瀧 川 愛 親 


  平成五年歩道全国大会(北海道洞爺湖万世閣・文化センターにて)
        


                            


     


大正十四年     北海道八雲町に生まれる
          国鉄に勤務。助役にて定年退職
昭和二十五年    「歩道」入会
昭和三十四年三月  東京都上野精養軒にて歩道支部代表者会議があり
          名古屋支部の一人として参加
昭和三十四年八月  和歌山県高野山清淨心院に於ける第一回歩道全国大会に出席
昭和五十九年    歌集『鐵塔』出版
          国鉄退職後、国内の佐藤佐太郎歌碑全てを訪れた。
平成六年      愛知県三ケ根に於ける歩道全国大会の大会委員長を務めた
平成十七年     永 眠


   『鐵塔』より (加古敬子抄出)

干草の青きにほひよ兵として馬いたはれることもありにき

脱線の復旧終へて憩ふころ朝かぎろひは貨車におよび来

冬の日の透るよどみに見えながら水みづからの影は動ける

鋪石の冷ゆるゆふぐれ静脈のごとき巷をひとり歩み()

()れざりし友のひとりもわが為のけふの座にゐて単純ならず

うけて継ぐものの寂しき一つにて父在りし日の父の座にゐる

飼はれゐてなすなきままに起ちあがる(てのひら)あつき熊をさびしむ

我が来る岬に(とよ)む冬の潮あれあれて揉む潮をすがしむ

父われに心よらしむかたちにて妻の叱りし子を抱きゐつ

戦の後の不安をこの町に堪へ来てすがしき記憶をもたず

貧しさに対ふ気力と思へども夜はいたいたしものを縫ふ妻

結氷の亀裂のひまにかがやきて河口の潮のうごく夕ぐれ

みづからも衆をしたのむひとりにて示威行進の中にわがゐる

みづからの心しづめてわが思ふ(さが)異にする子らのゆくすゑ

冬の日のかたむく寒き夕ぐれにひかる硝子戸の(ひび)みつつゐき

異動期のせまりつつ来て今年また人の噂の中にわがゐる

夜行列車に運ばれてゆくわが前にたちいりがたく婦人涙す

議員より優位にあるとふ実感も票を投ずるけふにて終る

わが言に黙してながくをりし子の座を立ついまの思ひは何か

老いはてし母老に入るわれと妻ひとつの家にしづかにねむる


   『鐵塔』以後

生育は順調にわが双生児おのれの母を呼ぶべくなりぬ

反照のわが身におよぶ角度にてゆく川の辺はあたたかかりし

聞くこゑは切実にして真昼間の時をひきずるごとく蝉鳴く

涙腺の寒さに弱くなりたればわが歩みつつ涙を拭ふ

排泄のにほひをおのれの体臭としつつさびしき羚羊らゐる

永らふる是非言ひ難くして吾はこの頃の母まもりゐるのみ

ゆたかなる潮さす島のこの入江茎ながくしてひじきのなびく

九十二歳に及ばぬ母の十日余を誰がためとなく姉らが惜しむ

にはかなる風にたちまち杉の木の花粉をはらふ壮観をみつ

明方の龍飛岬をあゆみ来て聞きし鴉のこゑにくからず

吹く風をさへぎるものの一つなき岬丘ここに師の歌碑は立つ

あらそへる声きこえしが幼らに妥協なりしか声しづまりぬ

高きよりわが見る海に雲ひとつ潮のけぶりに影おきてゆく

震災の街焼きつくす火のいきほひ伝へ終りて記者なみだぐむ

明らかに祖父われの血を継ぐふたり走りて共にその賞を得ず

老いし吾酔ひて歩むと知りたるか速度おとして自動車過ぐる

汗しつつ歩み道ゆく暑き日は顔の眼鏡がしばしばずれる

ただゐるといふのみのわが看護にて妻の傍に一夜を過ごす

予後なればおくれて歩むわが妻に道の窪みを声もてつたふ

忙しくけふ過ごししといふ妻よ予後なれば身をいたはり眠れ

帰り来しわが妻をればその声のきこゆるところに老猫ねむる

退き際のいさぎよかりし原節子いかにながらへゐるかと思ふ

砂浜の砂捲き上げて寄せし波砂おきて引くいたく静かに

少年のわが孫打ちし蕎麦なればともあれ労をねぎらひて食ふ

胃の腑なきわれの来し方思ひみて胃を失へる妻にもの言ふ

辛うじてその身臥所に立たしめし妻称ふるもあはれならずや

つれあひとともに痩躯の老ふたり危ふく行くと人見るらんか

驚くにあたらぬことか胃の腑なきわが身の肺に癌が転移す

積雪のかへす光の中にゐてこころよければしばらくねむる

身のうちの何かが潰えてゆくならん既にし三日臥所に過ごす