人間味あふれる
西澤悟歌集『すぎゆき』 仲田紘基
西澤悟さんの第一歌集『すぎゆき』は、その歌集名が示すとおり、今では「過去」となった自身の半生を、てらいのない言葉で詠い残した西澤さんの歩みの跡である。ここに収められた七百四首は、どの歌にも西澤さんの豊かな人間性がにじみ出ている。
寝入りたるままに二時間乗り過ごし見知らぬ
駅に深夜降り立つ
乗り越しをすまじと座席に眠りしが一駅前に
降りて戸惑ふ
西澤さんは酒が好きだが、あまり強くはない。私は若いころ、西澤さんといっしょに、一年間東京まで研修に通ったことがあった。帰りは私が千葉で電車を降り、西澤さんはさらに先の四街道まで行くのだが、ほろ酔い気分のときなどは電車の中でつい寝込んでしまうこともあったようだ。
そういえばこんな一首もある。
若きらが通路に坐る駅前を深夜に通るしたた
か酔ひて
酔っていても若者の風俗に目が行くのは、教育者として職務を全うした西澤さんの、真摯な生き方の反映でもあるだろう。
非難する言葉に幾度も頷きて時の過ぐるをひ
たすらに待つ
歌集の「あとがき」に、「公私ともさまざまな出来事に遭遇した」とあるが、これは校長という立場で学校経営に没頭していたころの作品。定年で退職したのちも、西澤さんの強い責任感を思わせる次のような歌がある。
早朝の電話の音は現職のころの緊張よみがへ
らしむ
現職のわが悩みたるトラブルを思ひ出しをり
夜半に目覚めて
私生活の面でも、西澤さんの日々は決して安穏なものではなかった。退職間際に、急性骨髄性白血病により入院生活を余儀なくされるのである。
病床に朝早く覚め点滴の管ながめをり他に術
のなく
しかし、西澤さんはみごとに病を克服し、夫人との幸せな日常を取り戻していく。その充実した日々の感慨は、意欲的な海外旅行での矚目にとりわけよく表れている。
ひとさまに三百の滝落ちゆけばイグアスの滝
に虹わたるみゆ
文字持たぬ文化を伝へ機上より見る地上絵は
おろそかならず
私は常々、人生を詠んでこそ短歌だ、と自分に言い聞かせながら作歌をしているが、その思いは人の歌集を読むときも変わらない。それは、例えばその人がどんな家族構成の中で、どんな仕事をして、どんなことを考えながら人生を生きているか、それがわかるほうが作品にも作者にもより親しみを持って近づけるからだ。病む父親を見舞う。リハビリのために歩く。夫人に代わって炊事をする。……この一冊の歌集の中に、包み隠しのない生身の西澤さんがいる。
俗にいふ生さぬ仲にて三十年母と呼ぶにも抵
抗のなし
一日に二つの墓を詣でたりちちははの墓異な
りをれば
歌集『すぎゆき』の上梓から半年を経て、つい最近、「わが身には二度目となりて抗癌剤治療を受くる通院しつつ」という一首を目にした。西澤さんのことだからこのたびもきっと病に打ち勝ち、第二歌集に向けた力強い「未来」への道を歩んでくれるに違いない。