日常への眼差 ―歌集『八丁堀』について― 中村 達
比嘉清氏の作品に注目したのは、歩道賞を受賞した作品であった。日常生活を丁寧に捉え、単純化して率直な言葉で表現した作品に共感を持ったのである。歌集『八丁堀』は、歩道賞の作品が敷衍された歌であった。
後記によると、平成五年歩道入会後、平成九年まで作品を出していたが、それ以降、平成十九年まで中断していたとある。
炊事する支度か艫に煙立ち砂利採る舟が川ひかれゆく
近づけば音なく開く自動ドア物憂く職場のビルに入りゆく
冷蔵庫の響のやみしひとときがありて家内につのる静けさ
平成十九年までの歌であるが、後年の見方、表現の方法の特徴が、既に現れている。
また後記には、平成十九年から本格的に作歌を再開するとあり、作歌指針は「純粋短歌」に依ったとある。この姿勢は、歌集一冊を通して感じられる態度である。
街なかに歩み遅るる妻を待ついつしか歩調のあはずなりゐて
ベランダの花壇にくまなく水を撒き妻の出でゆく入院の朝
あるがまま増えたる妻の白き髪エスカレーター下りつつ見る
妻に対する細やかな心遣いが感じられると共に、表現が丁寧で確かである。主観的表現を抑えた歌が、作者の思いを深くしている。
復帰後を知らず逝きたるわが母よこの海一目見たかりにけん
海光のおよぶこの丘いつの日か父母の遺骨をわれは還さん
戦争の記憶の中に咲くといふ月桃白き花房の垂る
亡き母の故郷沖縄の土を踏み、感慨を新たにした歌である。自らのルーツを求める旅でもあった。沖縄は作者の原点である。
追ふごとく追はるる如く勤めしがいま老いづきてゆく日々早し
八丁堀の職場に近き大川のほとり歩けば潮の香のたつ
古稀過ぎし心はげましゆく職場都市の柳の小さく芽ぶく
停年後、そして再就職後の微妙な心動きを生活の中で上手く掬い取っている。表現も順直であり、言葉の語感が良い。そのため調べに味わいがある。
薄明のかなかなの声余震にて家具の嗚る音夢のごとしも
線量のゆゑに穫らざる筍の伸びたる今年の春を寂しむ
風評の未だ残るか放射能検査の済みし新茶のとどく
未曾有な原発の事故を冷静に見つめ、事実の重さとして捉えている。その事実の奥にある自然の本質に心寄せて、歌にしている。
ひと夏の風を透ししカーテンの薄き汚れを今年また見つ
落葉する銀杏並木の清しさは梢の浴ぶる朝の日にあり
金環蝕終へたる日輪おもむろに陰影のなき復円となる
帰らざる白鳥見つつ手賀沼の街に暮らして十年の経つ
この作者の特徴は、これら日常詠に現れている。日常身辺に心を配り、対象に対する態度が真剣である。表現は平明な中に心の動きがあり、言葉の選択に無理がない。今後、歌に作者の影がどの様に差すかを見たい。

