光 橋 正 起     (「起」は正しくは旧字体)

              日本現代詩歌文学館所蔵

      




                                 
                            


    歌  歴
 
・「歩道」草創期の同人で、「歩道」第一号から第三号までの編集兼発行人であり、第四号の編集者である。ガリ版印刷の第一号(五月一日発行)・二号(七月二十五日発行)・三号(十月二十一日発行)は光橋正起自らの筆耕・印刷・綴じによるもの。
・十八歳であった昭和十八年から作歌を始め、昭和十九年に佐藤佐太郎に始めて面会・師事し、その後熱心に作歌を続けたが、持病の気管支喘息の手術の結果が思わしくなく、昭和二十一年十二月三日に、歌人としての将来を嘱望されながら、二十一歳という若さでその短い生涯を閉じた。
・昭和二十三年十二月三日発行の『光橋正起歌集』は、編集・筆耕・印刷・発行を長澤一作が行ったものである。




『光橋正起歌集』より


  昭和十九年

まなかひに低くつづける河原(かははら)は麦生がありて風に靡かふ

山峡の松の林の中にして春蝉なけり歩み来しとき

この(うみ)の渚に朽ちし舟の上に鴉降り来てしまらく居たり

たたかひは日に日に猛くなりゆきてけさは絲瓜の香の物食す


  昭和二十年

港街の朝の物音(ものおと)をすべきこゆふねの汽笛の重きひびきは

あはあはとけむりなびけり遠く見ゆる海に寄りたる工場地帯

香にたちてさかな焼くにほひただよへり夕べ明るき小路来しとき

雨あとの(その)木叢(こむら)は若芽だつこずゑが見ゆる冴えかへりつつ

雨あとのくらき樹立(こだち)にうるほひて椿の花のいろ鮮けし

すずかけのしげりし樹々はゆたかなる陰影(かげ)をもちたり鋪道を来れば

強き雨降りすぎゆきて晩夏(おそなつ)の鋪道は白しひるの光に

伊皿子の街を来しかば犬ひとつ宵口の坂を低く横切(よぎ)りぬ


  昭和二十一年

発作起きくるしくなれば(よる)ふけにけものの如くもの吐くわれは

(ひる)近き冬の日ざしに照らされて吾あゆみ来ぬ川添ひの道

山の上を低く過ぎゆく風ありて音たつる落葉こころ寂しく

おろそかに病みつつをればこの(へや)に裏山に鳴く(ひよ)ぞきこゆる

峡の門に入りて見()くる巻雲や恋しきまでに白き輝き

友の部屋に病みつつ臥せば夜明け近く田のもを越えて吹く風の音

あをあをと麦の若きがそよぐさへ心に沁みて見にけり今朝は

濃きみどり淡きみどりに萌えそめて朝まだきなる丘はしづけし

おぼおぼしき曇りとおもひわが歩むこの苑の樹々はなべてうるほふ

雨晴れて夕の陽光(ひかげ)さす(はた)は麦なびきみゆその葉光りて

たかむらに風おさまりし夕つかた西空なべて明るくなりつ

小麦畑のうへをふく風低くして穂をわたりゆく音を寂しむ

やすやすと梢のびたるすずかけのともしき青葉われはあふぎぬ

いましばしいこへる窓に晝の日が照りて黄なる葉かげる蒼き葉

あへぎつつ発作はげしきあけがたに瞳あけゐる空間青し

胃を病みて臥りし床に目覚むるときあかつきがたは物の音なし

病院を夕べ脱け来てここに食ぶ柔かき章魚(たこ)に心は和ぎぬ



 光橋正起君を悲しむ  佐藤佐太郎

にはかなる命にもあるかことごとく君は哀れと泣きてなげかふ

時々は君のくるしみし喘息を救はんとせしつひの悲しみ

魚などのあぎとふ如く苦しめる君の病を吾は見たりき

戦にやぶれし後を伊皿子の部屋にあけくれき君と吾とは

若ければひたすらに吾を頼りたる誠も歌も今はむなしく

たたかひの終りの頃や苦しみて生き来し君をつぶさにわが見つ

弟子といふ言葉を吾は好まねど君は弟子として吾は思ひき

少年にて吾に来しより三年経てつひにすぎけるえにしをぞ思ふ

             (『光橋正起歌集』序歌)