令和4年(2022年~)年度賞(作品) 年度賞(受賞者一覧)〕   昭和36~57年年度賞(作品) 年度賞(受賞者一覧)

昭和五十七年     
〔加来進〕
教職を職歴にもちおのづから埒越えがたく生き来し吾か
大正に生れて教員たりし者寄りてつましく昼酒をのむ
茸採りなどを好みて独り住む母の気儘もすこやけき故
紅葉の向うに磨崖の仏見え干大根のにほふ道ゆく
いちはやく花を刈りたる煙草畑梅雨の日差にくまもなく照る
砕石の粉塵なびく川岸にいたいたしけれ花咲く合歓は
屋根替をしたる生家が川へだて楝若葉あふち      の下に見えをり
田の跡に培ふ栗の林あり花はやく終へて梅雨雲暑し


昭和五十六年
〔菊沢研一〕
雪のうへ杉の落葉のにほふまで春の日はさす母の葬路
葬路の帰路にして香煙にさとき烏の群れ鳴くこゑす
なきがらとともに焼かれし百円の硬貨をわかつ形見といひて
母のなきのちの寂しさ吾を呼ぶ人の声なきふるさとに覚む
わが母の新盆にして葛の花去年のごとく葉のうへに散る
朝はやき厨の音は妹か叔母か盂蘭盆のふるさとの家
西日さす部屋にただよふ母の香のやうやく淡し残暑の日々に
競などに似る喚声のときにあり形見を分くるをみならのこゑ


昭和五十五年
〔熊谷優利枝〕
菩提樹の丸き並木に冬の日の爽かに風の吹く時に来つ
気がつけば裸足の故か苑にても街にても人は静かに歩む
ゆくりなく葬送ありてガンジスの川辺に人をやく煙たつ
それぞれにガートをもてる石の家ガンジス川に沿ひて峙つ
衰ふる体きたへんとはじめたる運動は吾の心鍛ふる
諦念は常に心の救にて新しき思ひもちて眠らん
庭の木にあらぶる風に関はらずまどかなる月中空に照る
細き手をのべて物乞ふ童等の大きひとみを見つつ悲しむ
音のせぬ故に落付くといひ難し照りかげりする室にもの読む
あさ茜きえしと思ふたちまちに梅雨ばれの空白くかがやく
たちかへる思出すでに淡くなりうつしみ老いて公園歩む
つづまりはかかる形にわが老いん青葉の下のベンチに憩ふ
この外に生くる道なしと諾ひてわが残年をつつしみ生きん
朝より汗にじみつつ患者診る挨拶として残暑喜び
約束のあれば来る人を待つ時間かかるいとまを休息として
暮るるまで長き明るさを惜しみをり街音のせぬ苑のなかにて


昭和五十四年
〔吉田和氣子〕
清き麻束ねしごとき思出となりて過ぎにき神島二日
粘体のごとき西日の照りつくる岬山のみち葛の花の香
蒸すごとき潮の香たちて西日照る遠賀川口のたたへ静けし
熱おちし躰はかなく乾きをり夕暮るるころ目の覚めしかば
声もなくわれは見てゐつニ千年たちてのこれる人の足あと
み仏はつねにしづかに坐せども夕暮るる頃のそのしづかさや
その父母を離れてきたる幼子が病みて一日を音もなくゐる
柔かき指しなはせて紙を折るをさなき者ら賢くなれよ
蒸暑くつゆの日けぶり行く道におしろいは今年の花開きそむ
ゆくりなく聞く若ひとの排泄の音いさぎよしみじかくて止む
ガード下出づれば小さき繁華街水をうちたる道のしたしさ
八十九歳の母再びの命得て帰る車に添ひて乗りをり


