新刊歌集  平成13年(9月)〜20年【作品】 【歌集一覧】 平成21〜現在【作品】 【歌集一覧】





けがれなく美しい命の讃歌― 渡辺謙歌集『プリムラの花』
               
仲田 紘基


 人は百歳まで生きると、こんなにもいつくしみに満ちた歌集を世に残すことができるものだろうか。短歌という純粋抒情詩には、こんなにもその作者と詠まれた対象を輝かせる力があるものだろうか。「歩道」の大先輩渡辺謙さんの第三歌集『プリムラの花』は、そんな思いをいだかせる歌集である。
  世にかくも寂しき言葉ありやなし老老介護病病看護
 この歌集の作品世界を象徴するような一首。平成十三年から三十年までの歌が一冊に集約されている。「あとがき」によれば、「その期間は妻鷹子が脳梗塞に倒れ、十五年間の療養生活を送った時とも重なり、私の人生にとって一番悲しく且つ思い出がぎっしりと詰まった時代でもある」という。
 渡辺さんは昭和二十三年に初めて佐藤佐太郎にまみえた。作歌のスタートが佐太郎の歌論「純粋短歌」の形成期であったこともあり、佐太郎短歌に学びながら培われた渡辺さんの作歌の力量は、この『プリムラの花』にいかんなく発揮されている。
 渡辺さんの作歌の、いや人生そのものの集大成とも言えるこの歌集には、百年の人生を顧みた秀歌が収められている。
  敗戦を認めぬ若き下士官が共に戦へとわれらに強ひき
  兵として傷つきたりし腰骨が七十年経て折々痛む
 初年兵としての苦しい体験を詠んだ歌からは、大正時代に生まれ戦争の時代をくぐり抜けてきた渡辺さんの長い人生の感慨が、平和への強い願いとして迫ってくる。
  電話機に鋭く刺さるガラス片おもひ出づれば胸滾りくる
 これは、昭和四十九年の三菱重工爆破事件を詠んだもの。東京の丸の内で発生した爆弾テロ事件である。渡辺さんは京都帝国大学(今の京都大学)卒業と同時に、昭和十八年に三菱重工業に入社した。「胸滾りくる」という被害当事者としての苦しくつらい思いは察するに余りある。
 私生活においても、肉親との別れを詠んだものなど、胸を打たれる歌が多い。
  病む姉の痩せたる腕に手をふれてあるか無きかの脈を悲しむ
  衰へて互みに訪ね合ふこともなきまま兄を逝かしめにけり
  われの死もかくやあらんか弟の棺の窓に顔寄せて見る
 渡辺さんが奥さんを詠んだ歌として最初に出てくるのは平成十三年の次の一首である。
  幾度(いくたび)もわれ立ちどまり待つまでに妻の歩みの遅くなりたり
 それでもこのころは介護の必要もないほどに元気だったようだ。翌年あたりから病状が次第に明らかになってくる。
  わが涙こらへかねつも病む妻が自ら立ちて歩みはじめき
  妻の脳の萎縮するさま映像に見つつ湧きくるこの寂しさや
 一方、平成十九年には自身を詠んだ次のような一首もある。
  身の一部躊躇(ためらひ)もなく入れ替へて命永らふるわれにもあるか
 その後は、「病病看護」とも言えるような歌が続く。
  予後の妻励ましながらこの吾も生かされ(きた)る思ひこそすれ
  妻癒えてその身に飾る日のありや首飾密かに買ひてみしかど
  病む妻の帰宅近きを願ひつつプリムラの花庭に植ゑゐつ
 歌集名ともなったプリムラの花。奥さんにはその花のような「純粋性が付き纏っていた」と渡辺さんは述懐する。プリムラには花言葉がいろいろあり、日本では「青春のはじまりと悲しみ」、西洋では「あなたなしでは生きられない」など。そう、『プリムラの花』は稀有の夫婦愛の歌集でもある。
 訃報が届いたのは、プリムラを庭に植えて間もなくだった。
  駆けつけて手をし触るれば亡骸はいまだ温かし生ける如くに




渡辺謙歌集『プリムラの花』を読んで
         田丸 英敏



 本年二月二日に満百歳を迎えた渡辺謙さんが歌集『プリムラの花』を上梓された。「わが夏の旅」につづく第三歌集である。昭和二十三年に佐藤佐太郎先生に目見え、その後入会されているので、七十年の歌歴をもつ「歩道」の大先輩である。現在も休むことなく出詠されている。
 私が渡辺さんと初めてお会したのは、十五年ほど前の歩道横浜歌会だった。白髪の柔和な目差し、ダンディーと言う言葉に相応しい、同性から見ても魅力的な人だった。歌評も的確で、厳しくはあったが言葉は穏やかで常に作者を育てようとする愛に満ちていた。『プリムラの花』は奥様を象徴する花であり、奥様を悼む歌集である。
 作品は平成十三年から始まる。
  一条揚羽蝶(ひとすぢあげは)いくつともなく現れて雨の上がりし土舐め始む
  踏む落葉いさぎよきまで音のして櫟林は冬日に乾く
  遠くにて眠気を誘ふごとく鳴く山鳩きこゆ昼()けしころ
 横浜のまだ自然の残る処にお住いなので、昆虫や鳥、植物等を自在に詠まれている。作品から小さい者、弱い者にも目を配る優しさがある。
  幾度(いくたび)もわれ立ちどまり待つまでに妻の歩みの遅くなりたり
  夜更けて雨ふりくれば入院の妻も目覚めて聞きゐるらんか
  妻病めばわれの病むべきいとま無し夕餉の支度なしつつ思ふ
 奥様が病み、老々介護の生活となるが、どの作品からも奥様への思いが伝わってくる。
  初めてのパソコン家に届きしが習得しうる余日のありや
  パソコンの故障によりて貯へし命のごとき百首還らず
 八十歳を過ぎてからパソコンを購入し、教室に通い習得されたようだ。歌集を出版すべく、自作の歌を少しずつパソコンに打ち込んでいかれたようだ。「命のごとき百首還らず」は痛恨の極みが窺える。歌集には約七百首収めてあるので、どれ程の数の歌をパソコンに打ち込まれたことだろう。頭が下がる思いだ。
  わが老いて健やかなるは早世の母が賜ひしいのちと思ふ
  亡き母が幼きわれに遺したる一葉全集時にひもとく
  亡き母の生れは肥前伊万里にて遺品の古磁器いろ衰へず
 作者は入学直前に母を亡くした。集中このような母親を偲ぶ作品がある。
  唯あれをあれしてくれと言ふのみに理解し合へり妻とわれとは
  妻癒えてその身に飾る日のありや首飾密かに買ひてみしかど
 奥様の病が再発し、施設に入居される。年輪を重ねた夫婦の様子が思い浮かぶ。
  この夜明け外に風ふく音きこゆ亡き妻われを呼ぶにかあらん
 この歌集の基底には愛があると思う。夫婦にとって配偶者に先立たれることは絶えられない思いだが、『プリムラの花』を読み終えて作者と奥様との絆の深さがしみじみと伝わってくる。奥様も幸せだったのではないだろうか。高齢社会の現在、誰もが辿る道だけにこの歌集は多くの人に感銘を与えるだろう。渡辺謙さんの今後の健詠を祈念する。