
歌 歴
大正十一年 和歌山県生まれ
昭和二十五年 歩道入会
昭和四十年五月 佐藤先生、歩道全国大会の帰途、和歌山県白浜に寄る
昭和四十三年二月 佐藤先生、和歌山県那智太地に来遊
昭和四十五年五月 佐藤先生を和歌山県湯浅町芥子畑に案内
昭和四十七年 歩道年度賞受賞
昭和四十八年八月 第一歌集『芥子の花』刊行
昭和五十一年十一月 佐藤先生ご夫妻と熊野路など巡る
昭和五十五年三月 青岸渡寺の佐藤先生の歌碑除幕式に参列
中国の旅恵州など佐藤先生に同行
昭和六十年二月 第二歌集『庭土』刊行
平成十四年 永 眠
・歩道短歌会和歌山支部の育成などに尽力
『芥子の花』より (吉田和氣子抄出)
びろうど草が机に散らしゐる花粉わが吹けば真似て幼子もふく
体力の弱りて心落着くもはかなし家にこもる日多く
温もりてもの溶けるごとく涙出づ聖歌唄ふ中に遅れ来りて
夕暮の芥子の畑にわがたちて絶えず芥子の花散る音をきく
手術後のからだの重さ外部より動かすものの如くに運ぶ
家族とは異なる吾の宗教を病めばつきつめて思ふことあり
『庭土』より
木々しげる下にたたへし暗き水うかべる樫の花おびただし
諦念によるほかなきに自らの肩はるまでに思ひ積みをり
幼子の眠る明方掃く庭に白粉のはな無数にしぼむ
覚えたる言葉からだにみちてゐん息せきて言ふ幼を見れば
癌の苦に堪へつつ終に求めたる神に依りいくばくの安らぎありや
かいま見る悲哀のごとく庭土にしろじろと寒の月照りゐたり
苦しみを二つ経て来て気の強くなりたることに自ら気づく
『庭土』以後
なるやうになると思へば安けきか老いて明暮さばさばとゐる
在り無きも同じと北米の孫思ふときに心に寂しさきざす
労りてくるるを不遜と思ふなど老のこころの屈折さびし
朝々にわが餌を撒く庭土に群を呼ぶ雀先づ一羽来る
わが庭に蓼くふ虫のくるらしく今朝大蓼のあとかたも無し
歯を抜きしばかりに平衡のとれぬわれもの干す庭に出でて蹟く
さながらに家焼くるごとき夕焼をしみじみと見つ庭に出で来て
弱りたる足馴らさんと行き来して庭の敷石にときにつまづく
遺る夫なければ老いて死は易し八十歳の思考めぐらす
夫より先に逝くなと若き医師世のしがらみを知る如く言ふ
二時間余り遠乗りするを許されて来しかど峡の緑に疲る
『芥子の花』より (黒田淑子抄出)
目覚めゐて聞けばつのれる風音は間をおきて遠きかたより起る
アカシアが風にゆれゐる窓近き席にゐて聞く工ペソ書第五章
寡黙なる夫がかもす雰囲気のつねにてかかる寂しさにゐる
生活をともにして来てそなはりし諦念を日々の拠りどとぞする
『庭土』より
こひねがひわが来し聖地エルサレム青野何処も芥子あふれ咲く
病む聟をなからひとして曾てなきまでに吾と子の心寄り合ふ
単純に受けとむるとき苦のごときものなぎてゆくタベ厨に
苦しみに耐へつつゐんに吾になきその若さゆゑひたすら眠る
かいま見る悲哀のごとく庭土にしろじろと寒の月照りゐたり
過ぎてゆく杉谷に一木かがやける櫨衝撃のごときくれなゐ
かなしみをしづめんと来て仰ぐ滝み歌さながら風になびける
『庭土』以後
七十歳に近づくといふ自意識によりてたちまちからだ疲るる
兄の住む処遠しなど嘗てなきおもひ寂しむやうやく老いて
生も死も何か混沌となりをれば安らぎに入るごとく訃を聞く
子のなきは子のなきままに憂ひなき次女のもとにて十日安けし
襖開けて一瞬たぢろぐ西窓を透すタ日の光鋭し
晩年の作品より (角田三苗抄出)
蘇りしいのち素直によろこべず心臓造影写真を見れば
海近き病棟の窓落日の時にて切れぎれの朱雲うごく
ごみ出しに来し路の上病みあとのからだ力なく暫し動悸す
重きもの持てぬあはれさ咲きいでし高菜の花を今年は漬けず
庭に出で白木蓮の花仰ぐ癒えて見る今年泪ぐましも
しろ木蓮の大木ありし兄の庭見る人もなく花過ぎゐんか
救急車に運ばれゆくも三度にて重大のときわが意識なし
晩年の母のごとくに痩せしからだ見る故入浴するを好まず
霧の湧く山脈の果明るきは梅雨晴るるらし空遠くより