歌集『朝のひかり』評 香川哲三
細貝恵子さんの第二歌集『朝のひかり』には、二〇十四年以後十二年間に成された六三二首が収められている。全作品を読み終えて、私は爽やかな香気に包まれるようなひと時を送ったのであった。国内外の様々な風光に接した際の得難い経験が、点々と続く日常詠と共に、細やかな情感を伴って作品化されており、一首一首が現場の空気さながらの清明な写象を立ち上げているのである。
うつろへるうす雲にたつ虹の暈なかに照りゐる秋の夜の月
この作品など、或いは日常の矚目かも知れないが、芳潤な言葉が発する静謐な詩情は純粋無比である。
降りしきる雪の湖畔に尾白鷲動くともなく日が暮れてゆく
雨のふる鳥取砂丘の空の下澄みとほる池が明るさたたふ
何れも旅中の作で、厳しい自然にさらされて生をつなぐものや、砂丘が時に見せる瑞々しい情景が、時空の移ろいとともにくきやかに表されている。
もみぢ照る山のなだりに見張るらし啼兎高きこゑのかなしき
雲の湧く涸沢カールを歩むとき落石の音はかなくひびく
萌黄たつ原生林に残雪を踏む音ひびき甲斐の山越ゆ
本集には本格的な登山の歌も多く、経験の乏しい私などには取分け魅力的だった。啼兎、落石、歩行、それぞれが発する音の中に、細貝さんの息遣いが投影されている。
インカ軍の戦ひ跡の残るとぞ聖なる谷は夕ばえのなか
火口縁につひに至りてわが体モルゲンロートに染まりかがやく
六百余の作品は対象も内容も変化に富んでいて、一首一首が輝いている。それは、単に美しいとか珍しいからというのではなく、その地の歴史や風土、自然現象などが、作者の確かな眼差を通して捉えられているからだろう。
戦争にゆきたることを語らずに父は昭和の時代に逝きき
友の死を知りたるきぞの夜の雨朝けにうすく凍りてゐたり
純白の花嫁衣装の子の姿生れし日のたち思ひこみ上ぐ
最後に日常詠を引いた。三首目の作品は、第一歌集『虹の環』で「わが胸に遊び疲れて眠る子の髪に残れる日向(ひなた)の匂ひ」と詠じられていた愛子のことなのだろう。
旅と共に歩んできた細貝さんのさまざまな体験が、詩情豊かに詠じられた『朝のひかり』一巻、その底流をなしているのが、紛れもない作者のエランビタールなのである。
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