中村達歌集「測深鉛」 樫井礼子
中村達氏の第三歌集「測深鉛」は平成十七年から二十五年までの作品を収め、みずみずしい感性と個性に富んだ歌集である。
「測深鉛」という題名は、平成二十五年作「停年の後の虚しさあるときは測深鉛を心に垂らす」より来ている。「底知れぬ不安を感じ自らの心を読み取ろうとした」とあとがきで述べているように、生業から停年後にわたる心の流れを掬い取るような作品群は。作者の境涯を重く確かに表現している。その「境涯の影」を重要な視点としていることが一冊の中に鮮明に現れている。
佐太郎の「純粋短歌」をひたすら追求する態度は、まず自然を歌った作品群にその成果を見ることができる。
電柱が鋭く立つと見ゆるまで今朝ゆく路の寒
くなりたり
皆既蝕のほの赤き月あふぐとき飛行機の音遠
く聞こゆる
晴天の街あゆみつついくばくか雲いでてわが
愁を救ふ
中村氏の作品の特徴として「ごとし」の多用がある。これは作者の想いの深さと、闊達な発想とともに旺盛な作歌意欲の現れであり、単なる直喩を超えた精神世界をも思わせる。
月光の余剰が闇に散るごとく桜の花片わが肩
に落つ
春疾風いまだ止まざる夕道に現身われの浄ま
るごとし
晴天のゆるぎなき空ほぐすごと森より一羽白
鷺がとぶ
個性的な観点の光る作品が多く、独自の鋭い感性によって把握する力量が感じられる。
音ひびき電車近づく地下鉄に密度ある風さき
がけて来る
電車より降りたる入らそれぞれの時を負ひつ
つ階に消えゆく
圧巻は貯木場の倉庫に勤めた際の作品群である。詩人の目にて豊かな憂愁をとらえた一聯はごとごとく胸に響く。
貯木場を長き筏が引かれゆく引かるるものの
安けさにして
引舟に波のさわだつ貯木場水しづまれば光し
づまる
安息をいま得るごとく原木が貯木場に入る水
を押しつつ
原木の間にかすかな流れあり夕べ貯木場潮の
引くらし
人の持つ利己性や驕りを突く視点から、国の内外を問わず鋭い批評精神のもとに一貫した展開を示しているのも特徴である。
遺憾とふ謝罪の言葉わがうとむ特に権力のあ
る人の声
ホロコースト受けし民族がたはやすく防衛と
いふ虐殺をせり
ほしいまま自己責任を言ひし人震災ののちそ
の声聞かず
捉えた矚目を独自の感覚で引きつけ、自らの影と直結させる方法も中村氏ならではの表現世界であろう。
冬空にクレーン鋭く突き刺さる六十年のわが
いのちはや
透明の光となりし夕暮に街ゆくわれの躰がか
るし
率直な吐露と感覚的な抒情の世界から、指針としている佐太郎の「作歌真」に導かれ自分の立ち位置を意識しつつ、個性豊かに歌おうとしている姿勢がこの一巻に充ちている。