永原竹子・朗子歌集『白山連峰』
寄り添うニつの個性 仲田 紘基
雪におおわれた美しい白山の峰々の写真が表紙のカバーとなった歌集『白山連峰』。永原竹子さんと朗子さんの母娘二人の歌集である。
「歌集名の 『白山連峰』は、この題に関する歌が多いことから選びました。」と「あとがき」で朗子さんが述べている。
風寒き冬の水張田遠々に白山連峰の深き鎮まり
芝桜咲く丘陵地に立ちて見る白山連峰雪のかがやき
前者は母親の竹子さん、後者は娘の朗子さんの作品である。白山は二人の生活にも溶け込んだ山だ。これらは歌集の帯で秋葉四郎氏も選んでいる二首。いずれも対象をとらえる目の確かさ、深さを感じさせられる。
この一巻に収録の永原竹子歌集「晩秋の庭」 と永原朗子歌集「春の香」。一方が「秋」 でもう一方は「春」という季節感あふれる表題のとりあわせもおもしろいが、なによりも印象的なのは、 一冊のなかで温かく響き合う二人の心だろう。そしてそれは、二人の真摯な生き方の反映でもある。
「晩秋の庭」 の世界
母親である永原竹子さんにとっては平成二十五年に出版の 『紅蜀葵』 につぐ歌集だそうである。九十歳のときの作品からはじまる。
年齢を気にせぬ頃をなつかしむ胸の捻挫の癒ゆるはいつか
大正生まれの作者。こう詠いながらも意欲的に作歌をつづけて百歳となられた作者だが、思いもかけぬ転倒の負傷により、歌集の完成した現在は入院中だとも伺った。早く「歩道」誌に復活できる日の訪れることを願うばかりだ。
「歩道」 への入会が昭和五十五年という。円熟した境地の歌が並ぶ。
桜草沈丁花など咲き揃ひ春はわが家にひとときに来る
われ等住む地球に近く輝けるスーパームーンを親しみ仰ぐ
「ひとときに来る」という把握のしかたや 「われ等住む地球」と引き付けて言うなにげない表現にも、しっかりとものを見ようとする竹子さんの姿勢がよく表れている。そして、こうした歌の底を流れるのが、めぐりの人や物に向けられた作者のやさしさ、慈しみの心ではないかと思う。
澄み渡る新年の空仰ぎつつうからの幸せ今年も祈る
出勤の前に必ずその父に手を合はす娘いとほしみ見る
五十年相親しみし山茶花の花のあかるさわれのよろこび
どの歌にもほのぼのとさせられる。
「春の香」の世界
月光に庭あはあはと見えをりて萌ゆる若葉の匂ひ満ちゐる
永原朗子さんにとっては初めての歌集。この歌集はこの一首から始まる。月光に 「あはあはと」見える庭。満ちている 「若葉の匂ひ」。とても感覚のさえた歌である。
雨あとの樹々雫する街をゆくすがしきものに出会ふよろこび
こういう歌にしても、雨の止んだあとの街の感じがあざやかにとらえられている。母親の影響を受けて始めたという作歌の初期から、竹子さんとはまた違った感覚的な表現に、朗子さんの持ち味が発揮されているように見える。
しかし、これらの歌が詠まれた昭和五十八、五十九年のあと、平成二十七年までの三十年ほどは作歌に空白の期間が続く。大学での研究や講義の仕事に忙殺される日々だったという。
実は私自身も、「歩道」会員として過去に三十年以上の欠詠期間を経験しているから、長いブランクを経て歌を作り始めるときの覚悟や思いなどはよくわかるのだが、朗子さんの場合、復帰直後でも作歌の感覚にその鋭敏さをまったく失っていない点には驚かされる。例えば次のような歌がある。
青天の乾きし道にからからと欅落葉はとめどなく散る
思ほえぬ暑き日差しに沿道のつつじ一気にはればれと咲く
平成三十一年に勤務していた大学を退職。作品の数こそ少ないが、打ち込んできた仕事にかかわる次のような歌も印象に残る。
講義終へほてる体に郭公ののびやかなる声沁み入るごとし
わが顔が凍るごとくに吹雪くなか逆らひながら勤めに向ふ
思いが通い合う歌の世界
娘を思う母。母を思う娘。歌集『白山連峰』 の随所で感じられる母娘の睦まじさは、この一冊のたくまざるテーマでもあるだろう。
まず「晩秋の庭」を見てみよう。
それぞれに気づかひしつつ娘との生活楽しむ卒寿を越えて
いつしかに超高齢となりしわれ娘の料理は日々の楽しみ
いくばくか聴力衰へ娘の声聞き取りがたく互になげく
一方、「春の香」 には次のような歌が見られる。
日中を一人にて過ごす老母にたびたび電話を職場よりする
わが肩を支へに老母登り来て高山寺にて喜び分かつ
新年の掛軸かけてわが母とつつがなき日々語りてすごす
うらやましいばかりの母娘の姿だ。短歌という純粋詩が二人の絆をいっそう深めている。
音もなく降り積む雪に勤めより帰りの遅き娘を思ふ
勤めより帰りの遅きわがために母はかす汁作り待ちをり
母娘の合同歌集という形をとったことの意味は、こうした心の響き合いにあると言ってもよいのではなかろうか。