田に落穂を拾ふ
いつきても心の憩ふわが山の静けさ遠き啄木鳥のおと



  第一歌集『歳月』
◇篠田ふみ
◇平成二十二年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇埼玉県在住の著者の昭和五十七年より平成二十年までの六六六首を収める。


世は変り敬遠されゆく業なれど土にまみれて今日も鍬持つ
わが家に残る古井戸ときをりに野菜洗へば水あたたかし
病院より帰る夕ぐれ寂しけれ降り出でし雨に街灯にじむ
吸入器つけし夫の吐く息か備へし器具の水動きゐる
病みつつも苦しき事のひと言も言はず夫は静かに逝けり



  第一歌集『防砂林』
◇金津淑子
◇平成二十二年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇石川県在住の著者の平成四年から平成二十一年までの作品を中心に収める。


惜しみ持つ鉄斎の墨老づきしわが身を思ひ今日は使はん
今年咲く水仙の花見んと来つ冬木あかるき海べの林
裏畑にあればひすがら砂防林に枯葉散る音小鳥啼く声
五たび目の雪掻をする午後八時うから三人未だ帰らず
その身体大方かくれ夫の写真かかへて孫が斎場を出づ



  第三歌集『雁追橋』
◇宮川勝子
◇平成二十二年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇東京都在住の著者の平成十三年からの作品を中心に約三百五十首を収める。


退院の夫待つ今日ス―パ―に来りて桃買ふ手にやはらかく
老われに隠しておきし癌なれど明日入院とけさは告げくる
山茶花の散り敷く道に思ひをり生き永らへて苦を負ふわれか
病める子の昼寝をしたるわがベツドその体臭の中にねむらん
高原の落葉松林の中の家娘機織る日すがらの音



  第一歌集『際海』
◇藤原保子
◇平成二十二年
◇日高プリント社
◇非売品
◇岩手県在住の著者の昭和五十四年から平成二十一年までの作品を収める。


航く船と交信をしてマイク持つ嫁の弾める声の楽しさ
浜に住み海にかかはること多し霧の中より船かへり来る
冬の潮とほく退きたる砂渚くらく光りて砂鉄がかわく
時ながく揺るる地震に騒然と漁港の船は沖に移動す
とめどなく雪みだれ降り浜小屋の軒に吊りたる魚がわびし



  第三歌集『空なほ遠く』
◇神田あき子
◇平成二十二年
◇砂子屋書房
◇三千円
◇愛知県在住の著者の平成十三年から平成二十一年の作品を収める。


春さむき寺山を訪ふ人のなく声なき紫陽花の影とわが影
岩乾き砂かわきたるなだりより上る噴煙数おびただし
降るとなくるるともなく過ぎし日の夜半に轟く遠きいかづち
やうやくに暑さゆるびしきのふけふ蜜柑は青きかがやきを増す
ふるさとに一生を終へんわが生か冬鴉けふも山に啼きゐる



  第一歌集『低丘』
◇杉本康夫
◇平成二十二年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇埼玉県在住の著者の昭和五十一年から平成十五年の作品六百二十四首を収める。


春萌えに立つ陽炎は低丘の櫟林のあたりに揺らぐ
帰り来し家に冬青もちの実いろづきて父母居ます言葉あかるく
恙なく一日は過ぎよ古里に一人くらせる父を思へば
木槲の葉のつややかにひかる午後風収まりて庭面あかるし
吾が生の糧にはあらぬ酒に酔ふこの現身を誰が悲しむ



  第一歌集『多氣』
◇伊藤典子
◇平成二十一年
◇山ざくら短歌会
◇二千五百円
◇三重県在住の著者の昭和五十年から平成二十一年までの作品四百八十八首を収める。


休耕の畑に娘と土筆摘むあふれんばかりの光を浴びて
島山のくづれし土蔵の前に咲く八つ手の花に冬日集まる
教職を引きたる後も慕はれて父八十八歳生涯を閉づ
山間の兄の勤むる小学校けふ百年の歴史閉ぢたり
障害の娘を育てて四十年この明るさに支へられ来し



  第九歌集『蔵王』
◇秋葉四郎
◇平成二十一年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇千葉県在住の著者の平成十七年から十九年までの作品を収める。


ブリガツハブレ―ゲ二つ山川のあひひここよりドナウとぞなる
募りくる吹雪のなかに辛うじて見ゆる樹氷はしろき幻
荒れもよひする夏山にまのあたり黒滝日を浴び赤滝陰る
蔵王より東佐太郎西茂吉それぞれ生地に下るこの道
木々覆ふ谷の上流日の当るところが見えて遠きわが過去



