歌集『新世紀』所感 香川哲三
波克彦氏の第二歌集『新世紀』には、二〇〇一年(五十七歳)から二〇一三年(六十九歳)までの六三四首が収められている。工学博士たる氏は、国際人として多忙な日々を送ってきたのであるが、本書から見て取れるのは、そうした氏の、作歌に対する強い覚悟である。
雲海の下に雲海その下にさらに雲海パリ近き空
イグアスの大河突然に水面消え白き断層の大滝となる
特殊な光景を捉えた一首目、瀑布の凄まじさを髣髴させる二首目、どれも氏だからこそ初めて表現し得たであろう中身があり、声調も堂々としている。
緯度高きサンクトペテルブルグにて午後十一時日が沈みゆく
横ざまに夕日の差せばうす赤き色なしマツターホルンそばだつ
こうした作品を読めば、作者の目に映った光茫やその場の気配さえ感じさせる豊かな表象が広がってくるだろう。
会合のいとま高窓に迫り見えジユラ山脈の雪の輝く
アフガンの街には春の遠からん爆撃に崩れ
海外詠が枢要を占める本書には、他にも秀歌が多い。会合の合間の小憩を詠じた作、或いはまた国際情勢と向き合ったものなど、どれにも作者の影が添うており、純度の高い詩性がある。
日曜の午後晴れしかど執務室にひとり働けば外音寂し
六十歳半ば越えしに勤めゐるわが運命をかつて思はず
国内で成された作品の中から、執務、或いはそれに附帯する感慨が詠じられたものを引いたが、それらは総じて内省的であり、作者の境涯が色濃く滲む。
国東塔といふ石塔の畔に立つ田染の荘に野分吹くらし
街川の柳並木のまだ青く揺れて清しき城崎に来つ
これらは国内旅行で成されたものだが、何れも言葉の隅々にまで神経が通っており、そこから紡ぎだされる静謐な景が、言い難い余韻を曳いている。
ひと月後に帰国し再び会ふことを言ひて別れき最期の言葉
母の勧めに依りて始めしわが作歌今にし続く宝のごとし
集中にあって挽歌「母」三十首は取分けて印象深いものだった。「独りにて泊る生家に夜を通し春の嵐の吹く音聞こゆ」などと共に味読して、私は黙考した。思えば氏は、繁忙な人生の只中にあって、人が生きてゆくということの意味と作歌の意義を、純粋短歌の実践を通して夙に自得していたのだろう。そうした信念が核を成す充実の一巻である。