〔歩道賞 一覧(S36~H14) 一覧(H15以降) 作品 S36~49 S50~59 S60~63 H元~14年 

2021(令和3)年度 歩道賞受賞作    

   矢颪坂        杉本 康夫
         
やはらかに春日の満ちて前山の雑木林は膨らみて見ゆ
春の日を背中に受けて坂くだる老いたる己の影を踏みつつ
日の光眩しくとどく坂の道歩幅意識し背筋を伸ばす
街路樹の槻に頻き嗚く夏蟬のこゑを聞きつつ坂下りゆく
矢嵐の坂歩みつつ先生の蛇崩の歌口ずさみたり
先生の歌口ずさみ満ちてくる思ひをわれは噛みしめ歩く
矢颪の坂のぼりつつわが呼吸苦しくなりて立ち止まりたり
遊歩道に欅の気根あらはれて亀裂のあれば避けて歩みぬ
秩父嵐つよく吹く日と弱き日とありて今年の冬深くなる
昨日けふ寒さ戻りし朝の道日陰を避けて日向を歩く
散策の途中なりしが万歩計の数値確かめ己はげます
冬の日ははや傾きて大岳の稜線つづく向かうに沈む
現身に抱く憂ひの消えゆかんこと願ひつつ朝に祈る
古稀過ぎて顧みるときあなあはれ薬ぎらひが薬に頼る
老醜を曝け出しつつ行く道に同輩来れば軽く会釈す
この日ごろやうやく体調戻りしを喜びとして歩行に励む
青春の蹉跌などとは思はねど今顧みることの多しも
諍ひと感謝を互にくりかへし妻とわれとの四十五年
エンデイングノートなるもの手に取りて来し方思ひ行く末思ふ
日の匂ひ吸ひたる畑をととのへて汗拭ひつつ春菜を植うる
キツクスケーター上手に蹴れる小学生あつといふまにわれを追ひ越す
防災の日のけふ中学校の校庭にドクターヘリはホバリングする
展望台に目陰して見る家並にソーラーパネルがいくつもひかる
年をかさね郷愁の念深まりてふる里の歌いくたびも詠む
父母と暮らしし生活懐かしむことありわれも老い実感す
足腰の弱くなりしを嘆きたる母の歌読み涙あふるる
わがために母のせしことわがために父のせしこと忘れがたしも
母逝きしのち十五年寂しさを言ふことの無く父も逝きたり
不肖の子不肖の子だと叱られし思ひ出多き若き日の父
家を継ぎ墓を守りし長兄も喜寿を過ぎたり健やかにあれ



歩道賞候補作


   新宿百人町      星野 彰

百人町にかよひ幾年つゆの雨けぶる小路は夕暮れちかし
小さなるタツプダンスの教室にかよひ初めしは出向の年
不要なる力を抜けと十余年言はれつづけて上手くもならず
バランスの悪しきはダンスのみならずわれの生き様そのものならめ
いくばくの民族つどふや百人町ペルー料理の店ヒマラヤの味
けふ見れば韓国料理の店とありトルコ国旗を下げゐし店が
ハラルフード海外送金水タバコ雑居のビルに入る店みせ
百人町の不動産屋の貼り紙に「外国人も相談可」とあり
夕かげに給水タンクが光りゐて雑居のビルに出で入る人なし
二千人の新規感染者報告の日にもにぎはふこの居酒屋は

    黒蠟梅       池野 園子

両膝の曲らずなりて歩みえずコロナ禍のなか入院となる
夫と子健やかなれば救ひにてベツドに両足休めつつゐる
産科病棟に新生児の泣く声を聞く里帰り出産なき日々にして
回診の院長は四十年前の主治医にて医師看護師をあまた従ふ
進化する医術なれども吾が足の痛みとれざり心の萎ゆる
入院の一か月になり退院を願ふ夫を思ひ眠れず
歩みがたき今の境遇受人れんと内なる一人の吾のつぶやく
元旦のあした救急車の音ひびく計りがたかり人の命は
寡黙なる夫は更に寡黙にて耳遠くなりしを嘆くともなし
いち早く黒蠟梅の紅葉して吾にきびしき冬の来向ふ