  第二歌集『船の音』

◇中村とき
◇平成二十一年
◇非売品
◇岩手県在住の著者の昭和六十年から平成二十年までの作品五百七十九首を収める。


大漁旗あまた飾りて霧晴れし湾を入り来るわが新造船は
遠洋漁業をやめて残れる大漁旗たためば匂ふ船の香のあり
増えがたき家系にありてわが家より百余年ぶり花嫁出づる
わが夫の二十七回忌に集ひくるはらから小さきと嫗なりて
船帰るたびに魚を配りつつこの海村に五十年住む



  第七歌集『冬銀河』
◇箕輪敏行
◇平成二十一年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇神奈川県在住の著者の平成十七年から二十一年までの短歌百十六首と漢詩四十一編を収める。

 
果のはてあるかと問へば冬銀河寂とし声なく澄み渡りたり
見渡せば銀河凍てつきまたたかず冬荒寥とわが命あり
天狼と名付けし南天のシリウスが爛々として今宵輝く
すばる群いまだ九個もみえてゐる麻布の空の夜の清しさ
ともどもに子供等孫と晦そば食ひて今年も早やゆかんとす



  第一歌集『砂 丘』
◇齋藤すみ子
◇平成二十一年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇茨城県在住の著者の作品五百七十四首を収める。


春嵐なぎて海鳴の遠き音ときをり聞こゆ夕暮にして
夕立ののちしろじろと茱萸の木の葉裏をかへし風通りゆく
門庭の藤の莢実の幾すぢもけだるく垂るる午後の日照りて
戦中も戦後も絵筆握りゐき画家とし生きし義兄身罷る
臨界事故の放送続き日盛の外は無人の村となりたり



  第三歌集『積年』
◇江畑耕作
◇平成二十一年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇千葉県在住の著者の昭和六十年刊行第二歌集以降の作品七百六首を収める。


聖堂の悲劇的なる明るさはステンドグラスの原色にあり
妻の死を現実として認識す眼球摘出終りたるとき
兄の墓標持ちて降りたるテニアンの島に音なく鳥に声なし
来診者ゼロが定年老体に白衣をまとふ開業医われは
転医する患者のために紹介状書き終りたり吾は瘋癲



  第二歌集『中天の月』
◇松生富喜子
◇平成二十一年
◇角川書店
◇三千円
◇東京都在住の著者の昭和四十二年から平成二十年までの作品千余首を収める。


ほしいまま生きむと幾度思ひしが病む事多くなりしわが日々
砂漠より反る光に地と空のけぢめなきまで行く手あかるし  エジプト
休診日の夫いく度も午睡する予後の命を養ふごとく
夫亡きわれをいつしか律するはこのかすかなる小詩型ひとつ
独裁者をたちまちにして葬りし民称ふるべきか懼るるべきか



  第一歌集『笹百合の花』
◇多田隈松枝
◇平成二十一年
◇短歌新聞社
◇二千五百円
◇埼玉県在住の著者の平成九年から平成二十年までの作品四百三十二首


亡き妹の遺しし種を蒔きてをりとめどなく涙土に垂りつつ
新葦のそよぎやはらかき岸べよりさえざえ透る葦切りの声
漠然と不安のきざす時のありひたぶるの雨夜すがらに降る
子を思ひ沈みてをれば雨の音きこえあぢさゐの色深まりぬ
夕映の如く老いても輝きたし揺るるコスモスに懺の心湧く



  第一歌集『土の香』
◇斎藤ケイ子
◇平成二十一年
◇短歌新聞社
◇二五〇〇円
◇福島県在住の著者の昭和六十一年から平成十九年までの作品四四八首を収める。


唐突に野鳩の鳴きて作業する納屋明るみぬ雨晴るるらし
雪消えし庭に落葉を片寄せて草引くめぐり土の香強し
離農の時期問ひかけながらわが爪の汚れを磨きてくるる娘は
刈り取りしアスパラガスを燃やしをり青き匂は咽喉痛きまで
一枚が四〇ア―ルの広田にて追肥するわれよろめきながら



  第一歌集「半生」 
◇鹿島典子
◇平成二十一年
◇短歌新聞社
◇二五〇〇円
◇千葉県在住の著者の昭和六十三年から平成十九年までの作品五八〇首を収める。


父母が代る代るに硯もて墨すりくれき日々のまぼろし
画仙紙の反古を積みつつ作品を創る午前二時静寂みつる
次男三男やうやく卒業の時となりわれに一つの時代過ぎたり
砂の在庫わづかとなれば資材置場の底に日が差す四十年ぶりに
遺跡より遺跡をめぐる道の辺に村あり砂糖椰子煮るにほひ