昭和五十三年
〔福田柳太郎〕
耳しひの母なりしゆゑ夢にみる母にも吾は声かくるなし
東より空暮るるゆゑ都市の灯の輝きもともに移り明るむ
目の前をすぎたる貨車がすみやかに遠のく吾の過去の如くに
暖房の通り始めて寒暖のいまだ交はらぬ空気が動く
見下ろせる市街雑然と家建ちて家並ととのふところは道路
俯瞰せる都市の変化の屈折として鉄道と川が横切る
真近くに岩打つしぶきの音たちて滝は下半の崩れつつ落つ
白々と光の動く海見えて青岸渡寺に汗ひくを待つ
上端が日にかがやける那智の滝音ともなはず寺庭にみゆ
砂黒き浜の寂しさ限りなし沖の夏雲のたつ朝の海


昭和五十二年
〔大野紅花〕
六十日永く臥す姉が咲きのぼる木槿の花を云ひて寂しむ
花に来る蛾も蜂もなき曼珠沙華草かぐはしき秋野なれども
入りて来し森に広からぬ沼のあり沼にだしぬけに蓮の実の飛ぶ
街路樹の柳刈りをり幹離れたちまち干草の香を曳く枝ら
梅雨の池ひかりよどめて見えがたきまで蓴采の花ら小さし
まれに得し痛苦なき日も愉しまぬ父としなりて梅雨ふけてゆく
カーテンの垂りたる室にとどこほる空気を疎みゐつつ眠りぬ
悔もてば心儚しおいらん草にくれなゐの顕つ永きゆふぐれ
個々に寄る白波はながき一連となりつつ渚とほくまで見ゆ
秋づきしひかりに胡麻を束ね干す間口の狭き湖沿ひの家


昭和五十一年
〔和歌森玉枝〕
一日の就役の過程に祭祀あり贅を捧げて寺院に集ふ
単純に生活の市として賑はへるデンパサル辛き食物匂ふ
窓近く鎮まる廟墓を覆ふ樹に遊ぶ栗鼠をりてながき一日
海辺に出づれば寂し海さわぎ天空掻かるるごときタ映
満潮にしたがひて凡そ幹浸るヒルギの樹林その葉かがやく
住む人の去りて甘蔗などあら草のごとく穂の立つ海村をすぐ
十丈の地底に富士の伏流が湧きて光りつつ藻草がなびく
晩春のひすがら寒き奥津城に生ふる虎杖の朱き芽を摘む


昭和五十年
〔児島孝顕〕
雪光るアイガー、メンヒ、ユングフラウ忝な吾が眼の前にあり
ルーヴルの朝の窓より差す光ミロヴイナスに届くとき来ぬ
青野原ひたしつつくるドウナウはわが眼の前をはやく流るる
リギ山の近くなりたるツークの町赤き桜桃に夕べ雨降る
かがやきて熟るる枇杷の実限りなし島の入江の水匂ふまで
あたたかき光を寄せてゐる如く銀杏落葉を人の掃きをり
石浜に潮満つる時のさわがしさ丘畑に震ふ大根の花
戸馳島に病やしなひてゐたる頃夜々窓下に狸らの来つ


昭和五十年
〔榛原駿吉〕
湖岸の空地にならぶ数百の石灯籠にふるさむき雨
冬空にかたむく楢の木原見えひえびえと湖のめぐり暮れゆく
落葉せぬ木々多き日比谷公園に音さわがしく雹のふり来る
一月の末となり日ざしやや強し枯草にさす午前の光
浅山の崖の古りにし石仏にひびきて雷のふるふ昼ふけ
壁面に剥落のあとさだまりて年古りにけん石仏さびし
大野川の畔に驟雨過ぎゆきてあをあをと牛蒡の大き葉茂る
梅雨雲のうへはみなぎる光あらん柘榴の花におよぶ明るさ


昭和四十九年
〔秋葉四郎〕
目のまへに游げる魚を食ふなどし戦争のなき時代に生きる
疲れつつ思ひあたればうつつなるあわただしさが吾を浄める
家々のまへの流をうやまひて村の老らが朝塩をまく
旱きつつ風のふく朝幼子のわれに縋りて保育所を忌む
寒風のさわぐガラス戸蜂のごと小さくなりて一日勤むる
吹く風の中に午後の日さむく射し鋪装道路のいづこもきよし
ストーヴのめぐりに生きて微かなる蝿ある時は交尾して落つ
顕ちかへり来る悲しみは骨壷を土に収めて極まりにけり
呆けたるまま父逝きて諸人を悲しましむる言葉さへなし
あわただしく父を葬りて帰り来つわが生涯の後半となる


