由 谷 一 郎

    歌  歴


大正八年    和歌山県生まれ
昭和十二年頃  友人に誘はれ作歌を姶める。
昭和十三年   友人の勧めで、池上秋石氏主宰『紀伊短歌』に入会。
昭和十九年   召集。
昭和二十年   召集解除、帰郷復職。
昭和二十一年  師範学校での恩師長坂瑞午夫人、梗氏の紹介で「歩道短歌会」に入会。以後佐藤佐太郎に師事。
昭和二十七年  『帰潮』に感動、漸く歌への思ひを深める。
昭和三十七年  第一歌集『砕氷搭』刊行。
昭和四十三年  友人達と共に佐藤佐太郎・志満夫妻を、那智山、太地等に案内。
昭和四十四年  『佐藤佐太郎論覚書』刊行。
昭和四十五年  「歩道短歌会」幹事に指名される。
昭和四十六年  第二歌集『海橋』刊行。現代歌人協会賞候補。
昭和四十七年  現代歌人協会会員に推される。
昭和四十九年  佐藤佐太郎・志満夫妻らとともにヨーロッパ旅行
昭和五十二年  佐藤佐太郎・志満夫妻らとともにアラスカ旅行。
昭和五十三年  佐藤佐太郎・志満夫妻らとともにカナダ旅行。『佐藤佐太郎の秀歌』刊行。
昭和五十四年  第三歌集『沖雲』刊行。
昭和五十五年  赤城猪太郎氏と二人で、那智山青岸渡寺に佐藤佐太郎の歌碑を建立。
昭和六十年   第四歌集『島渚』刊行。
昭和六十二年  『佐藤佐太郎の秀歌』増補改訂版を刊行
昭和六十三年  現代歌人叢書の一冊として、第五歌集「濤の音」刊行
平成三年    『佐藤佐太郎私記』刊行
平成七年    第六歌集「聴濤」刊行
平成十六年   第七歌集「秋茜」刊行

平成二十五年  永眠(九四歳)




    代 表 作 品


 歌集『砕氷塔』(昭和三十七年)

碎氷塔より漁船に落す粉氷雲間もれたる冬日にきらふ
レ―ダ―のスカナ―靜かに廻しゐる船あり雨の降る岸壁に
病む妻が人はばかりてよこしたる下着を夜半に洗ひてゐたり
たづさへて生きむ一生に汝が癒えし後靜かなる幸はつづかむ
曉にひとたび目覺め眠るとき薄明はわがうへに安かれ


 歌集『海橋』(昭和四十六年)

トラツクより滴る魚の血にぬれし舗装路さむく光る夕暮
亡躯の還らぬ船員の葬りにて空の柩にしたがひてゆく
             (躯は原作では正字体)
なにゆゑのひかりともなく低丘のはたて明るむ梅雨の夜空は
風の吹く砂丘のなだりさながらに細かきひかり地を摺りてとぶ
傾ける日に照らされて風のなか人光りゆく海橋の上


 歌集『沖雲』(昭和五十四年)

五六羽の単位にて島に帰りゆく鵜がみゆ晴れし冬海のうへ
幾日か花展のために励みゐし妻はかなさをまとひて眠る
思ひゐてつひに寂しき父のなきのち父のこと言ひ出でぬ母
深谿に見えゐてさびし傾きてかがやく氷河末端の青
茫々と過ぎし百日暑き日に顔を冒せる麻痺癒えがたく


 歌集『島渚』(昭和六十年)

磯菊のなほ残りさく島渚輝る逆光の海あたたかし
見つつわが育ちしゆゑに寂しきか沖の暗礁にたつ白き波
おぎなはん術なき終の欠落と言ひて子の無きことを寂しむ
枯芝を踏みつつあゆむ島裏の浜暖かし逢ふ人もなく
老涙と言はん涙のしたたりて覚めをり死後を思ふともなく


 濤の音(昭和六十三年)

うごきゐし奥歯を抜きてかすかなる齟齬口中に残る幾日か
ぎしぎしも藜もたけく茂りゐて日々歩む岸やうやく暑し
牀上に夜ふけ静座しゐる一人われより壮き人にてあはれ
幾たびも手をあげたまふ常の日もかくしたまへり親しみの手ぞ
島なごみをれども厳し列なれる裂線噴火の痕のしづまり


 歌集『聴濤』(平成七年)

春一番あれし後にてさやかなる濤音きこゆ断崖の下
高波を見んと来し丘鹹き風になだりの青萱なびく
ほとぼりのなかりし遺骨のことをいふ悲しみ日々に深からん妻
鍛へんとする足ならず道のべに憩ふ石あればそこに安らふ
血糖値計りゐる妻よ二人にて過ぎん斯くのごと閑かなる日々


 歌集『秋茜』(平成十六年)

人恋しさこもりゐたりし弟の声と思ふぞ最後の電話
舌下錠久々に含み臥しゐたり寂しきことの一つぞこれも
いくたびも草に憩ひて島の道老熟したる秋茜とぶ
病院にて出会へる人のみな寂し長身の友が病む足を曳く
鰯雲ひろがる空の下をゆく家出でて来し衰老一人
草叢の中より猫が寄りてくる小綬鶏も鳴かずなりしこの島
懸命に一日一日を生きてをりインシュリン自ら打ちてゐる妻
海桐花の実弾けし処ありてゆく丘の辺の道けふ暖かく
痛々しき手形の絵葉書見つつをり悲しきものを遺したまへる
きらめきの今も目に顕つ冬枯れの釧路湿原を流れゐし川
インフルエンザ癒えて遺れる筋肉痛体起さんとして起し得ず
時をりに庭にひらめく黒揚羽ある時は部屋の内までも来る
もう遠く歩めぬわれかと思ひゐてめぐり音なき晴天寂し
夕影となりゐて歩む道のうへ黄の葉の如き蝶一つとぶ
病名を聞きてくらくらとしたる吾暫くエレベ―タ―の前に立ちゐつ
転住の明日となりたり家の内迷ひまよひて来し半年か
移り来て住む高齢者世話ホーム音無く人の住む気配なし
点滴の液肺などに溜りゐて術なしと言ふ妹あはれ
待つごとく待たざるごとくゐし電話妹の終のさま伝へ来つ
癒ゆるとは思ひゐざりしが何もせずゐて唯空し逝ける妹
片腕にてわれを支へて歩む妻町に出で来て知る衰へぞ
百四歳の隣室の媼病室に移りしと言ふ安らかにあれ