後 藤 田 恵 以 子 


                     

明治三十七年  徳島県生まれ
昭和三十一年  歩道入会
昭和四十年   歌集『藍畑』刊行
昭和四十六年  歌集『花紋』刊行
昭和五十二年  歌集『杏の花』刊行
昭和六十一年  歌集『花水木』刊行
平成二年    永 眠 


  『藍畑』より(由谷一郎抄出)
風吹けば大王松はおほどかに幹よりゆれて白き花散る

ひとり子の吾を恃みて老年をふるさと出で来し亡父あはれ

わが生れし藍畑村は昼ふけて光うらがなし黄の麦の上

工事中の高速道路の下にして橋暗し川暗しこの街のなか

氷雨降る街より人らつぎつぎに階下りて来る夕の地下街


  『花紋』より 
わがからだ冷えつつ三月堂に立つ夕日光さす月光菩薩

佐田の丘越智の丘ゆきて春ぐもりの夕べは寒き雨となりたり

日もすがら若葉あかるき道ゆきて信濃蓼科の山を越えたり

春の雷鳴りつつ雨のふり出でし空の南に雲はかがやく

部屋々々に逝きし子のもの目にふれて心の痛き年暮れんとす

春休みの町に幼の多きかな吾の幼はいづこにもなく


  『杏の花』より
思ひきり羽ひろげたる孔雀立つ風に吹かれて鳴る羽の音

あたたかく固き土床にしばし佇つ光乏しき藍倉のなか

きぞの雨晴れて蒸し暑き昼すぎの庭に漂ふ栗の花の香 

神経の痛みは火もて焼くごとし涙ながれて吾は臥しをり

オリ―ブの油濃き料理吾は食ふ石の床寒き地下の店にて 

涙垂れて身の激痛に耐ふる時憐れむ天の声あるごとし

老い病みてありとしもなきわがいのち昼見る夢の茫々として


  『花水木』より
きさらぎと思ほえぬまで暖かし花畑続く海辺をあゆむ

肩腰を揉みくるる堅き娘の手この手をたより吾は生きゆく

まれに来て銀座に立てば群衆の中に和服を着る人を見ず

咲き満ちし白花水木天にのびわが目まぶしき晴日つづく

わが一世おほかた終る頃となりしきりに思ふ夙くなき夫

共に住む息子娘をわが老いて亡き父母のごと思ふ時あり

昼すぎて晴れし庭のうちわが膝のほとりは杏の花の明るさ

      (黒田淑子抄出)
亡き人のただに思はるる暑き日の日ざかりひとり畳を拭けり

時長く我は峠に見てゐたり阿波の群山海につづける

みかんの花匂ふ夕べの町ゆけば心の和むふるさとここは

あるがままを幸として過ぎゆかむ苔青き庭に降る梅雨のあめ

ここに残る汝が背丈のあと一米四〇糎にて終となりぬ

どの部屋の窓も若葉におほはれてさやけき日々を吾は病臥す

ライラック花の紫淡くなり風あたたかし復活祭けふ

老吾をいたはりくるる子らみたり既に亡父のよはひとなりて


  弔歌(佐藤志満)

み病のをりをりの歌悲しけれひたすらなりし君は今亡し