猪 狩 清 


 


                        


     


大正七年   宮崎県延岡市に生まれる
昭和九年   父死去、猪狩清十七歳
昭和十一年  延岡中学校卒業。在学中より文学を志す
昭和十二年  小学校教員となる
昭和十三年  短歌研究土屋文明選、特選にあがる
昭和十四年  中支派遣員として大陸に渡る
昭和十六年  この頃より召集、解除のくり返しで短歌を中断する
昭和十九年  結婚、五女に恵まれる
昭和五十一年 歩道短歌会に入会する。愛好者と「鷹短歌会」を結成
昭和五十八年 歩道宮崎支部発足する。志満先生のご出席を賜る
昭和六十年  入院、この年二度の手術を受ける
平成四年   第一歌集『鶏鳴』を出版する
平成十九年  永 眠


   『鶏鳴』より
麦飯を食ふにも何か決意らしきものあり老の哀れの一つ
まどかなる山の平に牛をりて一つ動けばいくつか動く
目覚めたる時の現に胸の上にまだ落ちずある本の重たし
くはへ来し虫太ければ重からん(ひたき)は土に幾度も置く
猟やめてすでに幾歳葦原に雉を追はせて犬と親しむ
いびきかき眠りをりしと妻言ふを聞きて再び炬燵に眼る
水撤けば土生臭きゆふべにて遠山脈に雷雲うごく
力なく黄の蝶一つ低く飛ぶ今朝の庭先空気つめたし
諫早の馬鈴薯畑といふを見きはるばるとしてはて海に入る
朝床に巷の音を待ちをればわが雄鶏(をんどり)の強くはばたく
農婦らが雨に追はれて走るさま堤防に見え野に活気あり
唐突に乱舞始めし白鷺が鮎捕らへたりわが瀬の上に
狩終へて岸に寄り行く白鷺の脚ゆるやかに光る水踏む
すずめばち家に入り来て暫しの間心張りたり朝の厨に
陶房に日すがらをりてやうやくに素焼を終る足冷えながら
犬といへど退屈をする事あらん声出して太き欠伸をしたり
抵抗の心にあらず唐突の留守番電話用言はず切る
さしあたり今日なす事の何もなし取り置く板の古釘を抜く
植木屋が庭木を刈りし余得にてあまた落ちゐる零余子(むかご)を拾ふ
送り来し歌集読み終へ夕近し逢ひ得し如き人の親しさ
わがゐるを気付かぬ人を驚かすこと憚りてくしやみに耐ふる
空爆の生の映像今宵見つかつてわが町の空に見しもの
雄鶏に手を蹴られしをひたかくしこの老人は軟膏探す
みちのくの現にわが姓八百戸餘りを知れる今日の楽しさ
日の沈み帰りおくれし鶏が急ぎて鶏舎の方に向へる

 『鶏鳴』以後
野良猫の通るに群の鶏がみな頭上げ油断なくをり
午睡よりさめて歩けば堤防にゆらぐ草生のみなまぶしけれ
井手(いで)の水今日より通り早々とあめんぼ泳ぐわが庭先に
いさぎ良き一生なりしとある時は思はぬでなし人に言はねど.
鴉らの吸ひ残したる合鴨の卵に黄身のまるごと沈む
春の日はすでに暑きか合鴨ら蜜柑の陰に伏して動かず
玄孫(やしやご)まで見る長生は願はねど曾孫を見れば欲限りなし
白動車をつひに手放しさしあたり精米に行く術なくゐたり
園庭の隅の木下に日々待ちて育てし孫のはや嫁ぐなり
娘らが贖ひくれし補聴器をつけて師走の町にいで行く
桑摘に茶摘に早さ誇りたるこの手にてこの頃箸とり落す
ものを噛む内よりの音気になりて食事の度に補聴器外す
知恵六分体力四分の老となりなほ人くれば国事を語る
読みさしの本唐突に閉づるなどして蠅殺す老人われは
フライパンにて卵苑でつつ釣小屋に一人夕日の沈むを見をり
外来語造語の多き日頃にて老齢いよいよ会語をうとむ
鮎を釣るわが間近かくに日毎来て狩する一羽の白鷺の居り
咲く花も散り行く花も近山のなだりの風に今朝はふかるる
素直なる老人となり水神に難除けの茄子用意するなり
柿の葉の広きをつみて焼藷の熱きを包むかかる老の知恵
堤防の上をあるけと人言ふも用なき歩みわれは好まず
久びさに町に遊ばん心湧き百円均一の店に入り行く
ただ歩くのみの運動好まねば日に一時間畑仕事する
少食のわれへの配慮か量かくすにぎり三個が用意してあり
箸置きてすぐ立上がるわが癖は兵たりし日に続くか今も
広庭に蚊遣りたきつつ泥鰌汁食ひたることも今はまぼろし