刊歌集  平成13年(9月)〜20年【作品】 【歌集一覧】 平成21〜現在【作品】 【歌集一覧】



  還暦から力作 ―歌集『山村』―     古賀 雅


 歌集『山村』は、長野県塩原啓介氏の平成七年より平成二十六年までの作品、六百余首を収めた第一歌集である。
 「あとがき」によると、短歌を作り始めたのは還暦を過ぎてからとある。作歌当初より確かな表現の歌を作っておられるのは、作者の御努力と地域の方々の御助力もあるのだろう。最初のころ志満先生の御指導も受けられており、佐藤佐太郎先生の歌を初めから学んでこられたことが、作品の良さにつながっているのだろう。
  プレス打ち三十五年経たる手を沁々と見つこはばりくれば
  長かりし三十五年プレス業妻と励めば幸せなりき
 作歌を始める前は、厳しい仕事を続けてこられた作者で、その体験が後の作品にも多く詠われている。
  引き揚げて上陸せし地の記念碑を妻のなでつつ無言にて立つ
  病む妻の遅き歩みに合はせつつ手を引きてゆく寒き雪道
  手がふるへ爪を切り得ずいらだちて涙を流す妻の爪切る
  庭に咲くカサブランカの一輪を静かに添へて永久に別るる
 作者が最も多く詠われている題材は、妻・父母・伯母・兄・子・孫などの家族である。そして、中でも最も多いのが妻の歌で五十余首あり、前掲の短歌四首も「妻」の歌を挙げている。亡くなられるまで奥様を介護された作品が多く、みな切実である。
  大輪のひまはりの花重ければ秋の日差にゆるく揺れをり
  静かなる聴衆は今息をのみ小沢征爾の夕クトのうごく
  ミレニアムの第一日の日の出見ん犬吠の暗き渚とどろく
  薄墨の色淡く咲く桜の木あはれ生きつぐ千五百年
 「ひまはり」「小沢征爾」「ミレニアム」「薄墨桜」それぞれに素材の把え方が特異で、難しい素材を印象深く確かな表現で浮かび上がらせている。
  雲重き摩文仁の丘に花捧ぐむなしき戦に逝きたる人に
  一瞬も動きを止めず移り行きなまめかしくも光るオーロラ
  靄こむるナイルの川の帆掛舟椰子の実積みて緩やかに行く
 旅の歌も多いが、場所により視点を定めて土地の特徴を自らの目で捉え表現している。
 歌集にはたくさんの地名が出てくる。次の地名は「山村」にある一部だが、みな床しいひびきがあり歌の味わいになっている。「山村」はこのような山野に囲まれた地である。
 伊那の大鹿の丘・戸隠連山・信濃路・安曇野・鉢伏山・妙義山・御坂峠・権兵衛峠・房総・野麦峠・成田山・八ヶ岳・弥彦山塊・美ヶ原・嵯峨野・常念岳・天城の山・天竜倶利迦羅谷……
 塩原氏は「歩道」入会から二十年、米寿を迎えられたと書かれている。この豊かな山村で、村への建立に努力された佐藤佐太郎先生の歌碑(「白梅にまじる紅梅遠くにてさだかならざる色の楽しさ」)を見守り、これからも更に力作を発表し続けてほしい。