独りを満たす
― 歌集『北斗星』を読む ― 神田あき子
歌集『北斗星』は渡邊久江さんの第二歌集である。第一歌集『春疾風』発刊後九年間の作品がまとめられている。夫を亡くし独りの暮しとなった作者は、まもなく喜寿を迎えるという。自らを、また身辺を深く見つめようとする意欲の伝わってくる歌集である。
人一人をらずなりたる寂しさは
荒畑に似る
戸を開ければ押し入るごとき日の光木犀のつ
よき匂伴ふ
共に生きる時の長さにて幸不幸計れるか思へ
どひとりはひとり
一首目の荒畑の風景は、作者の心の内の寂寥の深さを表わしている。「戸を開ければ」は、雨戸であろう戸を開けた時不意に入ってきた日の光と木犀の香である。いずれも強い力を伴って作者に迫ってきたのだ。
独りであることの寂しさから逃れることはできないが、その寂しさが作者の感性を研ぎ澄ませ、ものを見るにあたって深さをもたらしてくれるのではないだろうか。作者の心の内を想像しながら読んでゆく。
幹寒くあらはに続く梨の畑人一入ゐて剪定を
する
あたたかく目覚めし窓に春耕の野をうるほし
て朝靄うごく
曇るゆゑ姿の見ゆる雲雀にて羽ばたきひたす
ら声のひたすら
しんしんと下肢痛む夜の独り居に遮るものの
なき雨の音
雑草の中に生ひたる菊あまた雑草枯るるころ
に花咲く
冬の梨畑で黙々と剪定作業をする人の姿が作者の心を捉えたのだ。丁寧に描写されている。春耕の野にうごく朝靄、姿を見せてはばたき、声をあげる雲雀、音をたてて降る夜の雨、雑草の枯れ伏す中に咲く菊の花など、生あるものの姿が、いきいきと作者の前に現れる。どれも、見ようとする強い意志が働いている。その対象の一つ一つに対うたびに作者は力を得たのではないだろうか。生を写すことで得るものがある。
やがて独りの暮しにも少しずつ落ち着きを得た頃か、歌は緩やかな声調を伴う。
猛暑やまぬ九月五日の裏庭に北限越えし熊蟬
の声
窓深く入りくる朝日に茄で上げしブロツコリ
ーは湯気まで青し
自らの生をいとおしむように、身辺に向ける眼差しは喜びをともなう。
庭の木の芽摘みて佃煮つくりたりそれのみに
こころ足らふ一日か
雷晴れしきよき夕空つかの間の二日月あり木
の間がくれに
この目にはあといくたびの桜かと見上ぐる花
のその上も花
花終えし村の静けさ湧くごとく欅の梢萌えた
ちにけり
作者は「源氏物語」「万葉集」など古典の勉強を、仲間とともに長く続けてきたという。「歩道」入会から三十三年。その間欠詠は一度もないというのも覚悟のほどがうかがわれる。集中には、コンサートに出掛けて音楽を楽しむ作品もあり、知性の裾野の広さを感じる。一集を通して、ゆったりと独りを満たす時間が流れている。
流動食解かれし雨の朝にて蒼天はわが裡にあ
りたり
これからの作者の意欲を感じさせる一首である。