長 坂 梗 


 


                        


     


大正七年    山梨県に生まれる
昭和二十年   「歩道」に入会、佐藤佐太郎に師事
昭和五十二年  第一歌集『笛吹川』刊行
平成四年    第二歌集『池畔』刊行
平成十六年   第三歌集『草もみぢ』刊行
平成二十二年  永 眠


   第一歌集『笛吹川』より
あるはずみの身ぬちたゆたふ思ひより続く写象に泰山木の花
いたく心萎えて臥すものか西に日が廻れば西の雨戸を閉づる
遠き犬に呼応して又一つ啼き出づる(かつ)てもかかる夜半にゐたりき
癒ゆるなき父と思ひてにはかなる涙は人の中にても落つ
秋の日に漬菜を干して生き残るものの寂しきいとなみをする
臥しながら首めぐらせて盆の夜の花火わづかに見ゆることあり
朴の木とならん未来をもてるもの朴の朱実を三つぶ貰ひぬ
かかる(かたち)を安息として冬の蠅あそぶ日向に膝抱きてゐる
夜の雲白く満ちつつ底ふかき亀裂を覗くごとし晴間は
傍看の群にわれゐて巨き船接岸のため時をつひやす
酒に酔ふ解放感をわれ知らず涙ぐましく男ら踊る
あひ響く如く木の間の池光り風吹く空は夕明りする
まなしたを折ふし過ぐる聚落をつなぎて道の通ふさびしさ
塔にして鐘鳴りやめば夕空にひとたび()ちし鴉らかへる
西日さす障子に写りつるばらの新芽つのぐむ影と思ひき
掌にもの丸めゐる心地にてひとつの思ひ(かたち)なりゆく
ゆくりなき朝の目覚めに紅梅の花に雪つむ鮮烈にあふ
人は一生におなじき量の苦を負ふと老母がわれにことよせて言ふ


   『池畔』より
部屋ふかく冬日およびてさす時にわれに車椅子の夫かへり来よ
かかる日に亡き人近く思ほえてわが假の世の庭に雪つむ
繭ごもる前にからだのすき透る蚕にも似て母は死を待つ
おのづから口閉ぢし時息絶えて静かなりけり母との別れ
窓ちかく蝉なきしきる夜半さめて蟬鳴くこゑは過去よりの声
蕎麦枕ときしところに一粒の実に生ありて白き花さく
エスカレーターに足置くときにたまゆらの老の躊躇を人見るなかれ
先端の座席にをれば地下鉄の駅の灯島のごとく近づく
もろもろはわが身の外を吹きすぐる風と思ひてこの夜眠らん
握り拳ほどの鷭の子葦の間に泳ぐときけば見ねども楽し


   『草もみぢ』より
夕庭に水撒きをれば葉裏より漂ひいでて白き蝶とぶ
午睡よりさめて暫くみづからを確むるごとゐたり愚かに
苺ハウスに常はな咲けば受粉する蜜蜂の死は過労死といふ
すみれなど咲く庭にても家の内のいづこにゐても一人はひとり
握手なる芸をおぼえしわが猫と日にいく度か握手を交す
真向ひの社にカラオケの集ひあり老女ら恋の演歌をうたふ
湧水の流れて池にそそぐまでしばしの岸に芹みづみづし
冬枯れていまなき花の名をしるす札あり読みて木道をゆく
わが入れし金より多く釣銭の出でし自販機を急ぎ離るる
音たてて流るるごとく移る世の流れの外に老いつつぞゐる
花咲けば訪ふものありて見るとなく見る庭いつも白き蝶とぶ
不意をつくやうに鳴きたつひぐらしの声は殺伐の世の外のこゑ
南より吹く風につれ電車行く音きこゆるは雨降るきざし
脳の意思手につたはらぬありさまに財布の中の小銭をさがす
棚おほひ繁る夕顔なほ模索するがに蔓を宙にそよがす
みづからを何なりしかと恍惚の人言問ふは根源の問
はしなくも生れ合せてパンドラの筥あけられし世紀と思ふ
人工の灯より淡くて庇あはひに思ひまうけぬ歳晩の月
かいつぶりの雛見守りて岸にゐる人らやさしきもの言ひをする
商店街に育ちそれなりの知恵をもつ猫が時はかり道を横切る
眠りつつ伸べし弟の手の形わが手に似ると今にして知る
新しく庭に咲く花終るはな病む弟ととほくゐるわれ
予期したる電話ききつつ花めぐる黒き揚羽の行方目に追ふ
尺ほどのつむじ風たち散り敷きしさくらの花片捲きつつ移る
こぼれ種生ひて花咲く鳳仙花この花親し大正の花