    五月の雪      佐保田 芳訓

病癒え五年振りにて台北に来たりてひとり夜市を歩く
油桐の白き花散る丘の道ゆきて台北の街さかり来し
日ごと飲む薬ききがたくをりをりに妻の苦しむを見つつ悲しむ
嫁ぎゆく娘を語る妻とわれ互みに寂しき思ひを分つ
コロナ禍に披露宴なくわが娘友に祝はれ入籍すます
嫁ぎたる娘の家のカーテンをひと日かかりてわれは縫ひたる
カーテンを縫ひて活力出でしわれかつての生業(なりはひ)思ひ懐し
下戸ゆゑにコツプ一杯の麦酒(ビール)にて食前酒飲む妻と向きあふ
月々に検診ありて都心まで高速道ゆく一時間の(みち)
奥多摩の山に雷鳴とどろきて暮れゆく空に閃光ひかる

    夫の写経      青木 伊都子

盆参り叶はぬままに亡き父母を偲ぶ庭のべ溝萩の咲く
ウイルス禍重症化恐れいつになくインフルエンザ予防接種す
冬日さす田にうづくまる白鳥はひときは大き影を落とせり
めぐりにも感染者いて寵る日々大寒の庭蠟梅かをる
診察を待つ時長く安からずクラスター出でし病院なれば
わがために病の平癒願ひたる夫の写経神棚に置く
コロナゆゑ母の七回忌とりやめつ今ごろ墓は藤咲くころか
夫か我いづれか逝きし日のことを埓なく思ふ墓清めつつ
年重ねわが夫婦にも迫り来る老々介護をりをり思ふ
庭に立ち夫と生き来し歳月とこれから生きん歳月思ふ

    百年の音      折居 路子

一夜にて凍土となりし町内に歩みつたなく広報まはす
揺れやまぬ部屋に蠟燭ともしたる日より十年黙禱をせり
通園の路にをさなの拾ひたる去年の桜が絵本より落つ
入学時子に購ひし洋服を三十年経て孫が着てゆく
やはらかに黄砂をぬぐふ春の雨音なく降りてかをりを残す
初めての賞与にもちし顕微鏡夫亡き部屋に護符のごとあり
炎暑にて枯れし黄の薔薇送り火に焚けばかをりの蘇り来つ
十月の光うつろふ街川にのぼりし鮭は命を終ふる
亡き母と同じ訛に道を問ふ人案内し城跡に来つ
わが脈のごとくひと日を刻みゐる柱時計の百年の音

    春日落つ      樫井 礼子

秋の日の残照長き日本海しづかにうねる波かぎりなし
山脈に日の入り果ててつばくろの冠雪の嶺にくれなゐ残る
午後の陽が差す美ケ原の雪峰に電波塔の群のかがやく
晴れとほる三月の北アルプスの南面おのおの斜陽をかへす
聖火リレー始まるを待つ田の道に人ら祭のごとく憩へる
聖火持つ走者の向かう夕暮れの北アルプスに雲たたなはる
やうやくに二人にて暮らす日々のきてコロナ禍の今ともに老いゆく
いたるところ音して田んぼに水の入る残雪すくなき山脈の下
みづうみを渡りて聞こゆ山なべてこもり鳴きゐる春蟬の声
田の水に入日の映えて畦に咲くフランス菊の群のまばゆし

