刊歌集  平成13年(9月)〜20年【作品】 【歌集一覧】 平成21〜現在【作品】 【歌集一覧】




   歌集『那須颪』読後   香川哲三


 『那須颪』は栃木県在住の佐藤充氏の昭和二十七年から三十四年、平成五年から二十四年までの作品七六一首を収めた第一歌集である。本集のずしりとした重量感は、歩道掲載一一〇〇首の中から精選された作品群の発する、一人の歌人の営々とした生の営みに源を発している。
 発動機の音ととのひて麦こきのベルト時折
 り光を反す
 亡き母の命日に新しき母のあるわれは仏前
 に香をたくのみ
 川向うの山より噴き上げらるるごと白色の
 雲条なして立つ
 これらは、佐太郎が長く選者をつとめていた「郵政」の投稿者だった氏の歩道入会後八年間の作品である。昭和三〇年前後の農村の空気を髣髴とさせる一首目、作者の複雑な境遇が述べられた二首目、端然とした描写力が生動している三首目、何れも当時の日々の生活・光景が反映されており、事実の有する力と味わい深い咏嘆がある。
 方円の容に従ふごとき生四十二年の勤めは
 かなき
 向ひ家の窓に朝日の反射して客なき店の無
 用に明し
 週三日の非常勤ゆゑ館長の威厳をうちに秘
 めて勤むる
 簡易保険勧誘しゐるを夢に見き理路整然と
 言ひゐしあはれ
 郵便局長、酒店経営、公的施設の長等々を務めて来た氏である。常に真摯に仕事と向き合い、その時々の感懐を率直に述べた作品には、作者の肉声を聞くような親しさと同時に、個の体験を超えた詩情の広がりがある。
 孫を叱り嫁を戒め言ふ妻の凛乎たる声にわ
 が息を呑む
 筋委縮いよいよ篤く苦に耐へる表情さへも 
 変へる能うはず
 癌告知うけゐる妻はわれよりも自若に構へ 
 医師にもの問ふ
 本集には佐藤さんの父、母、妻、子を対象とした作品があって目をひく。一首目の歯切の良い表現など、言い切った後の爽快感すら漂っているだろう。一方、難病に見舞われた娘さん、癌を患った奥さんを詠じた作品は内容切実で、読後声を失う思いがする。
 那珂川に入る箒川しばらくは水ふた色に照
 りつつ流る
 雷は八溝嶺あたりその間の黒磯那須野の雲
 あらあらし
 その下の吹雪てをらん切れ目なく那須連山
 を覆ふ雪雲
 歌集名の由来となった「夕づきて来れば那須颪をさまりて淡雪あそびの如く降り出づ」を始め、作者在住の地ゆかりの那須、那珂川、八溝嶺などを詠じた作品には、作者の気魄のようなものが感じられ、堂々たるものだ。
 以上、本集の特色を概説したが、佐藤氏の作歌対象は、日常生活を基軸としており、其の姿勢は今に至って一貫して揺らがない。従って素材面から見れば地味な面があるとも言えるのだが、私は寧ろそこに本歌集の底力と本物の短歌の有する魅力を強く感じた。「歌誌「歩道」の作品は、一本の歌集に纏め上げた時に際だって精彩を放つ」と言うのが私の持論だ。その所以は、作品に作者の境涯が込められているからに他ならない。本集を読み終え、改めてその感を深くした。秋葉四郎序歌、同帯文は端的にこうした本集の特色を伝えている。「身を支ふる力おとろへたはやすく着替へにころび臥床に転ぶ」。巻末近くにこのような作品が見える。作歌を続けて六〇年、佐藤さんの御健勝を願ってやまない。