歌は生への励み
―桑島久子歌集『花菖蒲と宮森』 清宮 紀子
桑島さんの歌集『花菖蒲と宮森』は平成二年より二十七年までの歌を収めた第一歌集である。桑島さんの作歌を陰ながら励まし協力してくれた御主人の急逝に報いるために、刊行されたとあとがきにある。その桑島さんは、静岡から福島の神官の許に嫁ぎ、馴れない生活の中で短歌と出合ったのである。
その短歌により住む人や習慣にも馴れ、やがて「歌は生への励み」と言う境地に達した。
花菖蒲園により振り返ってみよう。社の前を花菖蒲園にすると言う御主人の発案により、三十年間をその栽培管理責任者として係り、二百三十種類の花を咲かせたのである。
小雨ふる花菖蒲田の手人れすむ夕づく頃にやうやくにして
開発のために追はれし野鼠が培ふ菖蒲の根を食ふ悲し
汗あえて植ゑ替へをする菖蒲田の上に鴨の群ひくく飛びゆく
逝く雲の早くなりつつ降る雨に菖蒲田の花なべて戦げる
しかし、その後の作品に「閉園」一連があり作者の心情が詠われている。
三十年かかはりて来し菖蒲園おもひのあれど閉園となる
永年の作業日誌に二百余種花の名かきとめ作業終へたり
家族に寄せる桑島さんの優しさが、読む者の心に深く伝わってくる作品。
喜怒哀楽ともに分ちて四十年気丈なる姑白寿迎ふる
唐突に主語なく夫もの言へどこころの通ふともに老いつつ
悩みもつ子が帰り行く日の暮に見送るごとく追ふごとくをり
帰省せし娘が夫に篳篥を習ひて三日越天楽をふく
離れ住む孫の入院聞きたれば憂ふるおもひ猶も増しくる
平成二十三年三月十一日、桑島さんは未曾有の大震災に遭遇する。その時のことを”ラジオにて茂吉絶唱ききをれば地震起りて放送途だえつ”NHK「歌人茂吉 人間茂吉」と詠っている。そして次のような歌となって震災の悲惨さを表現したのである。
震度六の地震に庭の灯寵の倒れ地割れの走るわが前
セシウムに関りあるか宮森の雑木々しげり花おほく咲く
離り住む子らの注視はわが町の線量しるすホームベージとぞ
大震災のことは、忘れられない記憶として残るにちがいない。
短歌に支えられた日常を大切にしている桑島さん、どうぞこれからも巻頭の色紙のお言葉を胸に刻み、ご活躍下さいますようお祈りいたします。

