刊歌集  平成13年(9月)〜20年【作品】 【歌集一覧】 平成21〜現在【作品】 【歌集一覧】







  歌集『雪原』と鎌田和子の世界   香川哲三


 平成九年から十八年までの作品五三五首を収めた鎌田和子さんの第二歌集『雪原』がこの度発行された。第一歌集『氷湖』に続き本集においても、生まれ育った北海道の自然を見つめた作が随所に見られ、一巻を際立って特色のあるものとしている。歌集冒頭部から早々次のような胸の透く歌が展開されている。
  地吹雪の絶ゆるときのま凍道にさながら
  匂ふ夕べの茜
  月光を反して水の流れあり凍れる川のと
  ころどころに
 これらには、後記に「大雪山の麓で生まれ育った私には、雪や氷の無い冬など寂しくて考えられない」という言葉を自ずから想起させるものがある。作者は北海道の風雪とともに人生の一齣一齣を刻んで来ており、雪や氷の織り成す世界に限りない親しみを抱いているから、こうした作品の内に、清く爽やかな感動が息づくのであるだろう。
  つづく田はいま一面の雪の原風にたやす
  く地吹雪のたつ
  凍裂の痕をとどめし椴松の幹の明るさ雪
  野につづく
  朝降りし雪に新しく散る落葉ななかまど
  の朱公孫樹の黄色
厳しい冬景色を詠じても、また落葉の季節を詠じても、作者が捉える風景には香気ただようような清しさがある。その源は恐らく、大雪山の麓に育った遠い日の記憶に淵源するだろうと私は直感している。風雪にこめられた清明な世界は、例えば街区における次のような一首にも深く浸透している。
  ビルの上の雪風に飛び寒の夜の高空の月
  しばしばかすむ
 雪、氷、風、光といった自然の諸相、そこに宿る凛とした詩情は、北海道に生きる動物達に対しても、かたちを変えながら鮮やかな写象を結んでゆく。
  散りぼへる鹿の骨いくつ手にとれば木の
  皮を()ぐ下顎重し
  相むかひ羽搏きかはす丹頂の脚の力ぞ雪
  を蹴散らす
掲載歌には、作者の感慨が結句を中心に思いの丈込められているが、特に二首目など、対象を言い切ったという爽快感さえ伝わってくる。厳しい自然界に生きるもの達を見つめた作品の魅力、その根底には、彼らの逞しい生命力が強く捉えられていることがある。そしてそれらは紛れも無く、母なる大地北海道の自然が生み出したものであり、その中心に作者の生活史がある。
  ねぐらする沼面に五万羽の真雁なべて入
  日の方に対きゐる
 宮島沼における作である。視界の広さ、把握の大きさ、確かな描写力など何れも見事なものだが、この作品の真の味わいもまた、真雁たちの命の営みが、一首にしっかり投影されているところにある。次に一転し、作者自身を詠じた作に目を移してみよう。
  立ち直る気力三日程なかりしが過ぐれば
  どうといふ事もなし
  みづからの落度なるゆゑこの幾日うちひ
  しがれて家に籠りつ
  体内の器官の一つ意識より常に離れず斯
  くして老ゆる
 掲載歌三首は、それぞれに落胆、失敗、体調など、作者の内に湧く感情を、あるがままに受け入れながら成されている。北海道の大自然に対しては、多く解放感に浸るような作品を成す作者であるが、日々の暮しに随伴する感慨は、幾ばくかの陰影を伴っている。対照的とも言えるこうした二つの世界は、直接端的な表現、率直な詠嘆によって強く結ばれており、本歌集の詠風を味わい深いものとしている。続いて、家族にまつわる作の中から、最初に孫達を詠じたものを引く。
  孫達が帰りて玩具の散りぼへる部屋はし
  ばらく虚しさに充つ
  乳足らひてふくよかなれるみどり児の甲
  まるき足や仏像の足
  保育所に迎へしみどり児橇に乗せ夕べ圧
  雪の道を帰り来
 一首目には祖母らしい思いがしみじみと詠じられている。それが二首目、三首目になると、俄然鎌田さん独自の世界となる。二首目の結句など、言われてみれば確かにそうだと思わせる心地よい飛躍があるし、三首目には札幌ならではの実態があり着眼がある。
  勤め来し三十九年を悼むごと夫の給与明
  細書見つ
  脚きたへ長生きをして何せんと外より帰
  りし夫つぶやく
  七十五歳になんなんとしてわが夫一内科
  医とし励むもよきか
 本歌集には勤務医だったご主人に纏わる作品が、過ぎ行く年月を縫うように続いている。退職、やがて再勤務と移り変わる生活の折々を、適度の距離を保ちながら夫を見つめ詠じた作には、作者の静かな感慨が漂っている。
  舅姑の法要を終へこの世の責一つ果たし
  て心の軽し
  娘ゆゑこころ通ふと思ひゐしは愚か愚か
  わが錯誤なるべし
  いま少し言葉やさしく言へざるかあはれ
  娘はわれに似るとぞ
  みたりの兄亡くなりし故わが修さん父の
  五十回忌母の二十三回忌
  妹の逝きしを知れどすべのなく空港ラウ
  ンジに鯖鮨を食ふ
 作者の親族にかかわる作を五首挙げた。ここでは様々な内容が詠じられているが、その基底には、鎌田さんの誠実な生き方があることを見逃してはならないだろう。対象を客観する写生の力を備えた作者ならではの描写が、その時々の事情や状況を反映しつつ人の世の味わいを伝えている。
  死にしあはれ生きて処分をさるるあはれ
  インフルエンザの大量の(とり)
  ロシア極東森林火災の煙霧とぞ昨日も今
  日も手稲山おぼろ
かつては思いもしなかった事が、しばしば起きているのが今の世の姿である。作者は北海道にあって鳥インフルエンザ、ロシア極東森林火災などの忘れ得ない出来事を、自らの体験の声として、堂々と作品化している。
 最後に、国内・国外旅行に際して成された作品の中から印象深いもの数首を挙げる。一首目・二首目はヨーロッパ旅行、三首目は神島を訪ねた際のものである。
  牛の血を混ぜ塗りしとふ教会の塔空にた
  つ錆びし朱の色
  石ひとつ立つのみにして三国を境するこ
  の単純はよし
  伊良湖水道のぞみて立てる島山にあまた
  も咲けり水引の朱
 歌集『雪原』は、北海道を舞台にした爽然たる歌集である。その輝きは、作者の大自然に向かう心の清しさに源を発している。厳しい自然を思い切り受け止めた作品群は個性と普遍を兼ね備えつつ、様々な生活の断面を詠じたそれらとともに、一人の生を投影した重厚な一巻を成している。