昭和四十八年
〔香川美人〕
風寒き今宵高空に街の灯の反映のなき雲みづみづし
波音をそがひにしつつのぼり来し島いちめんの大根の畑
風垣の修竹ゆらぐ道に出て山に反響する海の音
岩群にとどろく波の潮けむり遠く吹かるる山かすむまで
潮曇ひねもす山に送りたる風をさまりぬ沖の夕映
渚には高萱のかこむ畑あり波音のなか豌豆芽ぶく
波越えて寺の杜より朝蝉の湧きたつ声はここにきこゆる
製鉄の赤き炎が遠く見え海昏れはてし鞆の浦さびし
松原に沿ひてつづける遠浜を赤く照らしぬ海に没る陽は
鈍痛のある歯を押へふはふはとして暑き日の街を帰り来


昭和四十七年
〔岡野干佳代〕
夕ぐれていまだ明るき篁のそよぎ古葉をたえず落して
芥捨てにゆく暗き庭二三日掃かぬ落葉をやはらかに踏む
芥子畑に長くゐてこもる花の香に酔ふとしもなく体もの憂し
別際に優しくあらんと思ひつつ夕餉のスープ子と飲みゐたり
ひたすらに子に関はりて過ぎて来しこの当然を何寂しまん
身のまはりみづからがする当然を幸ひとしてわが母は老ゆ
耳遠き母と黙して掃きよせし落葉を父の墓前に燃やす
晩年の生活の保証あることがわれの嘆きを支へんとする
子と吾のなからひ寂し離り住む日々の続きのごとく嫁がす
潮引きしあと滑らかな砂に照るはやおとろへし夏日とおもふ


昭和四十六年
〔片山新一郎〕
この日頃字を書きそめし幼子は紙面に文字を彫るごとく書く
保育所に来てわれの診る幼子は昼寝の子らにまじはりて臥す
われの診る嫗は顔に幾匹も蝿とまるまでほけつつ眠る
朝起きし幼子が頭痛むとぞいひて足音を立てずに歩む
路にさす陽の反射をも均すごと転圧車いま路上をすすむ
腰痛の癒えをよろこぶ嫗あり白髪飴色になりて古びし
こともなく閉ざす窓のそと降る雨の音をとほして夕闇追る
衰弱のため腫みつつ臥す嫗その身衰ふるさまの目立たず
荷物携ふごとく患者はみづからの麻痺せる腕を抱へて歩む
昼すぎの芝生に集ふ女工員体遊ばせて芝の上あゆむ
肢端より生き返るごと蘇生せる子の爪にはや血の気さしたり
麻痺の脚癒えそめし子は練習のためのみならず歩行楽しむ
亡骸の枕べに立つ逆屏風いくたび見てもやすらひがたし


昭和四十五年
〔塙千里〕
立冬を過ぎしひかりに野の畑は麦芽生えつつおぼろに青し
霜うけし銀杏日すがら西さむき風に削がるるごとく落葉す
うつつなる空の色よりあざやかに夕べ峡田は茜を映す
日昏より風なぎをりて霜おりし庭ぶたの藁夕月に照る
篁のなか赤々と朝焼けて心たのしき春の日のぼる
日々に吹く春の疾風にたのめなく乾きて軽き畑土を犂く
ゆく春の光にゆらぎわが庭にせりあがりつつ蕗の葉しげる
夕照のあかるさのなかおのづからこころ空しくなりて畦塗る
雨降らぬ日々のつづきて田植まつ水のなき田の暗き夕闇
北時化となりし午過ぎそれぞれに着込みて再び田植に出づる


