加 来 進 


  平成十一年撮影(拡大→クリック)
   


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大正十一年  大分県に生まれる
昭和十五年  台北にて教職(小学校)につく
昭和十七年  台北歩兵隊入隊
昭和二十五年 安心院町津房にて写真業と書道教室を営む
昭和二十七年 結婚
昭和二十八年 長男誕生
昭和四十八年 歩道短歌会入会、佐藤佐太郎に師事
昭和五十五年 長男他界
昭和五十七年 歩道短歌会年度賞受賞
平成十四年  新築の自宅を「三昧庵」と名づく
平成十五年  妻他界
平成十七年  五月歌集『時空』発行
       十月入院
平成十八年  永眠
(歩道入会後、純粋短歌の普及に努め、平成五年以降五回開催された「歩道九州大会」の中心的役割を担った)


   『時空』より
月いでて靄しづみゐる休田の(しべ)焼く炎ちひさくなりつ

紫苑咲く向うは低き井堰にて水なめらかに越えつつひかる

臆するがために望を果たし得ぬわが生きざまに子よ似るなかれ

みづからのあやふき命知らぬ子が血圧高きわれをいたはる

月蝕の皆既となりし暗がりに稲の上わたる風の音する

幼くて自転車もろともわが落ちし川原もとほる冬日うけつつ

放射線照射の印ゑがかれし胸をはだけて眠りをり子は

痰を切るために(しはぶ)く子の体毛布はげしく波打ちてをり

恋人とかつて行きたる旅のことなつかしむ子よ命終るな

余命なき子が唐突に親子にて旅行せんなどさりげなく言ふ

子の柩かかへて出づる庭のうへ柿の若葉にふる雨ひかる

みづからの死後の始末をこまごまと記して果てぬ二十六歳

われに父の妻に母の日くるべくもなしたづさへて老を積まんか

たとふれば片身削がれし魚のごと横たはるまま命過ぎしか

教職を職歴にもちおのづから(らち)越えがたく生き来しわれか

二千米地中を騰り発電の蒸気は秋の空にとどろく

石採りて頂失せし白き山空に置きたるごとき梅雨晴

草焼きし川原しづけくよみがへる悔のごと黒くあらはなる石

みづからの身じろぐ影をさびしみて冬の日のさす疊に座る

液化するもののごとくに光芒の失せて黄砂に太陽しづむ

救急車にみづから歩み乗りにしがそれより七日亡骸の母

わが鈍き心のうちに稀にある火花に似たる発散を見よ

亡骸といへどもいまだ現身の子に添ひ寝ねき晩春二夜

かたくなに筋を通しし父に似るわれか世渡りつひに拙く

活魚店に飼ふ瘤鯛(こぶだひ)がその瘤を撫でらるるまま人にしたしむ

寂しさが影のごとくにただよふと闇に開けゐる眼つめたし

識閾(しきゐき)の間に得たる肯定は論理の(ほか)にわれを導く

()に立つとわが性格を人言へど妥協の(すべ)を知り得ざるのみ

逝きし子の二親(ふたおや)すなはち妻とわれこの当然をなに悲しまん

娶るなく逝きにしことを哀れともあるひは幸ひなりとも思ふ

ありありと亡き子がわれにもの言ひし夢のつづきを切実に待つ

形ある或いは形なきものがわれを責む牀上六尺の夢

わが血圧測る老医師みづからの脚の衰へしみじみ嘆く

おしなべて木草(きぐさ)人間鳥獣のいとなみ見えぬ地球さやけし

梅終り辛夷(こぶし)山茱萸(さんしゆゆ)はなやかに光あふるる三月の天

性急も迂闊(うくわつ)も老の象徴としてわれにあり嘆かふべしや

更始せし世紀の光かうむりてつづかん卑小の生かたじけな

建て替へと決めしこの家消しがたき悲しみひとつ亡き子育ちし

冬の日にあたたまりたる岩あれば老軀もたれて時空茫々(ばうばう)

つづまりは匹夫(ひつぷ)匹婦の営みを出づることなし過去も余生も

頼るべき子のなきわれら一人病み一人も老いてなりゆきを待つ

心拍計零を指したり今生(こんじやう)の夫妻の別れいまここにあり

夢にして妻の法要の相談を妻となしゐき今朝のあかつき

すぎゆきに珠玉のごとき歓びのをりをりありき遠空の青

人の気も火の気も(また)くなき家に夜ふけもどりて老軀(ばく)たり

みづからに(ただ)して善も悪もなきすぎゆきなりき冬空の青


   時空以後
車椅子はじめてにして押されゆく寂しきごとく楽しきごとく

おもふさまに走りてテニスせし足もこの足なりき今のおとろへ

生れしより会ひしことなき従姉あり住居を知らず生死を知らず

集まりて君を慕へば十年は短く長しいしぶみの苔

衰ふるのみなるわれと思ほえど死はまだ遠し死はまだ遠し