和 歌 森 玉 枝 



                     

大正十四年   東京都に生まれる。旧姓 浦上
昭和十八年   歴史学者 和歌森太郎と結婚
昭和三十八年  「歩道」に入会、佐藤佐太郎に師事
昭和四十七年  「『結婚人門』‐民俗学的考察-」刊行
昭和四十八年  第一歌集『帰路』刊行
昭和四十九年  「歩道」編集委員となる
昭和五十一年  「歩道」年度賞受賞
昭和五十二年  夫 和歌森太郎永眠
昭和五十三年 「歩道賞」受賞
平成三年   現代歌人協会会員
平成八年   永 眠


   『帰路』より
米粒ほどの精嚢あはれ鶏の骨を厨に洗ひてをれば

昏れちかくひとときに畑の色沈むいちめんの豆葉を閉ぢしかば

砂防堤に憩ひて濤のとどろきも光も遠し九十九里浜

わが歩む音の響かず三千の石階ふりて杉くらき下

伏流が顕はれて貯水湖に入るところ楓の落葉暖かに積む

殉教の跡の浅き池蜷あまた底ひに這ひて冬の陽を浴む

石狩の浜ははるけし褐色を延ぶる柏の風音のなか

河口の空にひびきてふく風に白き氷片は汀をはしる

いにしへの声のごとくに杉匂ふ女人三峯といふ寺の庭

山水のたちまち海に入るところ渚にて人らもの濯ぐみゆ

遠き空によどむ砂塵の層見えて早春の昼葬りにむかふ

風いでてすがしき午に独り居て鮭の輝く朱き身ほぐす

弾力のある一群として海鳥がためらはずとぶビル街の上

様式の移りていつかのどかなる時計の音の常住になし

ひたすらに白のさわげる沖濤の音なき消長をわれは寂しむ

地下工事場を覆ふ鉄板に雪積みて雪のひまより光漏れゐる

自らの噴きし墨にて汚れたる鳥賊やはらかく重なりてをり

鋪装了へて裸灯のともる夜の道余熱を踏みてわが帰りくる

けだもののまとふ静かさ隣家の猫あゆみゆく昼のわが部屋

一夜にて架橋なりたる駅歩廊新しき人の流れをつくる

電車待つ地下駅の軌条中央に音なく冽しき流れの見ゆる


 (絶 筆)
隣接の工事現場のたえまなき叱責の声おびえつつきく

菊芋の黄のなだれゐし切通し石垣となり秋日を反す

逞しく秋花の立つユツカ蘭竿灯にたとへし人思ひいづ

単純な動作としての寝返りも病みて臥ればひとつ安らぎ

三か月すぎて病みたる痕跡に痩せたる十の爪の寂しさ

わが父に殉ずるごとく枯死したる大き合歓の木ふと思ひいづ

柔かく伸びたる爪をみたび切るベツドにたゆく蹲りつつ

久々に子に伴はれ街を行くかかる衰態を人見る勿れ

絶えまなき点滴のための薬液は体臭となりわが身よりたつ

臥すのみの身に三食は耐へがたく粥すすりつつ涙いでくる

ともなはれ来て鳴き交す雛鳥の四十雀庭の木々に親しむ

預りし飼犬二頭われに馴れよろこび迎ふ家に帰れば

ときながく聞く遠雷に期待して降雨を待てば汗滲みくる

思はざる来訪者のごと五階なる病室の花に青き蝶くる

冷房をとめて開け放つ病室の窓渦潮のごとき街音

朝撒きし水忽ちに熱風に乾き庭うちの鳳仙花萎ゆ

花すぎし藤棚つづく沼の辺に風なく水の匂しるくす

休耕の田にあふれ咲く遠近の菖蒲むらさきの単色は良し

ここに立ち耐へ難きまで寂しかり葦の根方に寄する沼波

飼鶏のために甘藍買ひ置きて入院を待つ日々のはかなし

何となく眉のあたりの痒き今日こころ安らぎ回診を待つ

点滴の静脈に入る冷たさを天命のごと思ふときのま

喫煙所近きが故に響きくる男性の声うとましくきく

一冊の文庫本持ちて入院す聖書のごとくより処となして

治療薬試みる書に署名する残生のわれきほひとてなく

高熟に溶け易き氷の小片が口中にある安らぎひとつ

よろこびて退院しゆく人あれば卓に残しし蘭花が匂ふ