昭和四十四年・・・白妙集より
〔香川末光〕
思ほえぬ島の入江にいくつもの廃船ありて潮濁りゐる
珠数かけて組ませし死者の太き手を部落の人ら来て握りゆく
屍を焼く火のひびきこもりゐる窯に幾つも蠟の灯ともす
曇日の寒き岬に見えてゐる採石場の青き断崖
石の匂寒くただよふ石切場雲出でし日に岩床光る
雨あとの寒き海より岬山に湧きあがりくる霧なまぐさし
憩流となりたるならん海峡は霧のなかにて音しづまりぬ
したたかに雨にうたれて荒砂のうきたる庭に出でて鎌砥ぐ


昭和四十四年・・・立房集より
〔田村和子〕
病より母癒えたるに省て心勢へる吾の一月
秋の日の静まる庭に群るる蜂幼きは体浮くごとく飛ぶ
波荒き川口見ゆるこの岸に波の余剰の水がゆらめく
冬終るけぢめの如く吾の手は凍傷となり今日黄砂降る
唐突に降りし霰が眼の前に透きつつ溶ける一ときの後
空こめて黄砂の渡る海岸にくづれんとして波の透く青
かたくなに居て或る時は自らの悲劇のにほひ漂ふごとし
水飲めば直に体の熱くなることもはかなし西の吹く夜に


昭和四十三年・・・白妙集より
〔棚橋誠〕
白班が背にある鯉の生きゐるを公園に来る度にわが見る
折をりに雫と蟻が落ちてくる樟の木の下の砂に憩へば
ぎくしやくとカーブしてくる一連の電車高層の窓に見てをり
肋骨を除いて窪める胸の上に汗の留りをりまどろみのひま
わが意志にかかはりもなく手術創のあたり筋肉の動く寂しさ
垢のため鱗を着たる如しといふ自らの脚を起き得ねば見ず
泥抜きのために厨に置く鰌夕日さしきてひととき騒ぐ
巻きかけの木の葉を着たる蓑虫が秋日照る庭にいくつも動く


昭和四十三年・・・立房集・地表集より
〔谷陽美〕
台風の後定まらぬ昼空の暗がりて又いさぎよき雨
もの思ひ頭脳乱れんとする時に夜半の厨に水のみ下す
たのしとも無き行末を思ひをり梅雨じめじめと冷ゆる一日
雪明りさす部屋に姑はふる雪も積りしも知らず覚めては眠る
吾よりも病む姑の食太きこと何かはかなく夜半思ひ出づ
幾年も歩くことなく過ぎたれば姑の足裏のこの柔かさ
姑呼ぶを知らず眠りし夜のありて目覚め清しき朝を寂しむ
足萎の姑にはかせて葬むらんと置きし草履の色褪せにつつ


昭和四十二年・・・白妙集より
〔該当無し〕


昭和四十二年・・・立房集・地表集より
〔是行良男〕
硝子窓にネオンの色彩映りゐる部屋に訪ひ来て値踏みしてをり
質入に来たる被疑者を通報せしあと幾度も水飲みに立つ
時折に諍ひて窓の外にゐし鍛冶屋の夫妻も何時か去りたり
警官の調べしあとの質草を汗たりて仕舞ふ夜の質蔵に
鉄格子より吹き入る夜風に質蔵に吊すギターのゆれて音する
指図する私語を受話器に聞きしより思ひ侘しく店守りをり
盗品の質顚末書書きながら質屋には不向の吾と思ひぬ
質蔵より見ゆる夜ふけの狭き空溶鉱炉の火に染まりて赤し


四十一年・・・白妙集より
〔平井寛〕
ひとつひとつの蝌蚪動きつつ池水にその群りの位置移りゆく
かへりみて悔しき勤と思はねど四たび目の馘首かくしゅを始むる企業
海の空気ふくらみをらん晩春の午後の工場街の煙のなびき
三番方眠れれば静かに通るべし社宅街入口にかく掲示せり
癌といふことを互に知りをりてさりげなく別れき死の十日前
試運転に夜を徹しゐる工場の人の顔美しと幾度も思ふ
鉱滓より埃をりをり舞ひたちて梅雨近き疾風の吹ける埋立
干拓地の涯の泥いまだ塩ふきて蝿などのゐぬ長き堤防