    雪 靄       伊藤 淑子

関東に四十五年はたらける夫が電話に退職を言ふ
わがゆけば林檎の枝の打ちあひて木枯に鳴るこの雪の畑
夫留守の四十五年顧みて気丈になりしわれかと思ふ
あたたかき雨降るあした雪の面の靄うごかして夫帰り来
橅の木に西日さすとき山鳩は影を揺らしておほどかに鳴く
ひすがらの雨に朝より朱帯びし林檎の畑のぞきて帰る
三日後に入院の夫田を起こし畑耕して疲れを言はず
あたたかき香のたつ籾を手に掬ひ芽を確むる種蒔く今日は
手術する夫にかかはり刈らざりし草踏み稲の苗箱はこぶ
胸骨を開き心臓弁替ふる夫の手術はじまるころか

    震災の後      大貫 孝子
川岸に残れる山桜伐られをりわが家跡のよすが消えゆく
復興せし松川浦の埋立地無数の松の苗育ち居り
家跡に立ち娘らと仰ぎ見る山峡の空天の川太し
嵩上げに海遠ざかる故里の街のしづけし魚の香のなく
ふるさとの時ををしみて出でし夜半真上に北斗七星光る
十年の過去(すぎゆき)思ふ故里の慰霊碑の前に朝の日を待つ
家跡に拾ひし茶碗を仏壇に置きて十年日々早くゆく
癌治療受くる弟予定せし地鎮祭に出られぬといふ
満月の照らす墓原ありありと見えてゆゑなく涙のいづる
いまも尚余震の続く三陸の女川原発再稼働とぞ

    星 夜       佐々木 比佐子

梅雨更(つゆふ)けて緩和治療のモルヒネに眠る弟やすらかにあれ
苦痛より身は解かれゐん弟の訃を聞く蟬のこゑ響く朝
感染の防止策ゆゑ弟の(まつ)()に家族のおほかた会へず
かけて来し最後の電話弟の名のりの声を忘られずをり
防疫のため東京を動かぬと決めし()更けて星空を見る
弟を葬りし夜に星みえてわれは悲しく丘にのぼり()
しづかなる丘にし立てば長久の時()る星のひかりさやけし
七日ごと母は秋暑のなか出でて亡き弟に花を手向(たむ)くる
弟をおくる()(がん)にたたずめば北上川の流れ(たくま)
いとけなく生長の日々共にしてわが胸中に生くるおとうと

    瀬戸内遠望     早川 政子

島出でし人らの植ゑし桜とぞ雲湧く如く島の明るし
対岸の小さき列島に桜咲きしばらく島はふくらみて見ゆ
弔門に訪ひ来し人ら夫逝き一年過ぎて疎遠となりぬ
百床の病院に住みをりをりに密かに夫に香をたてたり
寂しさはかくの如きか病むわれの遠き弟妹に知らすことなし
走り梅雨晴れて暑さに気の付けば夫の供花の衰へ早し
胡蝶蘭長く咲きゐて香りなく独りのわれを静かならしむ
コロナ禍にビル並ぶ如き船見えず生口島港の盛況のなし
夜の間に黄砂も靄も籠めたるか濃霧に海の明けて音なし
スマホより通信届きフルートの葬送曲にわれは驚く



