歌 歴
大正十二年 新潟県佐渡生まれ
昭和十九年 新潟第一師範学校本科卒業
教壇に立つて半年目に応召・入院
昭和二十一年 柏崎の国立新潟療養所に移転
昭和二十二年 歩道入会
昭和三十六年 歩道年度賞受賞
昭和四十年 新潟県PTA連絡協議会に勤務
昭和四十二年 永眠
昭和四十二年 『中濱新三郎歌集』発行
中濱新三郎記
「鉄釘が松材に深くくひ入る様な、さういふ息吹きを歌の端々に滲透させたい。自分の存在がぐらぐらと不安に揺れ出し、自分の生命が刻々に圧し潰されてゆくやうな時、こいつは俺のもんだといへる様な確固としたものを歌に詠みたい」(昭和三十五年「歩道」同心円より抜粋)
『中濱新三郎歌集』より(佐藤佐太郎抄出)
鳥かごの中の動きのはやき鳥見てゐて疲る疲るれば憂し
満腹になりてベットにひそみゐるかかる思ひは平安なりや
ねむりよりめざめむとして虚しきは雪に乱れて降る雨のおと
ひとときに思ひせまれば疲れくる体を如何に吾は支へん
穂芒の上にかがやく碧き海見れば病みふる負目の萠す
信ずべき神を持たねばつきまとふ不安か石の如く死なむを
風邪薬のみて心をしづめをりゆふベガラス戸の輝く傍に
何時までも同じ悩みに苦しむを止めよと雪にけぶり降る雨
新しき時の流れに澱のごと吾は何時まで病み残りゐる
心なく充塡球の突き出でて居るわが背にふれつつ寂し
蚊帳の中に心悶えてゐる吾のベツトを照らす夜の花火は
ぼろ切れの如く貧しきこころ湧く十年病みつつここに残れば
喀血の収まりゐたるあかときに窓のゆらぎて地震過ぎけり
昼床に血を喀くわれを脅すごとく飼鳥は止木たたく
枕辺に巻き置きし紙はほどけゆく永く転機を待ちゐし如く
このながき懈怠のごとき生活に諦め死にし友はいくたり
何もかも諦め今は物休のごとくにをらむひねもす睡し
諦めず病護りて生き来たる十年よ若さ侍みてをりき
このあたりの松みなのびて谿深くなりぬ愚かに病みゐるうちに
悲しみをなだめんとして引き合ひに出さるる吾の病む十余年
肌冷ゆる今宵は酒をのみたしと思ふが程にわれは癒えたり
肺活量すくなき体生きをれば常なる幸をわが思ふなよ
わがながき病より離れゆくごとく君の招きの酒をいただく
体力の浪費をわれはいましめて混み合ふバスのひとつ見送る
時ながくかかりて吾の一つづつ諦めゆくは疲るるに似む
癒えざればそれも詮なしいきいきと病のなかに心遊ばむ
還るべきことにあらねば嘆くなよ暑き土埃の中に蝉落つ
癒ゆるあてなきわが病抱く如く眠らむ今宵も眠薬のみて
手術後の深き眠りに落ちゆきし鼾は昼の廊下にきこゆ
寝静まりし夜の厠によく出会ふ人もここにて病みのこりたる
寂しくてならねば部屋を出づるなと夢の続きの如くいふ友
昏睡の深き底よりをりをりにいふ濁声は息づまらしむ
みづからの体より立つ悪臭に友は茫々と熱出でてをり
ぼろ切れの如く疲れて看護婦に担ぎ出さるるを数多見送る
夜をとほし降りつむらむかとどまらぬ雪の流れの見えなくなりぬ
幻覚とおもふまでうすき昼の雲みるみるひとつに寄りて輝く
生きものの常と思へど静止してゐる金魚の眼折々うごく
冬終へて池を更へゐる泥の中死せる鮒らの幾匹も出づ
鴉来て松の木肌の蟬を食ふ朝焼け赤き空見てをれば
風荒るる向う松山ぼろ切れのごとくに飛びて鴉の沈む
海潮の波のさしひき重々しき感じはなびく海藻よりくる
泥はぢきつつくる夜の白動車の響にまじる石ころの音
地震にてにはかに潮の退きし海音絶えをりて遥かは白し
ものを噛む顎の力のおとろへて灯の光さへ重き感じす
体力の日ごとに落ちし我がからだ厠に運ぶからだの重み
骨なしになりたる我か食膳に向ひつつ食ふ頭が重し
『中濱新三郎歌集』序文抜粋(昭和四十二年十月七日。佐藤佐太郎記)
「中濱君はたびたびの手術にも耐へ、二十年あまりの闘病に耐へて一旦は杜会に出たが、とうとう四十四歳の生涯を閉ぢた。いたましく悲しい。けれどもこのやうな短歌作品が遺されたことはせめてもの慰めである。中濱君の作歌は数が多いといふわけにはゆかないが、一首一首は光りかがやいてゐる。生死の境を出入したものの声がこもつてゐる。中浜君の作歌を人々はどのやうに受取つてくれるか知らないが、すくなくも歩道同人は君の歌を正当に評価するだらう。私ひとりだけでも君の歌を高く評価する。」