四十一年・・・立房集・地表集より
〔木村和一〕
ぜんそくの発作の起る前兆としてわが幼饒舌となる
海底に冬陽差しつつあるところ藻をたもたねば静かなる泥
抵抗のかたちわが子がうちつけに読むとしもなく本を開けり
ハンダ附の夜業終りて塩酸の臭ひ残れる部屋に眠らん
海よりの風に塩害かうむりし碍子に火花たちゐる夕べ
夕ぐれの街におもほえず建物の取毀されし暗きひろがり
ひとしきり夕べの海のたたへたる光をわけて舟の出でゆく
今しがた揺りし地震を口実として別れ住む父が訪ひ来る


昭和三十九年作品(四十年受賞)
〔河原冬蔵〕
年老いし人らのまとふ寂しさをみづから老いてうべなふ吾は
苦しみを暫し忘るる夜の眠りありて耐へゆくごときわが日々
わが死後の街のさまなど思ひしがこころ惜しまむ何一つなし
吾もまた滅びてやまぬもろもろの一つと思ひこころ鎮むる
形なりし暗きビルヂングの内部より寒き風吹く鋪道をゆけば
なまめかしき夢より覚めて苦しみの暫し紛るる如くゐたりし
街に出ることにもおびえ腰痛くなるまで日ごと炬燵にこもる
陥没せる墓地の墓石が見ゆるといふ白土の池をめぐて歩む


昭和三十九年作品(四十年受賞)
〔半沢裕〕
家畜舎のめぐりの草地みづからの体重を土に置きて牛臥す
路上にて漆喰を練るさま見れば漆喰の香は即ち糊の香
カーブする貨車をし見れば線路ごと車体は曲る方に傾く
夕つ日に温まりたる桐の木はまだ木質とならざる緑
おのおのの枝刈りしかば街路樹の象堅固に夜の街に立つ
対岸の鋪道に立ちし地吹雪の先端が空気圧して移る
ストーブに湿りし薪の燃ゆる音ひとしきりにて絶ゆるは寂し
区切られて放たれし貨車それぞれの安息のごと速度をおとす


昭和三十八年作品(三十九年受賞)
〔加藤幸子〕
燃え盛るわが家よ樹々よ痛々しまぶし真夏の日にあきらけく
工場も家も焼け果つにはかにも冷えくるこの身地にうづくまる
暁に炎の香する焼跡にわれ堪へ難く声あげて泣く
焼跡の小屋にうからら黙しつつ食ぶる朝飯小皿に白し
焼跡の小屋に蝋の灯囲みつつ相寄る家族何するとなく
            (「蝋」は原作では旧字体)
荒れ果てし焦土の中に幾日経て大豆芽生えぬひと固りに
燃え盛る家の屋上にわが干しし浴衣痛きまではためきて燃ゆ


昭和三十八年作品(三十九年受賞)
〔杉山太郎〕
海岸より山腹かけて爆発の余燼の煙いくところ立つ
一帯に硫気瓦斯たつ焼山の裾にただちに寄する白波
丘の如き噴火の礫の堆積にとどろきてゐる重き波音
雨の中ところどころに見えてゐる爆裂火口おぼろに赤し
海の渚にややへだたりて雨のなかいきたつ岩の隆起は火口
垂直に黄の水に立つ火口壁寒き午前のひかりにみゆる
かたみなる負目を持ちておのづから展けむこころ待つ如く居し
蓮華田に沿ひつつ来れば花にひそむ数かぎりなき蜂の音する


