歌集『塩田抄』について 古賀雅
『塩田抄』は、愛知県蒲郡市三浦てるよ氏の、昭和四十一年より平成二十四年までの作品四百八十六首を収めた第一歌集である。
歌集名については、「あとがき」に、集中の「塩津村の塩田あとは堤防も舗装路となり家建ちならぶ」の歌により、「かつての塩田が忘れ難く付けました。」とある。
「あとがき」に「勤めの歌」「自然の歌」「母の歌」「旅の歌」などが多いと書かれているので、この四項に添って三首ずつ作品をあげ寸感を述べたい。
指先の重くなるまで札かぞふ千二百人余の賃
金のため
二億円の札かぞへつつ賃金の紙幣の臭ひに酔
ふ如く居り
をさなごの冷たき指はやはらかく朝の保育室
に爪を切りをり
お仕事は、村役場から合併後の市役所職員として長く勤務された。一・二首には事務関係の特異な仕事の様が、三首目には母子寮での勤務の様が、ありありと実感をもち捉えられている。
船足おそし
目移れる
弘法山に日の出を告ぐる鐘の音膨るるごとく
海渡りくる
「自然の歌」は、山や島や海の風土にも特性があり、特に海の歌が生動している。歌集前半の歌は「海」の字がなくても、背景に身近かに海を感じるように思って読んだ。集中には固有名詞が多く使われていて、どの歌にも絶妙な効果を生んでいる。
九十の歳まで農に励みたる母は痩せたり骨も
痩せたり
幼児の如き老母と話しゐるわれの涙も声も届
かぬ
新しき櫛にて母の
れに
「最愛の母」の歌は六十首あまりあり、母上ヘの情愛がどの歌にも満ちている。常に心の支えとし、またお世話されてきた母として、亡くなられるまでの歌は痛切で心情のこもる作品群である。
根尾谷の淡墨桜満開の時に来りて花いつくし
む
荒涼としたる砂漠の朝の空色美しき虹かかり
ゐる
雲の間を洩るる光は先生のみ墓辺に照る朝の
ひととき
退職後「旅の歌」が多くなっている。那智・萩寺・アメリカ・砂漠・京都・蛇崩・蔵王等等。最後は尊敬する佐太郎先生墓参の歌で歌集を締め括っている。「旅の歌」には共通して安らぎの気息がある。
この歌集には「花」の歌が五十首あまり、木など植物の歌が七十首あまりある。花も河骨・藪椿・浜碗豆・野牡丹・浜大根・杏子・山薊・鳥兜など珍しいものが多い。このような花や植物(動物も)が、作者の自然や生活の状態と相挨って、情緒豊かな美しい歌集の雰囲気を作っているように思う。
作者は「歩道」で長く学び、「昭和九年生まれ歌人の会」でも勉強され、意欲十分である。これからの更なる御活躍をお祈りします。