命を見つめる二つの歌集 仲田紘基
何十年も前のことだが、私が「歩道」に入会したばかりの頃、ある大先輩がつぶやくように言ったひと言が忘れられない。歌集がいろいろな方から送られてくる。もらうのだから文句は言えないが、なかには送られてかえって迷惑するような歌集もある、というのである。つまらない作品を、貴重な時間をさいてまで読まされるのは迷惑だ。その人はそう言いたかったのかもしれない。
それがよく知る人の歌集ならば、どんな中身だろうが、巧拙を越えて親しみの心で読むこともできる。しかし、次々に出版される歌集の中には「つまらない」と思わせられるものも確かにあるだろう。それはたいがい、感動とは無縁のところから無理やりひねり出されたような作品だ。強く心を揺さぶられ、思いを表現せずにいられない、歌に詠まずにいられないという境地から生まれたものなら必ずや読者の胸にも響くはずである。
このたび石井伊三郎さんの「送り火」と青木嘉子さんの「夢の跡」が、「歩道叢書」として相次いで刊行された。いずれも生きるということの厳しさに直面した作者の切実な声がこめられている。だれの心をもとらえて離さない、命を見つめる鎮魂の歌集である。
亡夫に捧げる青木嘉子歌集『夢の跡』
平成十五年から二十四年までの十年間の作品をまとめた青木嘉子さんの第二歌集。「あとがき」によれば、歌集名は平成二十三年の次の一首からとったという。
切れぎれに顕ちくる夫との来し方は長く
短く夢の如しも
今は亡きご主人との過ぎ去った日々を顧みての感慨である。離れ住むお子さんやお孫さんとの日常を添景としながら、この一冊の歌集を貫くものは、病むご主人の看病と死別、そして鎮魂という、作歌に支えられて過ごした歳月の深い悲しみである。その推移は目次の一部を見ただけでも容易に推測できる。平成十六年の「夫の入院」、十七年の「救急センター」、二十年の「夫の闘病」、そして二十二年の「眠る夫」「夫逝く」と続く。
体調の整はぬ夫を案じつつ八月末の暦を
めくる
わだかまる心解けゆくひとときか熱き紅
茶を夫と飲みゐて
平成十五、十六年の歌である。すでにご主人の健康状態は必ずしもはかばかしくない。しかし、ここでの作者は感情を比較的抑制して作品をまとめており、ご主人と二人での生活を楽しんでいるかのようにも見える。
牡丹散りばら咲く季節となりしかど夫の
病癒えぬ寂しさ
夫病めば他を思ひやるいとまなく医療誌
求めひたすらに読む
明日よりふたたび病と闘ひて入院をする
支度悲しも
これらは平成十八年から二十一年にかけての作。ご主人の病状を気遣う心のゆらぎがどの歌からもよく伝わってくる。
帰り際死を口にせし夫の目いたく寂しも
強く手握る
声の限り呼びしわが声届きしか意識うす
るるいまはの夫に
わが額夫に押し当てひたすらに号泣した
りき耐へ難かりき
眠りゐる如き平和なる終の顔あまりに愛
し起き出でたまへ
平成二十二年、ご主人の過ぎゆく命を見つめた絶唱である。もはやストレートに思いを表出するしかない。青木さんの歌の本領はそこにこそある。歌集の帯に寄せられた秋葉四郎氏の文章の中に「慟哭と、涙と、鎮魂の歌集」とあるが、まさしくその通りだろう。
ご主人は青木さんの作歌のよき理解者でもあったという。夫婦愛の歌集と言ってもよいこの『夢の跡』は、次のような美しい追憶の一首で締めくくられている。
腕組みて教会への坂登りたる遠きイヴの
日幸せなりき