昭和三十七年作品(三十八年受賞)
〔横尾登米雄〕
譬ふれば折々にして顕はるる礁のごとき罪の記億ぞ
やみがたき勢としてわたつみのあるところより波段をなす
掘りあげし土朝ごとに霜解けにうるほひたりしことも幾日か
忍従のこころ夜の床にわが足のあたたまらんを待つ如くゐし
見られゐん意識を持てば電車にてまどろみながら幾度も覚む
鉄骨の上に人居て鉄を截る火花は土に墜ちぬれば消ゆ
遥かより見れば動くなき漣のごとくにわれの一代過ぎゆく
わが仰ぐ噴水の秀はさまざまに風に乱れてある時昏し


昭和三十七年作品(三十八年受賞)
〔向山忠三〕
池の面に片寄りしあかき萍が風をさまりてほぐれつつゐる
湾の中しぶき立てつついくつもの埋立の石落しをり
屋上に潮騒の如く聞こえ来る夜の工場の操業の音
製鉄所のあかき煙が朝靄と相閲ぐ形となりて崩るる
埋立地に積むさまざまの鉄パイプ風強きとき鳴ることがあり
家出せる夫をさがすついでにて吾を尋ねて来し女あり
刃物をば研ぐ人をりて日だまりに赤く錆びたる水流れゐる
火山灰島のめぐりに沈めれば海荒るるときあかき波立つ


昭和三十六年作品(三十七年受賞)
〔三枝茂〕
冬の日に耳紅く透きてゐる豚ら押合ひざまにトラツクに居る
雪解けの光騒がしき街空にたゆたひながら氣球が昇る
砂にこもる貝が徴かに潮を吐く如くに吾は憩をぞ持つ
雨雲の底ひを照らす照空燈ねばりもつその光寂しむ
秋づきし陽に黒々と飛ぶ蜻蛉目に見ゆる不安として仰ぎゐつ
風呂を焚く炎が土間を照らしゐる家間の道に心は和ぎつ
おぼつかなき春の曇りにひたりたる川上にして激ぎつ水みゆ
冬の疾風凪ぎなんとしておほよそに響の残る空が夕映ゆ


昭和三十五年作品(三十六年受賞)
〔中濱新三郎〕
ものを噛む顎の力の衰へて灯の光さへ重き感じす
生きたしと思へど吾の儘ならぬいのち今夜はしくしく悲し
亀裂ある木肌に雪の觸りながら静かに過ぐる寂しき時問
茫々と雪降るときに限りある生命諦めむ思ひに沈む
前に來て立てる人みな吾の死を知れりと思ふときに苛立つ
現實に息の止む時死ぬるよりほかなきものを迷ひつつをり
漫然と見てゐるときに窓そとのこずゑに朝日明確にさす
痙攣の如くにこころ騒ぎつつしきりに見えぬ神を思ひぬ


昭和三十五年作品(三十六年受賞)
〔高岡一雄〕
満ち潮となりて潮さす家のうち風強ければ黒き波たつ
大潮のさし潮早く家なかに満ちきたりつつ寒き夜となる
追り來る満ち潮の水黒くして鶏の屍臭家に入りくる
泥潮に浸りし家の屋根にゐて陽差しに照らひ綿ちぎり干す
泥潮の茜に映ゆる夕ぐれに瓶づめの水屋根にゐてのむ
茜せし朝雲のゆきはやくして潮さす家に寒き風吹く
床下に潮しづまれば残りゐる壁土重き音たてておつ
さし潮の満ちとどまりて家暗く風吹きすぎる音のきびしき


昭和三十五年作品(三十六年受賞)
〔小林慶子〕
目をとどめ見れば沙漠に水湛ふる一つの湖のありてむなしき
この島の木の間にこもる沼ひとつ光ともしくしづまるあはれ
わだつみに雲の影ありて日没後のビユアンダフルカ洋上寂し
冷やけき土踏みながら對象のなき哀憐の想ひきざしつ
折々の陽は照りながら庭くまに光反さぬ土も悲しき
陽の餘光空にかへりてしづまれる砂の平に潮ふくむ風
湖岸の渚の砂礫浄くして直ぐにつづげる麦畑の青
夕募れの海を渡りて吹く風の浄きあらびは砂丘にこもる