刊歌集  平成13年(9月)〜20年【作品】 【歌集一覧】 平成21〜現在【作品】 【歌集一覧】




  歌集『奉遷』を支える人間性    仲田 紘基


 歌集の読み味わい方は人により様々だろうが、その一冊に著者のどんな生き方が垣間見られるか、それを読み解くのが私には楽しみの一つである。歌は境涯の反映という佐太郎の言葉を待つまでもなく、一首一首の作品の集積にはおのずから著者の人間性や人生の生き方が滲み出てくるものだからだ。
  職にありて親しみ執りし一位笏出でて拭きゐるいまだ尊く
 例えばこういう歌から、神官として職を全うし、真摯にその後の人生を歩む『奉遷』の著者松本一郎さんの姿が目に浮かぶ。私は松本さんとは面識がなく、「歩道」の古い会員の一人ということくらいしか存じ上げないのだが、この第三歌集『奉遷』の世界を象徴する次のような一首に出会うと、思わず作者の前でわが身を引き締めないではいられない。
  奉遷に二度かかはりて今宵しも奉拝者三千のひとりとなりつ
 伊勢神宮は二十年ごとに社殿を造り替え、ご神体を移す奉遷の儀式が行われる。神職にあって松本さんは二度も式年遷宮に奉仕し、職を退いた今、今度は多くの奉参者の一人として祭儀に加わるのだ。この一連は歌集『奉遷』のハイライトであり、松本さんだからこそ詠える格調の高い作品が続く。
  秋の夜の杉の木立にしみわたる開扉の音ぞ身の引き緊る
  太古のまま禰宜ら仕へて森厳に大きみ魂のうつつに移る
 このように見てくると、なにか近寄りがたい厳粛さが作者の周囲には漂うようだ。しかし、この歌集に収められた作品全体からうかがえる松本さんの日常は、実は私たちの身近にいる仲間たちと少しも変わらないことに気づかされ、ほっとさせられたりもする。
  おのづから妻と笑ひぬ起きがけのわれの欠伸が猫に移りて
  庭畑に長く待たれしさみだれの夜すがら降りて暑気のしづまる
 昭和四十八年の遷宮の際には臨時出仕の佐太郎に直接応対もされたという。佐太郎の歌に魅了され「歩道」に入会して以来半世紀にも及ぼうとする松本さんの精進の成果は、特に退職後に、意欲的に素材を求めた海外旅行詠などによく表れている。
  右と左に仕分けをされて幼らのこの門のうち命断たれき
                  (アウシユビツツ)
  ブレツド島に舟近づけば島のなだり白鳥の巣に卵の白し
 また、クラシック音楽の愛好家であるということも、松本さんの豊かな人間性を浮き彫りにする。
  交響曲「田園」聴きつつ眠りゐて響きのやみしときに目覚めつ
  シユーベルトのピアノ五重奏曲ひびかせて大晦日われは無のなかにゐつ
 『奉遷』という歌集名から連想される作品群とは異質の側面が、これらの歌には見られるだろう。松本さんの生き方の幅の広さ、親しみ深い人間性の豊かさ。それこそが、数ある歩道叢書の中で稀有な個性を輝かせる歌集『奉遷』の世界を培ったなによりの基盤であったのだと思う。