
歌 歴
大正十三年 岩手県盛岡市に生まれる
昭和二十一年 佐藤佐太郎に師事
昭和二十二年 歩道短歌会入会
昭和二十五年 岩手医学専門学校(現岩手医大)卒業
昭和二十八年 佐藤佐太郎と十和田湖に旅行
昭和二十九年 佐藤佐太郎と宮戸島に旅行
昭和三十六年 栗原市にて内科開業
昭和四十四年 佐藤佐太郎夫妻と鳴子、鬼首に旅行
昭和四十五年 第一歌集『石階』出版
昭和四十六年 歩道年度賞受賞
(二月) 佐藤佐太郎夫妻来訪、伊豆沼の雁を案内
(六月) 佐藤佐太郎夫妻来訪、金成町小迫の源氏蛍を案内
昭和四十七年 佐藤佐太郎夫妻来訪、伊豆沼の蓮を案内(八月)
昭和四十八年 佐藤佐太郎夫妻と大河原町訪問(五月)
昭和五十年 宮城県芸術祭河北賞受賞
昭和五十一年 現代歌人協会会員
昭和五十二年 『佐藤佐太郎論』出版
佐藤佐太郎夫妻と金華山、松島に旅行
昭和五十四年 第二歌集『梨の花』出版
宮城県芸術選奨受賞
昭和五十九年 第三歌集『雪峡』出版
平成四年 第四歌集『緑地』出版
『佐藤佐太郎随考』出版
平成八年 宮城県芸術祭河北賞受賞
平成十二年 第五歌集『堰の音』出版
平成二十二年 永 眠
歌集『石階』(昭和四十五年)より (門裕子抄出)
雪あゆむ猫ゐて筆のごとき耳立てつ寒けき曇り日にして
父と
地下道を来れば冬日のまがかよふ土の高さにて
夜々泣きて吾を苦しむる子はすでにわが生活の外延ならず
起重機の鉄材吊るを見て居ればさながらにその重心を吊る
曇り日に電車ゆくとき
樫の葉の照りしづまらぬ冬真昼
泥ふかき農道に遭ひし葬列は耕運機にて棺はこべり
窓そとの篁に陽は
『梨の花』(昭和五十四年)より
給食にはげめば食器消毒の湯気にひたりて香に匂ふ妻
月かげのさす沼にして鴨のむれ水のかがやく上に眠れり
暗室に透視しをれば被検者の息を吸ふとき肺は明るむ
幾日も生きず逝きし子は死亡届書くときにして名付けられたり
音ひびくヘリコプターは飛ぶといふ勢もたず土を離るる
咀嚼力なくなりし老は日々酒をのみていくばくの命をつなぐ
溺死せる子の摘みし花濠の
人逝くをなげく家族といくばくか異なる悔を医師われもてり
花咲ける梨の太樹を仰ぐとき梢にまじはる近き空あり
『雪峡』(昭和五十九年)より
樹々を吹く風すさぶ時その山のひづむと思ふまでに樹々揺る
涙腺のゆるみて遺体の目より垂る涙はおのれを悼むに似たり
田植ゑする人がみず田を歩む音きけば水面に音は沈まず
逝くひとの
冬晴れにあゆむ雪丘雪の面にさす樹の影はなべて新し
わが歩む埋立地襲ふ
地震すぎて静かなる夜半家壁の土のかすかにこぼるるを聞く
この悔に浄まるわれか寒き夜の机に重き掌を置く
気性強く生きしひと
冬旱の畑ゆくあした霜解に青いくばくかよみがへる麦
『緑地』(平成四年)より
羽ばたきて沼より飛び立つ白鳥は助走の如く水面を駆く
わが庭の蟬の
地下電車終点に来て唐突に地上に出づるは諧謔に似る
うつろなる
沼寒き夕べ洲に憩ふ白鳥の群も枯葦も逆光の中
地吹雪のすさぶ野をゆくわれの影をりをりわれを離るるごとし
往診に狹間ゆく日を積めばつひに医療末端に終らん吾か
堰岸の水みればいま夏の日は
涙いづるまでなつかしむ寡黙にてつねに負債に苦しみし父
冬の橅森来ればうちつけにその樹皮の乾反る音して歩みをとどむ
『堰の音』(平成十二年)より
殻割りて出でんと蟬のもがきたる
命絶ゆる老を
栗駒山の樹々一斉に芽ぶくさま見れば全山息づくごとし
空よぎる流星
河岸ゆけば堰越ゆる水の音響が脚ゆすりつつ地を伝ひ来る
幾千羽の空覆ふ雁の音がひとつ塊となり峡に響かふ
臥す老の腕の古びし
残生をいかに生くるべしわが胸に悔悟うながし霙降る夜半
北上川
かすかなるわが医ならんか癌告知せず逝かしめておほむね悔いず