歌 歴
明治二十四年 長野県生まれ
昭和四十年 歌集『千曲川』刊行
昭和四十三年 宮中歌会始召人
昭和四十三年 郷里信州飯山に歌碑建立
昭和四十四年 歌集『川』刊行
昭和四十八年 永眠
画集に「滞欧三五日」・「廻遊」がある。
『干曲川』より(横尾登米雄抄出)
千曲川の流れの末に雲うごくわがふるさとはその峡の町
紫蘇の花かそけく散れりこのあしたさはやかにして秋立ちぬらし
鈴ならし荷を曳く馬はさ霧立つ直ぐなる道を遠ぞきにけり
森かげに消のこる雪はわが通ふ路より見えて寒くひそけし
沈丁華香にこそにほへどろの路拾ひ歩みて家に到れば
おのづから涙あふれて子の命妻が云ふとき吾はもだせり
諦念の心ゆれつつ子を思へばいまさら悲し現身われは
大樽の輸絞めの槌の音きこゆ麦酒工場のひるのひととき
食の話する人も少くなりにけりかにかくに時の流れを思ふ
高原の那須の温泉に一夜来て笹竹の子の汁をのみけり
日はすでに沈みたるらしをやみなく雪みだれつつたそがれにけり
夏すぎてうつろとなりし軽井沢の氷室は寂し夕光のなか
天龍の谷に傾くたかはらの畑いちめんにたけしもろこし
群衆と警邏対峙するところ過ぎタぐれしかば街の彩灯
潮あがる川の両岸香ぐはしき酢の香ただよふ黒き並倉
蚊はすでにあらぬ夜頃と思へども妻が吊る故蚊帳中にねる
海獣の像あるここの噴水は春浅くして水をいださず
速度より生ずるものの騒音はわが十六階の室に入り来る
僧院はおごそかにしておのづから靴のかかとをあげて歩みぬ
広き野にタベの光みつるとき人に憂はなしと思ほゆ
海を見る丘に憩へば吾が心安らぐままに郷愁に似る
湖越えて波動のごとくひびきくる彼の岸とほく教会の鐘
硝子なきド―ムの上の円窓ゆあまつ光はここにさし入る
あたたかき冬に開きしくれなゐの椿は雪にうづもれにけり
高槻の伸びし夏芽は荒れもよふ今朝のはやちにしきりにゆるる
冬庭に落葉を焚けばひとところ朝霜とけてつちのうるほふ
北の風つのりて吹けばきさらぎの短き麦が片なびき伏す
何処より湧き迫りくる悲しみぞルオー描ける夜のキリスト
極まれる物のさびしさくれなゐの色濃き山に冬は来向ふ
『川』より(横尾登米雄抄出)
ふるさとの町をながるる千曲川たちまちにして峡に入りゆく
深き峡たぎち下りて千曲川桐咲く越の野をながれゆく
晴れ渡る春の光よ奥入瀬の川瀬に照りて小さき虹たつ
花過ぎて葉の群れいでしまんじゆしやげ霜ふる庭の青のさびしさ
霜とけの土の潤ひ日すがらに乾くことなし篁のかげ
寂光院の光乏しき内陣に仏さびます墨のごとくに
墓石にかけたる水は流れつつ吾が足もとの土に沁み入る
空ゆきて家一つ見ぬ胆振野にいくつもの沼光りて見ゆる
ことごとく葉を落したる白樺の森に籠らふ淡き冬の日
ふるさとの群山脈にこだまして朝なタなにひびけこの鐘
いたどりもよもぎも枯れてけぢめなく冬寂びわたる石狩の野は
吹き寄する風強くしてこの浜の長きなぎさも沖も白波
田楽の味噌にあへなむ山椒の芽も堅くなり春たけにけり
古の宮殿にして噴泉は春浅ければ水をいださず
静かなる湖上の波と鐘の音一つ波動の如く寄せくる
雪のある国の境を越え来れば光あまねし越後平野は
白樺の目に沁む黄葉まなかひの嶺より谷を埋めつくして
この斑雪いく日残らむ山裾の道に溢るる雪融けの水
オホツクの海荒くして網走の磯遠々に寄する白波
唐寺の石段の道下るとき夕かたまけて鐘ひびきくる
洞爺湖の朝に霧立ちものなべて生なきものの如き静けさ
源は近しと思ふ千曲川小海の峡を細くながるる
大文字の赤き炎の消えゆきて夜空に暗き山は寂しも
望むこと少なき故に日々を是好日として冬すぎにけり
紺色の海をかぎれる海岸線あきらかにして雪つもる陸
遠く見て夏山の花と思ひしはまたたびの葉の白きひらめき
御陵といふも悲しきなきがらを焼きたる跡の土の堆積
雪おほふ小樽は悲し一様に港も丘も曇りあまねく
きぞの夜まどかなる月を仰ぎしが天ぎらし降る明け方の雪
「川」以後
吾もはや八十を過ぐ人間もこの歳となればたはやすく死ぬ