歌のもつ力にひかれて
― 歌集『奥明日香』について ― 大塚 秀行
歌集『奥明日香』は、三重県松阪市に在住する村松とし子さんの平成十三年から二十九年までの作品を収めた第一歌集である。
村松さんは、長野県の浅間山の麓の町に生まれ、平成五年より義父母の住んでいた松阪市にご主人ともども暮らす中で、万葉集を勉強する機会を得る。ここで、歌のもつ力にひかれて歌を詠んでみたいとの思いが募り、平成十三年に歩道短歌会に入会。以来、短歌づくりに励んでいるとのことである。
歌集には、村松さんが訪ねた全国の古跡や神社・仏閣や景勝地から素材を得て詠まれた作品が多い。
木に石に見るもの厚く苔むして屋久島の森霧の流るる
奉曳車勢ひ斎庭に着きたれば初穂のかをり豊かに充つる
二十年経ちし宇治橋渡りをり一億人のひとりとなりて
平曲の澄みたる声に聞き入りぬ本居宣長ゆかりの寺に
ま向かひて年のはじめに拝みをり若き面輪の飛鳥大仏
たをやかに伏す形なる香具山を横切り白鷺低く飛びゆく
眼の前に広がる世界に対して、みずみずしい感性で捉えられた詠嘆が心地よく響いてくる。そして、その詠嘆が凝縮されたともいうべき「奥明日香行」の連作が展開される。
飛び石を渡り通ひし万葉人顕つ思ひにて岸に佇む
谷渡る男綱女綱にいにしへの慣ひいきづく奥明日香村
大君の吉野に通ひし芋峠みちにゆかしく山桜ちる
手ふるれば崩れさうなる岩の壁この道なりて千余年過ぐ
この坂を下りてゆけば吉野なり畳なはる山遥かにかすむ
家の間を激しき音に流れゆく奥飛鳥川甌穴ふかし
歴史の豊富な知識に裏付けされ、今に息づく万葉の世界を描き出して鮮やかである。この連作は、三重県歌人クラブ作品賞受賞とのことである。
また、家族を詠んだ次のような作品が強く印象に残る。
歩くこと切に願ひし姑ゆゑひつぎに入るる桐の駒下駄
嫁の手をにぎる息子と孫とわれはげましながら生るる子をまつ
東大寺の賓頭蘆様の膝を撫づ家居の夫の足案じつつ
家族を思う村松さんの眼差しがやさしくあたたかい。
歌集『奥明日香』は、「歌のもつ力にひかれた」村松さんが、作歌に真摯かつ意欲的に取り組んだ結晶として深く共感を覚える歌集となっている。