
拡大→クリック

歌 歴
大正五年 静岡県に生まれる
昭和七年 この頃から「国土」等に短歌作品を発表
昭和二十年頃 社内誌「電信電話」の編集にも携はり、
その後、晩年の斎藤茂吉から指導を受ける
昭和二十一年 横尾登米雄氏・屋代温氏と共に「抜錨」を創刊
昭和二十六年 「歩道」に入会
昭和五十年 歩道年度賞受賞
平成十三年 永 眠
平成十四年 『榛原駿吉作品集』刊行
・歩道編集委員
・歌集に『遠雲』、『北馬南船』がある
「『榛原駿吉作品集』について」(石井伊三郎)より
わが身うちなにか湧きたつものありて暗き天津の空を仰ぎぬ
とき過ぎし葡萄をむしりくらひつつ今日の行程のなかばを過ぎぬ
戦場にてあれば時の観念なく日暮るれば車両の下に眠れり
流弾に傷つきたれどあはれなほ従きてくる驢馬の鳴く声ひびく
望楼に立ちて入日にまむかへば河南の野辺を風わたる見ゆ
星光の冴えざえと水にうつる夜半歩哨に立てば故郷思ほゆ
短歌研究に載りし茂吉の肖像を壁にはりたりありのすさびに、
馬も車両もはなれ身ひとつの帰還船にゆられつつよぎる思ひは何か
星の位置変れる故国の夜空をば仰ぎてたてり生きてかへりぬ
栄養失調放出などといふ語彙の耳あたらしき還りきにけり
夕汐のたかまりきたるさびしさは相寄りながら吾妻とわれと
君を偲ぶよすがだになき浅草にあひあひてかなし古屋宝木
ぬやまひろし獄よりいでて巷ゆき恋愛論を演説したり
暑き日に壁に拠りつつものを書く疲るれば水を飲みに立ちゆく
霜凝りし畑中ゆけばあけがたの光に浮きて青き麦の芽
歌やめし君の悩みの素直にて沁みくる思ひオポチュニスト吾も
わが名をも止め給ひし日記を読み三回忌のけふ偲びまつらん
如月の夜半の空気の生ぬるく哀しくもあるかみまかりたまふ
ある夜のアバンチュールを期待せる声ありしかど家に戻りぬ
ふかぶかと積みたる雪に照りわたり月の光はひびくが如し
補陀落は海へいで姥捨は山にゆき従ひたりし老い人あはれ
浅山の崖の古りにし石仏にひびきて雷のふるふ昼ふけ
梅雨雲のうへはみなぎる光あらん柘榴の花におよぶ明るさ
勤め持たぬ吾にも安けき思ひにてめぐりの音は休日の音
立冬を過ぎて暖かき鑑真のおくつきどころうぐひすが啼く
咲き満てる桜に入日かがやきて彼岸のくににわがゐるごとし
悲しみを頒つごとくに妻とわれ老いて争ふこともなき日々
蛇崩を歩むなき日をあらかじめ客観したるその歌かなし
随ひて三度ゆきたる中国のなかんづく恵州の羅浮山こほし
かすかなる縁がありて吾の名を茂吉言行にとどめたまひき
悲しとも悔しとも君の死を思ふ七年は短し前人未到の世界
蟬の声やうやく遠く残暑の香とろろあふひの黄の花にあり
ぎこちなき作り笑ひのポスターが街にあふれて選挙ちかづく
ソ連軍の残しし地雷三百万アフガンの羊そのうへをゆく
吾生れし頃に起こりしコミュニズム七十余年経て亡びんとする
ベカー高原追はれし日本赤軍の顔がうつれるやや老づきて
運のなき人といはんか英国のダイアナさん巴里街上に死す
雨水過ぐる空の満月に照らされてエンデバー帰る毛利さん元気
クローン人巷歩むときはいつ老いてかかはりなしと思へど
茂吉先生怒り給ひし仮名遣老いは老いにして老ひにはあらず
身辺の整理などすでにままならず命終が先に来るやも知れぬ
あたたかき春の夜ふけに老残のわれにも兆し来る思ひあり
年老いてもの欲しと思ふこともなく茂吉佐太郎を読みて慰む
怠けゐることも愉楽のひとつにて暑き日こもる老のまにまに
平穏にすぎゆく日々かともなひて新宿にモネの画を見て帰る
緑くらき蛇崩の道亡き人より愚に長くわれは生きたり
思ほへば八十五年の巡り歳大陸にふみし黄砂忘れず
わが生は幾ばくありや花ぐもり車に乗りて桜見に来し
われのあふ終の桜か子の車に乗せられ湖の桜見にゆく
(弔歌 佐藤志満)
歩道初期の頃より深く頼みゐし君逝きませりわれより若く