
歌 歴
昭和二年 茨城県に生まれる
昭和二十八年 歩道入会
昭和四十二年 歌集『冬麦』刊行
昭和四十五年 歩道年度賞受賞
昭和五十六年 歌集『峡田』刊行
平成十九年 歌集『冬靄』刊行
平成十九年 永 眠
『冬麦』より
毛越寺の凍れる池は夕昏れのいたれるなかに広さをたもつ
とりとめのなきかなしみやくろずみて火に乾きゆく新茶の匂ふ
入りがたの月照りながら夜の更けの冬麦の畑たひらに暗し
砂防林越えて凪ぎゐる海の見え日没ののち白くかがやく
背に負ひし稲ばしごごと田の畦を後より風に押されて歩む
生れしより一年を経し幼子が種痘して来てひとりあそびゐる
庭ぶすまを剥せば夕べさながらにひろびろとして家庭昏るる
かすかにも潮あかりして波頭みゆ一帯にくらき渚に
夕光のなごりに雲が西遠く赤らみしとき畑もあからむ
勤めもつ妻より月々いくばくの金もらひつつ農に従ふ
海の上の空の曇りに夕映のいろ淡く顕ちて沖より昏るる
夜の海に顕つ青白き波頭波のめぐりも潮あかりする
あきらかに潮目のみえて村松の海一帯に冬日照りゐる
ゆふぐれてなほ暮れがたき海渚ゆふべのあかり砂丘もたもつ
遠くまで見えて人なき冬浜にわれら日すがら砂防垣つくる
『峡田』より
面会謝絶のわが病室にこもごもに日々かよひくる母と妻とは
夜の更けの月のあかりに顔なかばみえて付添の妻はねむれる
あるときは心足らひて二十年ひとりの農にしたしみて来し
かすかなる月の明りに幾たびも水のぞきみて昏れし田にゐつ
潮けぶる朝のしづかさ惜しみをり音なき雨の海に降りつつ
庭に焚く銀杏落葉がいぶりをり日すがら炎顕つこともなく
海岸に人を入れざる所あり原子炉より出づる水をたたへて
うつつなる空の色よりあざやかに夕べ峡田は茜を映す
ゆく春の光にゆらぎわが庭にせりあがりつつ蕗の葉しげる
実りたるものの静かさ間もなくて刈るべき早稲田夕映のとき
生れし家離れしことなき五十年わが過去のみづからあはれ
先生の歌刻まれて鉄にほふ大き鐘さむき砂に置かるる
鍬入れに来し朝の畑ふかぶかと霜をさくりて餅を供ふる
山入りの餅を供へて朝山にわれと妻とは鴉を呼ばふ
わが捨てし峡田が遠くいつよりか榛の林となりてみゆるも
『冬靄』より
子の挙式終へたるけふの晴天を妻よろこびて幾度かいふ
捨てし田の葦群白く輝きて風さわがしき夕べとなりぬ
思ひきり伸びし筍夏至すぎてみなおだやかに竹にまぎるる
よべの霙いまだ残れる空畑に土這ふごとく冬の靄たつ
三十七年勤めし妻が日々ともにをりて今年の田植の終る
火の如ききびしき言葉しみとほるやさしき言葉きくことはなし
あたたかき歳晩のひる汗ばみて縁の日向に注連縄を綯ふ
榧などの老樹の立てば午後一時寒ざむとしてわが家昏るる
この年の一人の農も終るべし日すがら庭に銀杏の葉落つ
感覚のいまだもどらぬ妻の足触れてみるとき足あたたかし
両下肢の麻痺のままけふ退院して来る妻のため夜具などを干す
赤々と家ぬちふかく照り映えし霧島つつじの花も終りぬ
この夕べ峡あかるきは幾ところ代田となりて水をたたふる
をりをりに雉啼きゐしが浅山の一つほろびてその声きかず
わが家に一月二日部屋ごとに電燈ともり子らの声する
みづからの卵かへせる烏骨鶏ひな十一羽竹山に抱く
かすかなる農守りつつ下肢麻痺の妻を支へにわが日々はあり
やふやくに汗をさまりて海見ゆる紀三井の寺に先師しのべり
石楠花のなごり未だに咲きながら梅雨の日曇る室生寺に来し
麻痺の妻家に置き来て病室に予期せぬ癌を病みてわが臥す
直接に痛みなければ胆管のがんそのままに従ひ生きる
短日は寒くなりつつわがいのち幻影として一日一日すぐ