   選考経過         秋葉 四郎

 今年の歩道賞の応募は二十五編で、昨年同様やや低調といえるが、発行体制の変更等のあったことを思えば、ありがたい応募状況といえる。応募作の内容も例年の応募同様、現実に立脚した純粋短歌で、創刊者佐藤佐太郎の切り開き進化発展させた世界を踏襲するもので心強くもあった。
 また、今年もすでに受賞している会員が進んで応募され挑戦され、この歩道賞のレベルを高いものにしてくれている。ありがたい事であり、われわれ選考委員揃って、例年通り、感謝して選考にあたった。
 応募作の名前を伏せた作品を選考委員の香川哲三、波克彦、秋葉四郎の順で回覧し、めいめいが十編を選出した。その結果は別表の通りで、選考委員二人以上が採った作品を候補作とした。今年は十一人が該当した。去る八月二十七日、丸の内での編集作業の後に選考に当たった。広島の香川氏は、コロナ禍を配慮し、今年もオンラインにて参加、秋葉四郎を選考委員長として三人が十分に協議した。
 二人以上が選出している作品を候補作としすべてを改めて検討し、特に各選者が一番に推す作品、三人が選出している作品を十分に吟味した結果、今年は毎年「歩道賞」に応募している杉本康夫氏の「矢嵐坂」三十首に歩道賞を贈ることにした。境涯を反映した作で、佐太郎先生の蛇崩坂の影響も歩道会員としては当然で、一連を快く読ませる結果にもなっている。「矢颪坂」という固有名詞が極めて新鮮で、歳月を重ねてその価値を発見したもので、個々の作を引き立ててもいる。遠くに素材を求めるのではなく、身近な生活圏から作者に迫ってくる素材は境涯の反映であり、優れた特色である。選考委員三人迷うことなく決定した。
 今年もベテランの受賞となったが、「歩道」の歩みが不変で確かなものであることを思わせもする。自ずから「歩道賞」の価値が上がることであり、敬意を表し心からお祝いを申し上げる次第である。同時に多くの会員の今後の挑戦をも期待するゆえんでもある。
 今回も経験の浅い応募者、初めての挑戦者が目立った。嬉しいことである。連作三十首をまとめる経験は必ず作歌力を高める。今回も受賞作以外にも、力作が多かった。別表に示されている通りだが、一票でも高レベルのものは少なくない。歩道賞は、今後もレベルの高いところで競ってゆきたいものである。


   選考を終えて       波 克彦

 今年の応募者数は二十五名であったが、毎年積極的に応募している人が過半数であった一方で新たな応募者もあり、毎年歩道賞に応募すべく作歌活動を続ける会員の努力を讃えたい。今年は選考委員の二人以上が選んだ候補作は十一編で、そのうち選考委員の三人とも選んだ三編を改めて精査して選考にあたった結果、今年は杉本康夫氏の三十首を歩道賞として選定した。これら作品には作者の境涯が色濃く出ており、作風も手堅く落ち着いた純直さが表れていて三十首がまとまりのある一連となっている。候補作十一編や候補作に入らなかった応募作も今年は三十首を一連としてテーマに即した作品群からなるようにまとめた応募作が多くなっていた。来年度も多くの会員の積極的な応募に期待したい。


   選考に際して       香川 哲三

 今年の応募作は例年に比べてやや少なく、作品の全体的な充実度には、やや物足りなさを感じざるを得なかった。
 とは言え、精読した二十五編の応募作の何れにも、注目すべき作品が見られて、純粋短歌論に基づく作歌姿勢の共有を喜んだのであった。なお、応募作の中から歩道賞候補作として十編を絞り込む場合、水準を超える作品の割合が相応に高いことが求められるから、応募に当たっては、時間をかけて推敲を重ねていただきたいと思うのである。その他、今回の選考で感じたことであるが、応募作に付す題名は、作品の中身に相応しいものとなるように熟慮して欲しいということ、その他、用語に誤りがあるものや誤記なども散見されたから、浄書に際しては、注意していただきたいものである。応募作を三十首揃えることは易くは無いが、着実に作歌力量を高めてくれるので、是非積極的に応募してほしい。


   受賞のことば       杉本 康夫

 昭和四十九年四月、歩道埼玉支部に入会、支部同人誌『冬原』に、作品を掲載し始めた。その後、正式に『歩道短歌会』に、昭和五十二年三月に入会し、添削会、東京歌会に出席するようになった。志満先生と同郷の私は、あるとき佐藤先生に「君、短歌をやっていると言うことは、五年くらいは、口外しない方がよいよ」と言われた。言葉の意味は、自分なりの「歌論」を持てと言うことと理解し、信念を持って今日に至っている。


   略 歴

昭和二十三年九月二十二日生(福岡県)
昭和四十九年四月 歩道埼玉支部入会
昭和五十二年三月 歩道短歌会入会
平成二十二年二月 歌集『低丘』刊行
平成二十六年五月 歌集『遠街』刊行(埼玉県歌入会賞)