刊歌集  平成13年(9月)〜20年【作品】 【歌集一覧】 平成21〜現在【作品】 【歌集一覧】


浦靖子歌集『追憶』―鎮魂の叙情歌


               土肥 義治



 歌集『追憶』は浦靖子さんの第二歌集であり、平成十五年から令和元年まで十七年間の作品が収められている。浦さんは平成三年に「歩道」に入会し、平成十五年に第一歌集『花筏』を上梓された。また、ご長男の発病、闘病、死に直面された苦悩と失意を詠嘆した歌三十首「悔限りなし」にて平成二十六年度の歩道賞を受賞された。
 浦さんは、二歳のときに生母と死別し、事業家のご主人の急逝後に、その事業を継承されたご子息も癌にて失うという絶望、悲哀、寂寥、孤独を体験されている。あとがきにて「幼時から必要な時に必要な人が居ないという宿命的に孤独でした。そういう暮しの中で追憶は必然的であり、自ずとそういう歌を作ってきたように思います」と記されている。
  追憶は悲しみにしてゆく峡の山裾をちこち桐の花咲く
  淡くなりし夫の面影新たなる息子の面影追ひて日々ゆく
  入院の息子看取りし日々かへり追憶かなし仙台の街
 歌集には、ご主人への追憶、ご子息との永訣と鎮魂、生母への思慕、生家への郷愁、嫁いだ長女と孫への慈愛、はらからへの感謝、境涯と生の陰影、清明な光景、旅の情景、東日本大震災の体験など作者の厳しい人生の内面を瑞々しい精神にて詩情豊かに歌い上げた多くの秀歌が収められている。作者は「人生の半ばで逝った二人の鎮魂と自分の傘寿の記念として歌集を出版した」と述べている。
 まず、折に触れて詠ってきた亡き夫への追憶歌を取り上げる。孤独や哀感が惨み出ている。
  久びさに通る南部路をちこちに桐の花咲き亡き夫顕つ
  夫在りし日々の実感失するまで過ぎし歳月思ひ悲しむ
  いつしかに逝きし夫おもひをり残雪映ゆる栗駒山見つつ
  遺品なる夫の和服日に干せばその香なつかしうつし身の顕つ
  今あらば如何に老年過ごしゐん壮年にて逝きし夫偲ばる
  歳月は容赦なくして亡き夫の知るべくもなくわれの老いたり
  一人病む老のうつし身いつしかに逝きて久しき夫を恋ふる
 つぎに、亡父の事業を継がれた長男の発病から死までの苦難な日々を詠じた作品を紹介したい。胸に迫る悲しい鎮魂歌が続く。
  急逝の夫の事業継ぎし子の忙しさあはれ婚期の過ぎん
  子の哀れわがあはれにて術のなく夫の墓前に祈りをりたり
  手術不能の脳腫瘍にて術のなし絶望の淵にゆく雲を追ふ
  病めば期すことのあらんか整然と片づけられし子の部屋佗し
  病みてより祈りの長き子を見つつ心の痛む涙出づるまで
  意識なき子がひたすらのわが声を分りたるごと涙流しつ
  又来るとベツド離れし一時間悔いて止まずも一人逝きたり
  先に眠る夫の墓に子のみ骨納めて流す涙あたらし
  逝きし子を思ひ覚めゐるこの夜半に春雷の鳴り逝きし日の顕つ
  声高に話す亡き子の夢に覚めしばしその声の余韻にゐたり
  闘病の日々を語れば涙出づ長女と詣づる子の命日に
  柿の花散りて寂しき寺の道行きて詣でつ息子の忌日
二歳で死別した生母への慕情、はらからへの感謝と追懐の歌にも深い哀感が響いており、歌は心に沁み徹る。
  顔も知らぬ生母ひたすら思ふなど春愁あはれ亡き人を恋ふ
  記憶なき母にしあれど老いてなほ恋ふ如月の命日寒し
  生家にて見るみ祖らの遺影にてひときは若き生母のあはれ
  乳呑児のわれを残しし亡き母に傘寿となるを切に告げたし
  母の亡きわれに母なる姉の逝く雪降り出づる睦月の夕べ
  唯一人残るはらからと侍みしに兄身罷りぬ梅雨暑き日を
  夢の中はらから若く居りたるに目覚めしうつつ皆今は亡し
 現在は、さいたま市の長女の近くに転居し静穏な日々を送っておられる。作歌を生きる力として、これからも去来する哀感を詠い続けていただきたい。
  子の家に孫子揃ひて御節とるこの平凡のこよなくうれし
  ある時は自らの生嘆かへど今安らけき残生にあり
  わだかまる心の去らぬ夜の闇に音なく雷の閃光はしる
 この歌集は全ての読者に深い感銘を与えると思う。愛読をお願いしたい。