
歌 歴
大正十二年 山口県下関市に生まれる
昭和二十四年 「山口県短歌」入会
昭和三十八年 「歩道」に入会し、佐藤佐太郎に師事
昭和四十三年四月 歩道下関支部設立、同支部長
平成六年十一月 下関市御船手海岸の佐藤佐太郎歌碑(下関市建立)に尽力
平成八年 「短歌小観」創刊。平成十四年三月第五十七号まで発行
平成十一年五月 合同歌集『風渚』刊行
平成十三年四月 下関市水族館「海響館」に佐藤佐太郎歌碑が建立され副碑
の碑文を撰文する
平成十五年七月 『兵藤正登司作品抜粋集』発行(自選歌及び歩道短歌会
下関支部会員の抄出による選集)
平成十六年 永 眠
『兵藤正登司作品抜粋集』から抄出
(昭和三十九年―四十一年)
港湾のすみにとまりし木船の七輸おこす女が見ゆる
棺の中の母を見てをりひとしきりドライアイスのいき立ちながら
真夏陽の照りかがやける門辺まで我が担ひゆく母の棺を
親子にて来てゐる大工あらあらと叱られてゐる老いたる父が
一日吹きし風をさまりて秋めきし光は街の広場に満つる
(昭和四十六年)
逆潮のかがやくところ航きなづむ船いくつ見ゆ朝のひかりに
寒くなりしひと日の暮るる石の坂疲るれば幾度も海見て休む
(昭和四十八年)
盆をまつ心といへばうらがなし父母のなき我母のなき妻
過ぎてゆく刻に逆らふといふ想ひ晩き風呂にて稲妻光る
(昭和五十四年)
嫁ぎたる娘とその子二人ゐて思はざる日々積みし一年
小さなる街に住みつぐ友も我も父より享けし業守りをり
(昭和五十五年)
日の業務終へて宿直に間のあれば病院の外庭を歩む身軽し
栗の花咲ききはまりてくもり日の重き梅雨空を支ふるごとし
(昭和五十五年)
粒々の砂岩くづして古き代の
横たはる人骨そのまま石棺に真日さす見ればわが跪く
耳に見え眼にて聞こゆるものありと薄暮に光り木瓜の花咲く
(昭和五十七年)
焦点のしばらく戻らぬ夕ぐれは満月が楕円形に笹原に浮く
身近くに常に死の在る職場にて木彫の数珠を我は秘めもつ
訪ひくれば素足に陶土を踏みてゐる八十五歳生誕日の父を尊む
(昭和六十年)
孫ふたり混へて娘も共に住むわが夫婦或は幸福なりや
病む人も看取れる人も眠りたる夜更目ざめて病舎を見をり
湾岸の工場街は靄だちて建物の隙に入潮うごく
(昭和六十二年)
定年のなくて勤むる十年余病む人に会ひしも二千を越えつ
内在に鈍き苦しみ動けるかあかつきごろに夢断続す
船舶にかかはり生きし壮き日のわが知る船長すべて世になし
幾千の人坐りけむ椅子に待つ小暗くて放射線の音のする部屋
(昭和六十四年・平成元年)
啼きたててゐし松蝉のこゑ止みて谷に光の透るひととき
風の揺れをさまり果てし薄原ひややけくして長き夕ぐれ
(平成五年)
肩に吊る心臓記録計の重さにも慣れて病棟を見廻る吾は
幾人のここに逝きけんベツトにて点滴利きてやすけく眠る
(平成六年)
あかつきの寒けき空をつたひきて船笛長く丘にひびかふ
障子ひらき窓硝子あけて雨戸引く退院したる朝のたのしく
(平成八年)
薬物のために脹れたるわれの面晩年の父鏡中にあり
水打ちて苦瓜のうへ虹の立つ夕べひととき呼吸やすけし
二十年経ちて経営の定まりし長女の本屋をときに見にゆく
(平成九年)
顔面の同じきクローン羊とふその長き列を思ひ怖るる.
色づくを待ちて八つ手に来るつぐみ今朝は珠美に逆しまになる
故の一字付されて谷栄一の遺ししは五月の光樟の木若葉
(平成十年)
屋上に登り得る日のかたじけな街あひに咲く木蓮見えて
病む人らおのもおのもにテレビ見るイヤホーンゆゑ部屋に音なく
(平成十一年)
帰り来し家の畳を踏みあゆむ杖曳き酸素の車も曳きて
わが父を早く亡くして五十年妻の父と長く親しみたりき
山肌のみどり新しき風師山目を細め見る五月尽の晴
(平成十二年)
隣床の人真夜中に硬餅を噛む音聞こゆ毛布の中より
連れ添ひて経し五十年あら方はわが喘を支へし妻の老いたり
(平成十三年)
バリアフリーといふ病室は引き開くる
大きなるレンズもて金剛界曼茶羅を長く見てゐき逸楽に似て
(平成十三年)
寒気団の動きとどまらず窓冷ゆるあかつきがたにわれは苦しむ
海峡にむかふ先生の歌碑ふたつ楽しきことを思ひ眠らん
(平成十五年)
人の世の人苦しむもいつしかに安けくならん時の流れに
(作品は、自選・在川道江・津田成子・由岐中貞子・下川照子・原田美枝
・高松百含子・元田裕代・小田美智子・松原和子・森典子・作田清江
・蒲原えみ・榊香寿子・岡本慶子・松永寿子・井町清水・薄墨泰子
・三角末子抄出による)